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算術的、アフタヌーン。

ドトールでアホみたいな顔をしながら、
アイスコーヒーを飲んでいる時だった。

隣に座ったおそらく大学生くらいの
女の子二人組がおしゃべりしながら、
カバンから勉強道具を取り出した。

ドトールには勤勉家が多い。
メール返信に必死な社会人もいれば、
資格勉強に熱心な学生だっている。

若者から中年だけじゃない。
意外とご老体も多く見受けられる。

どんな集まりかわからないが、
病気と死者の話で盛り上がる様子も、
なかなかの確率で見ることができる。

金さえ払って、
人と店に迷惑かけないなら、
何をしてもいいわけである。
ドトールは、懐の深いカフェだ。

私もアホみたいな顔をしたいわけではないが、
せっせと作っていた資料を間違って保存し損ね、
二時間の作業がパァになった。
故のアホそうな顔だった。

そうなると、
もう仕事なんて手につかなくて、
ぼんやりとした頭と間延びした表情を引っ提げ、
午後のドトールのまどろみに溶け込みそうになった。

そんな飛びかけた意識を覚醒させたのは、
隣の女子二人が持つ謎のアイテムだった。

スマホよりも二回りほど大きい、
ボタンがたくさんついている端末だった。
言うなればハイスペック電卓のような、
とにかくかっこいい端末だった。

彼女達は数式だらけの参考書のようなものを開いたまま、
その端末を栞がわりにして抹茶のドリンクを飲んでいた。

なんだ、あの端末は。
気になって仕方がない。

彼女達が女子でなければ迷わず聞いている。
ただ、女子の場合はセクハラが怖い。
だから容易に話しかけることは躊躇われた。

ただ人相からわかる情報は結構多い。
人は見た目が九割説に乗っ取ってみる。
彼女達の服装、持ち物、話し方、仕草。
そういったものから読み取って行きたい。

話しかけても不審者に思われないかどうか判断するのだ。

まず年齢はやはり大学生くらいだろう。
そこまで目立つようなタイプでもなさそうだ。
派手な顔立ちはしていないものの、
利発そうで思いやりのある雰囲気を醸し出している。

ペンケースは布製でシンプルなデザイン。
収納できるペンは最低限だろうが、
逆にスマートさを感じさせる。

服装は二人ともワンピースだ。
極端に露出するわけでもなしに落ち着いている。
夏らしい爽やかな装いだ。

世間一般的には良い大学に通っている。
そんなお嬢さんたちなのではないかと推測する。
もしくはご両親に大切に育てられたか。

おそらく、おそらくだけど、
彼女たちは男という生物を、
一括りの生命体として見ていない可能性の方が高そうだ。
そう判断した。よって話しかけた。

「あのう、ちょっといいですか?」

二人は怪訝そうな顔を浮かべると、
お互いの顔を見やり、ゆっくりと頷いた。
警戒されているが、まだ軽蔑はされてなさそうだ。

「それ、なんですか? ずっと気になってて」

私が遠慮がちに端末を指差すと、
彼女たちは顔を見合わせてクスッと笑った。
そして「関数電卓です」と言った。

関数電卓! 聞いたことがない。
電卓はわかるけど、関数って、なんだ?
もちろん関数という単語は知っている。
ただ関数と電卓のマリアージュは知らない。

関数は……。関数は、そう。
エントロピーが指数関数的に増大する、
などよくわからないシチュエーションに使われがちだ。
日常の中でなかなかお目にかかれない。

摩擦関数?
いいや、そこは摩擦係数って言うか。
ってなると係数ってなんだ? ってなる。
野放図にとっ散らかった私の思考は、
論理的でも数学的でもない。

要は算術素養のない私にとっては、
関数電卓と言われてもさっぱりだった。

そんな私に彼女たちは優しく説明してくれた。
そのマシンは極めて複雑な計算ができるとのことだった。

そして彼女たちは大学の関数電卓サークルに所属しており、
そこでは日々数学的な問題を作っては解き合う、
という高尚な遊びをしているらしい。

来週は彼女たちが出題するターンで、
今はその問題を二人で考えているとのことらしい。

「こんな感じの問題ですね」

ポニーテールの方が問題を見せてきた。
数字ばかりと思いきや、音楽記号のような、
謎のオブジェクトもチラホラと見受けられた。

仮に何かの拍子で私が探偵になって、
ダイイングメッセージでこんなの発見したら、
迷宮入り間違いなしだと思った。

私の小学校の頃の友人に、
算数が大好きな男がいた。
彼は小学校の頃には高校の参考書を開き、
休み時間のたびに嬉々としてノートに、
呪文のような数式を書き込んでいた。

「それ、そんなにおもろいんか?」

ある日の昼休み。
私は興味本位で聞いてみた。

「ポケモンの100倍おもしろい」

彼は満面の笑みでそう言った。
それが本当なら、そいつはすごい! 
そう思って私も一度は数式に向き合ってみたが、
ついぞ面白さが理解できずこの年齢になった。

他にも数学好きの知り合いはいた。
土建会社の社長で、テニス仲間のおじさまだ。

「星の配置が関数グラフっぽく見えたりするんだよな」

焼肉をご馳走になった時に、
外に設置された喫煙スペースでタバコを吸っている時に、
不意に夜空を仰いだ社長がポツリと言ったのであった。

羨ましかった。
昔からいわゆる理系と呼ばれる人たちは、
私には見えない世界の美しさが見えているのではないか、
そう思わずにはいられないほど彼らは楽しそうに話す。

「自分は何歳になっても、オリオン座しかわからんす」

私がそういうと、
社長は「おおぉ、すごい詩的やなぁ」と目を丸くした。
そうやって星空を仰ぎ見たことがないとも付け加えた。

そうか?と思ったが、
そうか、とも思った。

理系の方々には見えない夜空を、
すでに私は見ることができるのだ。

そう考えたことで、
随分と数学コンプレックスが、
緩和された気がするのだ。

だとしてもである。
うら若き女子二人を虜にする数理の世界。
願わくば一度はそのフィルターを通して、
世界を星空を見て見たいものだと思う。

「これって、勿論おもしろいからやってるんだよね?」
「はい、なかなか理解されないんですけどね」
「やっぱ、星の配置まで関数っぽく見えたりする?」

彼女たちはまたまた互いに顔を見合わせると
それはないですね、と声を合わせて笑い合った。

まるで双子座みたいな子達だな、と思った。

こういう感想を抱く場合、
数理の世界に住む住人たちは、
どのような比喩を持ち出すのだろうか。

星座ではなく、
なんらかの定理であったり、
数学記号に例えたりするのだろうか。

そんなことを考えながらドトールを後にした。
帰り道、双子座に関して考えた。

かといって星にまつわる知識があるわけではない。
先ほども言ったが私はオリオン座しかわからない。

双子座がどんな形をしているのか、
どの季節に、どの方角で見えるのか、
まったく検討がつかない。

それでも、
双子座が生まれた背景の物語を想像するだけで、
少しだけワクワクしてくる。

神話からのアプローチが王道だろうか。
帰ったら調べてみようと思った。
そして彼ら彼女たちにはできなさそうな、
視点で双子座と銀河の解釈を進めよう。

そのようにして、
解釈が別方向から進むことによって、
新しい発見や平和の糸口が見つかるかもしれない。

そうひらめいて歩く帰り道は、
ダメにしてしまった資料のことを忘れるくらい愉快だった。



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