私と小鳥のこと
実は小鳥には昔から縁がある。
子供の頃、祖父の家の玄関先には4羽のセキセイインコがいた。いや、姉は2羽だったと言うが。手のりにすることもなく、家の中で放鳥することもなく、ただ玄関先に吊るされていて、鳥を飼うとはそういうものだと思っていた。
祖父の家のセキセイインコたちがいつどうなったのかはわからないが、いつのまにかカゴごとなくなっていた。風景のように覚えているだけで、彼らとの思い出は何も無い。
次に小鳥が私の人生に現れたのは小学生の頃だった。当時マンションの8階に住んでいたのだが、なんとベランダからそれはそれは鮮やかな緑色の小鳥がやってきたのである。どのように捕らえ、飼い始めたのかは全く思い出せない。なぜ我が家に鳥カゴがあったのかも不思議である。しかしとにかく突然やってきたこの美しい小鳥をカゴに誘い込み、飼い始めたのである。図鑑で調べ、コザクラインコであろうということにした。ピーちゃんと名付けられたその小鳥はやはり部屋に招き入れられることはなく、ベランダで日々を過ごしていた。当時の小鳥を飼うということは、愛でる為だけだったのだろうか。絵を描くのが得意な母が、ピーちゃんの絵を描いて、マンションの掲示板に“迷い鳥預かっています”と貼ったりもした。しかし程なくしてピーちゃんは、母が餌を入れ替える隙にカゴから脱出、ベランダを飛び出し、しばらく母のことを見ながらホバリングしたのち、大空へ消えていってしまった。
しかし3度目の小鳥との出会いがあったのは、ピーちゃんがいなくなってから、おそらく間もないときだった。8階の我が家のベランダは、幸せを呼ぶベランダであったのだろうか。またもや小鳥が迷い込んできたのだ。このときは水色のセキセイインコであった。子どもの頃はそのような偶然を不思議に思わず、ただ喜んでいた。人生で2度も小鳥が迷い込んでくるなんて、よくあることなのだろうか。とにかくまた小鳥を飼うことになった。同じピーちゃんでは味気ないという理由で、この小鳥はピッピと名付けられた。しかしそのピッピもまた大空にはばたいていった。
この2度の小鳥保護(?)事件は、果たして事実なのだろうか、と疑うときがやってきた。怪しいではないか。あんなにきれいな小鳥たちの写真一つないのだ。ましてやピッピなど、私以外の家族には記憶すらないというのだ。
さらに事態を悪化させることが判明した。私達が生まれる前、父と母がまだ2人で団地に住んでいた頃、キンカチョウが迷い込んできて飼っていたがしばらくして逃げたことがあったというのだ。これで我が家に鳥カゴがあった謎は解けた。いや、そんなことはもはやどうでもいい。父と母にしてみれば、人生で3度も鳥が迷い込んできたことになるのだ。こんなことがあっていいものか。2度はあっても3度はないのではないか。いよいよピッピの存在があやしくなってきた。名付けのエピソードという具体的な記憶があってもなお信じることができない。
この先記憶がよみがえることはあるのだろうか。
すべて事実であれば3羽の小鳥たちのその後を思うとゾッとする。逃がしてしまったことじたい、お叱りの声があると思う。春が来て、再び小鳥を飼うことになるときのために、この件もしっかりと心に刻んでおこう。