小鳥が死んだ日
昨日の寒さが和らいだ朝、小鳥が死んだ。
昨年から突然鳥好きになり、鳥グッズを集め始め、小鳥を飼う日を夢見ていた末の娘に、ついにお迎えしてあげたばかりの小鳥だった。
我が家に来て、たった2週間の儚い命であった。
小鳥は寒さに弱いのだ。先日の急激な温度変化に耐えられず弱りきってしまった。寒さは小鳥にとって生死を左右するほどの一大事であったようだ。
まだヒナで、カブトムシ用のケージに暮らしていた小鳥には、角に表面から貼るカイロを貼るようにと、購入店の女性店員から言われていた。その通りにした。
ヒナのお尻が汚れ始めたのは5日前のことだった。お尻が汚れているのは下痢をしているサインなのだ。しかしよく鳴きよく食べ子どもたちと元気に遊んだ。この場合、人であれば様子見だ。人のように見守ることにした。
とても寒くなった日、あまり食べなくなり、鳴く回数が減った。しかし、挿し餌のためケージから出すと、食後元気に飛び回るのだ。たくさんではないが食べるし、飛ぶし、鳴くし、大丈夫なんだろう。
初めての小鳥だったので本当は不安で仕方なかった。購入店に聞きたかった。しかし運悪く定休日が続き、頼れるのはネットだけだった。一日食べないと死んでしまう、とにかく温めるなどの、情報をえ、その通りにした。店に相談できたのは翌日のことだった。そのときにはほとんど食べなくなり、弱りきっていた。小鳥を見せに連れていくことが許され、店につくなり店員が一言目に小声で「これ明日までもつかな」と。そばにいた娘に聞こえていなかったのは幸いであった。それ以外は親切であった。“そのう”がぺちゃんこであり、固形の餌を食べられなくなっていたらしく、給餌やその晩の介護の仕方などていねいに教えてくれ、介護用の餌を無償で分けてもらい、病院を紹介してくれたのだ。
その日は介護食を上手に与えることができ、いつもよりカイロを増やし、ケージを毛布でくるみ、保温バッグに入れてケージ内を30℃に保って眠りについた。朝また会えるようにと祈るような思いで。
翌朝心配で心配でものすごく早く目覚めた。ケージを見るのが怖い。布団の中で30分が過ぎた頃、こうしちゃいられない、少しでも食べさせなければと飛び起きた。小鳥はまだ生きていた。声をかけると、か細い鳴き声でこたえてくれた。ひとときの安堵。急いで餌の準備。湯に溶かされドロドロになった餌を小鳥に与え始めた。左手に抱えた小鳥はさらに軽くなっていた。そのことが私を掻き立て、少しでもたくさん食べさせなければと少し嫌がる小鳥を逃がすまいとスプーンを嘴に運び続けた。一度手からするりと逃げ出し食べるのをやめた。後で病院に行くのだからもういいかと、諦めかけたがやはり心を鬼にしてもう少しと思ってしまったのが何もかも間違いであった。このときケージに戻していれば。
無理やり引き戻し、慌てふためき鳴きわめく小鳥に私はスプーンを再び運び続けた。
その結果、小鳥が死んだのだ。
手の中でジタバタとものすごい力で暴れ、ギーギーと鳴き叫んでいた小鳥が突然目を閉じぱたりと動かなくなった。一瞬のことであった。
自分の手の中で、確かに温かく、力強かったものが消えてしまった。形はあるのに消えてしまった。ろうそくの火のように消えてしまった。襲いかかる得体のしれないものに耐えきれず、まだ早朝だというのに大声で家族を呼んだ。悲しみの時間が始まった。
弱った小鳥を暴れさせ過ぎてしまったのか、失神しただけでもしかしたら救命できたのか、今となってはわからないが、恐らく私が窒息させてしまったのだろう。私が殺してしまったのだ。わきあがる後悔と対峙している暇もなく、家族を落ち着かせる役割に徹し、今ようやく反芻している最中である。
忙しい一日であった。子どもというのは悲しみの中でも何かに集中しだすと大声を上げて笑ったりできるものだということを知った。しかし少しのきっかけでまた突き落とされ、その繰り返しなのだ。夜寝付くまで思い出させないように、楽しみで時間をうめてやることに勤しんだ。その後が私にとって恐怖の時間となった。もちろん自分の知識のなさで一つの命を奪ってしまったという事実があり、小鳥に対しての申し訳なさがあり、単純に小鳥が死んで悲しい。しかし私は、幼い娘に辛い思いをさせてしまったことのほうに、より責任を感じている。私は小鳥の命を軽んじているのだろうか。自問自答、自己嫌悪、堂々巡りである。時間が解決してくれる日は本当に来るのだろうか。
昼間娘は泣きながら私に言った。小鳥は体が死んでしまったけれど、魂は次の体を探してもう一度生まれると。春が来たらもう一度小鳥を飼う、それが今朝死んだ小鳥の生まれ変わりなのだと。
小鳥の死は小鳥でしか補えないのかもしれない。月並みのことを言うが、小鳥の死を無駄にせず今度こそ大切に育てようと思う。
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