放浪記#2 「基本的人権の確保と無痛主義」

 こんにちは。今日もぺちゃくちゃと思いついたことを綴っていきたいと思います。
 
 ここ最近、パワハラ、セクハラ、スメハラなどの言葉がでてきたように、一人一人の嫌なことがしっかりと主張できるようになり、その主張により国のルールまでもが変わる社会になりました。人間の長い歴史の中でようやく、皆の人権が尊重される時代がやってきたのです(日本の場合)。

 それと同時に、苦しみは訴えるべきものだ、逃避するべきものだ、という人が多くなってきているとも感じます。皆、自分の中にある不快な感情に敏感になり、それを「苦しみ」だと認識し、徹底的に排除しようとするようになったのだと思います。 
 基本的人権が尊重される前までは、大多数の人は自分の中にある禍々しい感情を「苦しみ」として認識することすらできなかったのではないかと思います。そもそも「苦しみ」という概念すらなかったでしょう。「何か不快なものが心の中にあるなぁ」とはわかっても、それが社会に訴えるべきものである、積極的に逃れるべきである、とは思わなかったでしょう。

 したがって、最近はやりの無痛主義というものは基本的人権が尊重されたことが原因で生まれたものと言えるのではないでしょうか。
 
 この無痛主義は、人類存続という目的においては弊害になるのかもしれません。ただ、地球環境をよくするという点では、進歩なのかもしれません。まあ、私個人としては、この無痛主義が蔓延し、人類がおとなしく幕を閉じるのが潔いと思う次第です。

 
 


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