ジョン・ウェットンとの思い出
お金がない中学生の私の楽しみは、
もっぱら図書館でCDを片っ端から借りて聞く事だった。
当時は90年代に突入したばかりで、
80年代の音楽、映画、ファッション、カルチャーが全てダサく、チープで、センスのないように思えた時代だった。
ある日いつものように、図書館でCDを借りてきた。
何やら中学生の心をくすぐるドラゴンのジャケット。
アルバム名は「永時感」と書いて”エイジア”と読ませる、少し時代遅れで恥ずかしいネーミングセンス。
またいつものように、ジャケット負け(=ジャケットはいいが、曲が微妙)だろうとCDを聴き始めた。
しかしその予想を裏切り、
その日から私はジョン・ウェットンの渋いボーカルとそのベースプレイの虜になり、その後、数十年聴き続ける事になった。
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2017年1月31日。ジョン・ウェットンが亡くなった。
ウェットンを知って最も好きなアーティストになって25年。四半世紀にわたって、私の心の第一線で魅了し続けたwettonは67歳でこの世を去った。
ソロやオリジナルASIAの公演を何度か見に行った自分にとって、もう見れないのだと思う度に寂しい気持ちになると同時に、今まで感じたことのないような喪失感を抱えて、半月くらいこのショックを引きずっていた。
さて、グダグダと書く前に気持ちを吐き出してしまう。
この画像は、私が撮影したジョン・ウェットンの写真。
撮影したのは確か、2007年3月10日の正午頃だったと思う。
この日はオリジナルのメンバーでのASIAの初来日公演を夜に控え、昼に御茶ノ水のクロサワ楽器でサイン会があると情報を掴み急遽並んだ。
私はサイン会1時間前くらいに行ったら、店の前の小さい通りに、2、3人の気の早いファンが並んでいたと思う。私は当時20代で、並んでた人は40〜50代と年齢層は比較的高めだった。
私は以前にもウェットンのライブに行っていたので、生ウェットンは初めてではなかったけれど、目の前でサイン会は初めてだった。
あまりにも興奮していたので、うろ覚えだが、
ウェットンを目の前にし、ASIAのファーストアルバムのレコードを両手に持って固まっていた。
「プリーズ」だか「サンキュー」だかを蚊の鳴くような声で発したと思う。
目が会った瞬間、コクンと小さく頷いてくれた。
そして、目の前のレコードジャケットにUFO?みたいなサイン描いてくれた。
そして去り際、撮影OKだったことを思い出し、私はジョンをカメラに収めた。
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あれから10年。まさかの訃報だった。
またライブで「Heat of the Moment」や、アレンジしまくった「偽りの微笑み」が聞けると思っていた。
また、エイジアの新譜が2、3年おきに出ると思っていた。
もう見れない、もう会えないというのはこんなにも辛いなんて思わなかった。
レコードやCDは、当たり前だが寸分違わぬ音を出し続ける。新しいパターンのウェットンの声は、もう聞けない。
昔好きだった人が最近亡くなったのではなく、片時もその音楽を途切れさせず、ずっと好きでいた人が亡くなったという経験は初めてだ。
今でもこの思いは整理しきれていない。