映画『三文役者』の「河内音頭」にみる、「歌」の「指示表出」
2020年の9月から美学校で大谷能生さんの「歌というフィクション」という講義を受けてきました。
明治から令和までの日本のポップスを整理して紐解いて、どうやって歌が作られてきているのか、歌というものは何なのかということを考えていくという内容でした。私もこの講義をきっかけに、歌についてあれこれと考えるきっかけになりました。
講義の中で、「歌」という行為は「言語活動」と「音楽活動」とが混ざっている曖昧な状態であると。
そしてその「言語活動」には、「自己表出(自己アピール)」と「指示表出(他者との掛け合い)」がある。
現代のポップスには「自己表出」の自己が肥大化していくものが多いので、大谷さんはそこを再定義していきたいとおっしゃっていました。
私は普段は民謡や神楽などの日本の民族音楽を好んで聴いていて、日本各地を訪ねて聞き取りをしたり、古い音源を探したり、民謡を習ったりしています。今まで訪ねた所は80地区以上になります。
(とはいいながら興味を持ったのは大人になってからで、ライブもフェスも大好きなばりばりのJ-POP育ちです)
先日たまたま観た映画『三文役者』が、かつての日本の「歌」の「指示表出」を説明するのに良いなと思ったのと、私なりに今まで見たり聞いたりしたことから、大谷さんの視点とはちょっと異なるところから、思ったことなどを書いていきます。
(ぼろぼろと不勉強さも出てくると思いますが、何卒ご容赦くださいませ。また解釈が間違っていたらすみません。)
■「念仏(高揚ループミュージック)」と「歌垣(男女デュエットソング)」
日本の民謡(かつてのポップス)で歌われる歌詞は、「自己表出」のものは少なく「指示表出」が多いなと思います。それは、民謡に影響を与えたと言われる「念仏」と「歌垣」からの成り立ちを見ていると納得ができます。
「念仏」は、法事などでもお馴染みの通り、木魚や鐘を叩きリズムに乗りながら詠みあげるお経です。お経にはありがたいことが書いてあり、儀式的な場面で使われます。
変化もなく詠みあげるのだけではなく、声明のように声に技巧的な節をつけてお経に抑揚をつけて詠みあげたりと、宗派によってバリエーションも進化しています。
今では、お経は依頼された和尚さんしか詠まないところも多いと思いますが、かつては和尚さんに続いて集団で詠みあげたり、地域に念仏講という集まりを作って定期的にお経をみんなで詠みあげていたりした習慣があるようでした。その日常的な習慣となって身体に染み込んでいた念仏は、日本の芸能史を紐解いてみてもかなり影響が大きいようです。大衆文化である民謡や民俗芸能などをみていても、念仏の影響を色濃く残しているのがわかります。(信仰心の低下と地域コミュニティの解体とともに念仏も消えつつありますが)
長野県佐久市に伝わる民俗芸能の「跡部の踊り念仏」。
これは一遍上人(1239-1289)が伝えた、念仏に踊りをつけた「踊り念仏」です。「踊り念仏」は「南無阿弥陀仏」を唱えて踊るだけで誰でも極楽浄土にいけると全国的に流行っていき、盆踊りの元祖とも。
太鼓と鐘に合わせて「南無阿弥陀仏」を唱えているうちに、踊りもどんどん激しくなっていきます。
「南無阿弥陀仏」って唱えているうちに、どんどん意味のなくなっていく言葉の響きですよね。
岐阜県郡上市の徹夜盆踊りで有名な「郡上おどり」のヤッチクという曲。
75調で繰り返される口説という物語を歌っています。だんだん念仏に聞こえてきませんか。
この延々とループする心地のよさは、徹夜でもずっと踊っていられる要素に繋がっていきます。
実際に郡上踊りに行ってみるとわかるのですが、生演奏の盆踊りで老若男女が明け方まで踊り続ける様子は圧巻です。日本にも昔からクラブはありました。
お経はみんなで歌う(そして踊る)、ループミュージックでした。
「歌垣」とは、不特定多数の男女が特定の日の夜に集まり、月明かりの中で、気になる人に求愛をする目的のために、男女に分かれて掛け合いの歌を歌いあう遊びです。万葉集にも描かれており古代から行われていたものです。
(現代においての男女デュエットソングの元祖。民謡研究家の竹内勉的に言うと「男女の歌問答掛け合い唄」。)
好きな人に大勢の人の前で、即興で歌って踊って告白するって、想像しただけで盛り上がりしか感じません。
歌垣自体はもう廃れてしまっていますが、各地の民俗芸能の中では、歌垣の掛け合いの要素があるものは残っています。
秋田県横手市に400年続くフリースタイルラップバトル「金澤八幡宮掛け歌行事」というものがあります。老若男女がペアになりお題を元に即興で歌詞を考えて歌を掛け合っていきます。
なんと夜の9時から始まり翌朝5時まで行われています。熱いです。
相手が掛け合いの返しに困るような歌詞も考えるんだとか。
おじいさんと大学生の掛け合いバトルなんて、最高な光景です。
実はまだ現地で見たことがないので、コロナが明けたら早く行ってみたいお祭りのひとつです。
こちらのブログが詳しいです。
また岐阜県郡上市になりますが「白鳥の拝殿踊り」という盆踊り。
中央に音頭取りが不在で、歌詞の順番もなく、決まっているのは演目のみ。
踊り子たちの輪の中から歌いたい人が歌を歌い出し、即興で歌詞の掛け合いができていき、踊りが繋がっていく。拝殿では、何が起こるのか誰にもわかりません。日本にサイファーがあったのです。
また、神社の拝殿の板の間に上がって下駄をはいて踊ることで、その下駄の音がリズムになり楽器の代わりにもなっています。
歌垣は、誰かに向けた掛け合いを楽しんでいたようです。
余談ですが、去年Twitterでもバズっていた
King Gnu 井口理とaikoの「カブトムシ」も歌垣的な掛け合いの要素が入っていそうです。「歌」で呼応し合う二人の姿が、なんと官能的かとドキドキしていました。
異なるもの同士が、永続的ではなくとも、ある瞬間だけでもひとつになろうとするところに、生まれてくる何かがあるのだと思います。
それは他のどんな文化にも言えることだと思います。
■民謡の指示表出性、どんな目的で誰と歌うのか
民謡は、集団の中で共有されながら目的を持って歌われてきたものと想像されます。
(世界的なもので日本だけに限らないかもしれません。)
「自己表出」よりも「指示表出」が全面に出ています。
しかし、そういった「指示表出」性の高かった民謡から、現代の商業音楽が主流になっていくにつれて
歌には「指示表出」よりも「自己表出」が多くを占めるようになってきました。
もう一度「歌」というものを立ち直って考えていくのであれば、
歌われる「目的」と、「誰と」歌っていたか「誰に」歌っていたかという民謡の要素が
「指示表出」の「歌」のことを考える上でひとつの視点になるのかなと思います。
また、民謡研究家の竹内勉が「日本の民謡(1973)」の中で民謡が存在するための要素を定義をしています。
<民謡が存在するための民謡四大要素>
・誰が(演唱者職業)
・何処で(演唱場所)
・何のため(演唱目的)
・どのような動作をともなって(演唱時動作)
目的の項目を見ると、民謡は、「祈願/感謝/統一/高揚」の中に分類される目的で歌われてきたようです。
これに、「誰と、もしくは誰のために」という他者に関する項目も追加してほしいなと思いますが、かつてのポップスである民謡の目的は、現代のように切り離された「娯楽」を楽しむものだけでなく(上記の竹内勉の表でいうところの「高揚」でしょうか)、生活のさまざまな場面と目的で使われてきたようです。
それが如実に現れているなと思った映画があったので、ご紹介します。
■フィクションとノンフィクションが折り混ぜられる民謡
新藤直人『三文役者』(2000)
昭和の個性派名脇役・殿山泰司を竹中直人が演じ、その半生を描いた映画。
その中のモチーフとして「河内音頭」が度々登場します。
河内音頭はレコードになって人気を博した大阪の民謡であり、今でも夏の盆踊りでは主流で踊られています。大阪の人にとって、とても馴染みのあるものです。
(東京でも墨田区の錦糸町河内音頭第盆踊りが、東京では貴重な生演奏で踊れる盆踊り会場として、老若男女から人気を得ています。)
①泰司がキミ子の父にキミエをくださいとお伺いしに行くシーン
頭の堅い親父さんをどうにかして納得させようと、正面を切って挑むものの、なかなか話が進まない。
そこでふとした話題で親父さんの故郷の歌である「河内音頭」が出てくる。親父さんが陽気に歌い出し泰司と一緒に盛り上がる。
②ふたりが同棲する部屋で歌うシーン
キミエさんの親父さんを納得させて落ち着いたところで、赤坂へ引っ越しをする。
家で泰司がキミエにマッサージをしてもらいながら会話をしている。改めてお互いが相手のことを好きであり、これから幸せな生活をしていきたいと、河内音頭に即興的に歌詞を乗せて歌の掛け合いをしながら踊る。
そのまま盛り上がり、二人だけの甘いイチャイチャタイムに入っていく。
③泰司のご臨終のシーン
泰司の病気が悪化し身体が動くなり、ご臨終の病院のベットでのキミエとのやりとり。
キミエに苦労の多い生活をさせてしまって申し訳ないことと、今まで一緒にいてくれてありがとうと感謝を伝える泰司。キミエに「河内音頭やりてえな」と言う。
河内音頭には、キミエから泰司へ、死んでほしくない悲しみの気持ちをのせている。
歌にすることで「本心は別れたくないんだけど、無理はしてほしくないんだからね」というわずかな余地も残しているようにもみえる。
この河内音頭を聞いて泰司は息を引き取る。
映画の中で「河内音頭」が、二人の感情表現にとても良い機能と効果を発揮している。
付き合いたての頃は二人の恋を確かめ合うように。
泰司の死の時には、愛おしい人と別れたくない気持ちを込めて。言葉を音楽にのせて歌うことは、楽しさを倍増させ、悲しみにも寄り添ってくれるもののようだ。
「イヤコラセドッコイセ」という意味の持たない返しを反復的にはさむことで、音楽としてのフィクション性を作っていて、歌われる歌詞の内容は相手との会話のノンフィクション性の要素もあり、フィクションとノンフィクションが「歌」を媒介としてちょうどよく行き来しているようである。
面白いのは「河内音頭」という良い感じの俗っぽさのせいか、歌で会話をしてもミュージカルにはなっていないところだ。生活の中に当たり前の行為のように「歌」が存在している。
私はそんなさりげない二人の歌のやりとりに、うっかり大泣きしてしまった。
河内音頭がただの台詞だったら、シーンに印象にも残らず、おそらく泣かなかっただろう。
「歌」がまだ「指示表出」としての役割を十分に担っていた時代でもあるのだと想像される。
また、映画の中では以下のシーンにも「歌」が使われている。
不遇な境遇をさせてしまった息子の結婚式で、嬉しい反面に頼りない父親でごめんなと会話をするシーンである。
場のつなぎとして友人の乙羽信子に「嫁取り歌」を歌ってもらう。
テープ音源ではなく当然のように人に祝い歌をBGM的に歌ってもらう様子に驚いてしまった。
「歌う」という行為が今よりも限定されていなかった時代だったのだろう。
そして「歌う」という行為の目的が「娯楽」以外にもあったのだと思われる。ここでは「歌」が「祝う」という目的に使われていることも伺える。
わずか20年前の感覚であろうが、作品として「歌」を鑑賞することに慣れた今の我々には明らかに消失しているものだ。
ここでの「歌」の権利者は作家のものではない。自分たちの意思で「歌」を歌い、言葉を紡ぎ合う。
「歌」は限定的なものではなく、「歌」も「人」も「場面」も全てが、とある時間のとある空間のなかのひとつの光景として描かれている。この「歌」には実態はない。
■時代によって変わる「歌」の目的
時枝誠記は『言語学言論(1941)』の中で、以下のように述べている(すみません、私は未読です)。
・言語活動には実態がない
・言語活動とは人とやりとりするためのもので
「主体」「場面」「素材」と「聞く人(目的)」が揃って成り立つ。
大谷さんはこれでは無用で意味のないものは生まれない。
特定の作者の作品制作の場での条件ではないかとおっしゃっていました。
おそらく「歌」に対する認識が時代によって違うと思われるので、
時枝の時代には今よりも民謡が盛んに歌われており、「歌」が今よりも境界線が曖昧のまま日常の中に浸透していたのではないかと思われます。
竹内勉の指摘する民謡の存在する要素ともかぶっていますし、映画『三文役者』の中では上記の条件が揃って描かれていたようですし、子供のわらべうたや宴会での酒盛り歌では、無用なエラーがたくさん生まれていたと想像します。
現代のポップス表現を拡張したいというのであれば、歌に「娯楽」以外の目的を持たせることはひとつ可能性としてあるかもしれません。
例えば校歌は、コミュニティの統一のために作られた「歌」ですが、形式化しすぎて遊びがない感じです。
遊びを持たせながら「歌」に目的を持たせることはどうやってできるでしょうか。
■友人の結婚式のために伊勢音頭を歌う
私も実は「歌」を娯楽以外の場面で歌った経験があります。
東京ではなかなか馴染みがないかもしれませんが、「伊勢音頭」という全国的に歌われている民謡があります。
伊勢音頭は伊勢参りからお土産として持ち帰ってきた歌として各地に持ち込まれて、お祭りの場面や祝いの場面など、人々に親しまれ歌われてきた今でも残るお江戸の大ヒットJ-POPです。
愛媛県西条市の西条祭りでも、大きなだんじりを曳く時に「伊勢音頭」が歌われています。
だんじりを中心として、お酒を飲みながら、みんなで大合唱して街を練り歩く姿はとても気持ちが良いです。
千の風になっての秋川雅史さんも西条市出身で、お祭りは欠かさず地元に戻って参加しているみたいです。
秋川さんが地元のお兄ちゃんたちと伊勢音頭を歌っている動画は、コールアンドレスポンスとピカピカ光るだんじりと祭りの空気とあらゆるものが混ざっていて一体感が溢れていて本当に最高です。
この西条祭りの伊勢音頭が祝い歌としてお祭りの時以外の結婚式で歌われる動画がありました。やんちゃなお兄ちゃんたちが大いにカッコつけて友人に自分たちの土地の歌を贈る、良い場面です。
私も、盆踊り仲間の友人に結婚式にこの伊勢音頭を歌って祝ってほしいと頼まれたのです。
引き受けた時は、いつもの民謡を歌う感じかなと思っていました。
しかし、いざひとさまの人生の大事な結婚式の場で誰かのために歌を歌うということは、
何気なく歌っていた歌詞が急に真実味を帯びてきて、感極まってしまいました。
普段はフィクションで楽しんでいたものが、誰かのための目的を持つとノンフィクションとなって現れたのです。
こうやって日本人は節目の度に歌を用いてドラマチックに演出をしてきたのだなと想像しました。
そしてこういう経験をしてしまうと、そんな「歌」が作り出す世界をもっと楽しみたいという欲も出てきます。
■歌で遊べる場面を増やしたい
私は作品として切り取られポータブルに楽しむような「歌」も好きですが、実践の中で自分以外の誰かと歌で混ざって行くような「歌」の瞬間がとても好きです。もちろんカラオケとかフェスも好きです。
カラオケやフェスで感じる「歌」の一体感もいいのですが、それだと空間が限定されて、「歌」の行為としてはとても狭いように感じます。
現代でも何とかして、そういう身体性のある「歌」の領域を広げられないかなと思っています。
お祭りのフィールドワークをしていて、自分の土地の歌を神社の境内などでみんなで大合唱している酔っ払いの青年たちをみると、自分もメンバーに入って乱入していきたいなとも頭によぎり、そういったものを持っている人たちがすごく羨ましくなります。
そういうことから、今はポップスより民謡にすごく夢中になっています。
伝統だから興味があるというわけではなく、民謡は「歌」という行為の可能性がとても広いのです。
とは言いながらも、民謡はポップスとは現代の文化としてかなり差異ができてしまっているので、説明がしづらいところが悩みです。私としては、民謡もポップスも音楽体験として同じところにあります。体験したからこそ区別をせずに同じ延長上で考えることができるのか。これは体験しないと伝わらないのか。
また、祭りや結婚式は祝祭の場という明らかな非日常が前提とされ、その演出に「歌」が効果を発揮するのはよくわかります。もっと日常の中でも気安く「歌」を使えないだろうか。
だからこそ20年前の映画『三文役者』の中で「歌」が生活の中の「会話」の役割としての感覚が生きていた時代に驚きました。しかも歌いながら踊るシーンもありました。彼らの生き様を表現する姿は、とても自由です。
この文章を書いていて、私は民謡の「指示表出」性が好きなんだなと思いました。
その「指示表出」とは、自分の声さえあれば「歌」を再現できるという、ミニマムで豊かな遊びを楽しんでいたのだなと。
盆踊りの唄を練習し始めた友達にその理由を聞いた時「音源がなくても自分で歌えばどこでも踊ることができるじゃん」という回答が、衝撃を受けました。声は日常で会話をすることもできるし歌うときの楽器になることもできる、表現の幅がとても広く、一番身近で遊べるもの。
固有の音源に縛られることもなく自分で音楽って作れるんだ、なんてカッコいいのだろうと影響されて、今では民謡の実践者になりたいとの思いで歌の練習もしています。
「歌」で遊びを続けるためにも、どうすれば歌われる「場面」がもっと日常の中に侵食し適応していくのかを、今後も考えていきたいと思います。