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山村佑理ソロ公演 『待つ』
(※公演の具体的な内容に関する言及があります)
自由が丘駅に来るのは久しぶり。
最後に来たのは、今年の夏に、ジャグラーの鳥居ひろみきくんと会った時。バリエテ出演でドイツに行く前に、一緒にサイゼリヤでご飯を食べた。その日ひろみきくんは、山村佑理さんのワークショップに行くんだ、と言っていた。
山村佑理くんのソロ作品『待つ』の存在は、前日の昼にTwitterで知った。
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山口の宇部空港で、東京に帰るための飛行機を待っているところだった。14時には羽田について、一度家に帰って荷物を置いても19時の公演に十分間に合うな、と時計を見て計算する。でも一人で行くのも寂しいな、と考えた時、ふと、あ、これは大吾さんも多分見に行くはずだと思って、メッセージをしたら、案の定彼もちょうど行くということだった。
では、行きましょう。
東京に着陸し、自由が丘駅で待ち合わせて、てくてく歩いて会場へ。
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※※※
会場となったのは、アニメーション作家・山村浩二さんのスタジオの真下にある、ショップ兼ギャラリー、Au Praxinoscope(オー・プラクシノスコープ)。
入り口に、大吾さんがかつて作った金色のボールが置いてあった。
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中に入ると、佑理くんが受付として迎えてくれる。チケット代3,000円を払って、ドリンクはセルフサービス。日本酒もあった。でもさっき山口から帰ってきたばかりでちょっと疲れているから、酔ったら寝ちゃうかもなと思い、ウェルチで我慢。
開演時間ギリギリだったので、入ったらすぐに公演が始まった。
照明を調整するのも、音楽をかけるのも、すべて佑理くんがやる。本当に全て自分でやるソロ作品だ。
ボールの大群を前に、観客に背を向け、佑理がずんと立っている。その立ち姿に、安心感がある。別にこっちが気を遣わなくてもいいような、そんな立ち方。見る方が気を遣うタイプの鑑賞ってあるじゃないか。そういうのがない。ただこっちはこっちで見ているだけ。それで全然いい、というまっさらな感じがあった。
表現者と鑑賞者の距離は近かったが、圧が全然ない。
立ち方も以前と少し変わったなぁ、と思う。なんだかちょっと丸くなった。ああ、俺たち歳をとってきてるよね、と思った。いいことだ。
ボールをつまんだり、積んだり、時々"ジャグリング"らしく投げたり、そしてカリンバを爪弾いたり、ただアクションが続いていく。カリンバがマイクに繋がれていて、機材がそれを増幅し、振動が音楽に変わり流れ続けている。そこに何ら意味はない。全体の速度はゆっくりしている。時折、素早く動き出したりする。エキサイティングではない。でも、ボアリングでもない。中間のところ。
演者自身があらかじめ言っていた(スクリーンセーバーみたいなジャグリングがしたい)ことを知っているからそういうふうに見えた、というのではない。本当に、かなりの動作が、ちょうどいい塩梅の緊張感に落ち着かせられているなと感じた。
3年前の僕が言ってた事を実現するための手立てが、今回のクリエイションでひとつ見えた気がします。 https://t.co/VSi7x37iKG
— YURI YAMAMURA 山村佑理 (@yuriyamamura_) November 9, 2024
佑理くんはどんどんそういうあり方が上手くなっているなぁと思う。自分がこうだと感じる方向に時間をかけて歩み寄っている姿が頼もしい。そしてまた、やっぱ違う!となって別の方向に向かって行ったりするんだろうけど、少なくとも一歩一歩踏みしめている感じ、というのがいい。
中でも光った演出は、ガラスの引き戸を開けて中庭に出てゆき、そこでジャグリングをするシーン。観客と演者との間にガラスのレイヤーが入り、それまではっきりと小さいディテールまで聞こえていた演者の動く音、ボールがたてる音、衣擦れの音のすべてが突然、遮断される。耳に入っているのは、観客が座っている部屋の方で流れている音楽だけ(これも佑理が作った音楽だ。その場で作った音楽)。外に出ちゃう、という最低限のアクションで、場面の次元がまったく変わってしまうのが面白かった。映像の方をミュートして、音楽をオーバーレイすることが、現実でできちゃうなんて面白い。そしてその時僕が見ていたのはむしろ、見慣れたビデオの中のゆーりだった。さっきまで汗の一粒ずつまで見えていた人がいきなりビデオの中の人になっちゃって、また戻ってくるというこのふたつの次元の往還、かなり面白かった。
※※※
僕は公演中、最近出会った一歳児のことを思い出していた。
貴重品を入れる小さなロッカーの鍵を、ズボッと抜いては笑顔で僕に見せてきて、僕がその鍵を入れ直すと、すぐさまズボッと抜き、また僕に渡してくる。僕らはそのあそびを延々、二人で十五分以上繰り返していた。それが娯楽として成立し、弾けんばかりの笑顔を向けてくる一歳の人間の心象を羨ましく思った。
僕はいったい、いつから待てなくなったのだろう。