ほぐせ、こころのコリ 第3回 すこしあたたかい気持ち
この文章を書く習慣自体が、心のコリをほぐすような体験であったらいいなと思います。普段使わないような部位を動かす運動って心地いいですからね。それほどストレッチなんかしない人間が、たまに前屈とかすると、気持ちがいいです。そう、これは僕のことです。僕は取り立てて身体が硬いわけではないんですが、かといって別に柔らかい、というわけではありません。だから、たまに寝る前なんかにグーっとストレッチをすると、とても気持ちがいいです。
そんなふうに、足りていないところを伸ばすストレッチのような感じで、文章を書けるといい。
この連載を通して言いたいことは、ほとんど、それに尽きます。文章を書き(あるいはそれが絵でも、映像でも、なんでもいい)それをひとつのパッケージにまとめて手に取れるものにすることは、ストレッチが身体をほぐすように、心をほぐす機能がある、ということです。
ただ僕にはその直感があるだけで、実際にそれがどういうことなのか、まだわかりません。それを理解しようと思って、この文章を書いています。あるいは、書き終わってもあんまりよくわからないのかもしれませんが、まぁ、やるだけやってみましょう。
具体的に、『ジャグラーのぼうけん vol.1』を書いた経緯について、書いてみます。小さな本ですので、それほど大袈裟な仕事ではありませんでした。でも、ひとまずこの一冊の本が成立するまでの過程を辿ってみます。
この本は、主に僕がジャグリングを携え、海外でしてきた体験について書いたものです。でも僕は、そんな旅の経験について、すでに何度も文章にしてきました。本に収録されたのとほぼ同じ内容を書いたこともあります。その多くは、僕が発行しているジャグリングの雑誌「PONTE」の誌上に掲載したものです。あるいは、依頼されてウェブ媒体に書いた文章もありました。
『ジャグラーのぼうけん』は、とても難産な本だったと言えます。特に、書く内容の方向性を定めるまでが大変でした。そもそも何について書いたらいいのか、全然わからなかったのです。
この本を書くきっかけとなったのは、本屋・生活綴方の監修をされている中岡さんに「何か書いてみてください」と勧められたことです。よし、やったろう、と思って机に向かいました。真っ先に書こうと漠然と思い浮かんだテーマは、「ジャグリングのこと」です。
僕はジャグリングを十五年以上やっていて、ジャグリングが人生でも多くの部分を占めています。だからこれについて書くのは自然な成り行きです。じゃあもっと具体的に、何について書こう、と思ったら、やっぱり世界を旅した話かなぁ、と思いました。「ジャグリングをきっかけにして世界を旅する」なんてことは、なかなか体験できることではありません。まぁ、要するに「おいしいネタ」でもあるわけです。やっぱり、これが一番かな、と最初は思いました。
でもどこか、それは違うんじゃないか、という思いも拭えませんでした。だって、もうすでにそういう話については、何度も書いてきたからです。同じ話をするのは、どうも気が引けます。
それで僕は少しテーマを変えて、「今、自分にとってジャグリングとはどのようなものであるのか」についてを、心の赴くままに書いてみることにしました。その内容は、概ねこのようなものです。「自分はなんとなくメジャーのシーンにいるような気がしなかった。どこか疎外感を感じてジャグリングをしてきた。でも、そんな自分でも、それ相応の居場所はどこかにあるんじゃないか、という気がしている」ということです。
しかしこの内容は、書いていく中で、なんだか重い気持ちになりました。泣きながら原稿を書いた日もありました。パソコンでは全然書けなくて、五時間向き合った後に、唸りながら散歩をして、帰ってきたらノートを開いて、そのノートに猛然と十ページの文章を書いたりもしました。それでも、納得いかなかった。書く意味がないとは思いませんでしたが、どうも、掘り進めるのが異様に難しい、硬い地盤を無理くり採掘しているようで、徒労感がありました。
そんなふうに悶絶していたら、ある日フッと気持ちが軽くなって、「そうか、僕がどんな人に出会ってきたのか、もう一回改めて、別のお客さんに向けて書けばいいいじゃないか」と思ったのでした。理由はよくわかりません。結局、自分が好きなものについて書くのが一番楽しいだろうな、と思ったんです。
それに、海外で出会ったジャグラーたちのことについては、確かに今までたくさんの文章を書いてきましたが、それをまとまった形に、具体的に言えば、一冊の本にまとめたことはありませんでした。だから、これはこれで意味のあることだと思いました。というか、全く違う経験になるだろうな、という予感がありました。そこでもう一度腰を据えて、海外での経験と、その始まりについて書いてみることにしました。
僕は『ジャグラーのぼうけん』を書き終えてみて、表紙も自分で描いて(ついでに印刷の大部分も自分でやってみて)、案の定、今までに感じたことのない充実感を感じました。今までとはどんなところが違ったのか。
まず、自費出版ではなくて、版元が出してくれている、ということがありました。本屋・生活綴方は、規模は小さくても立派な版元です。ここから出版される本は、中岡さんの編集を経た上で出版されています。そして何より、僕が自分で出すのとは、客層が全然違います。今までとは異なる人たちに本が届いている、ということがすぐにわかりました。
PONTEは、多少の例外はあれど、概ねジャグリングに何かしら関わりのある人たちが買ってくれていました。でも、今回の『ジャグラーのぼうけん』は違います。この書店が持っているネットワークを介して、自分一人ではアプローチできなかったような人たちに本が届いています。
そして何より、一冊の本としてまとまりを持ってそこにお話が存在していることに、なんだかとても「安心」していました。自信が湧く、とも言えます。愛らしい、とも言える。自分が愛着を持てるような本を作るって実にいいものです。別にそれが商業ラインにのらなくたって一向に構いません。ただ、自分が作り出した一冊の本がそこにある、という事実が嬉しかった。もちろんこれが、少しでも多くの人に受け入れられたらそれも素敵です。でも、五人ぐらいが読んでくれるだけだっていいです。
そうだ、ここで思い出した話があります。
僕は小学四年生の時に、「まんがクラブ」に所属していました。好きなだけ漫画を描いていればいい、というクラブでした。このクラブ活動では、学期の最後に、自分の描いた漫画をA4版の冊子にまとめて、表紙をつけて、廊下に展示する、という発表会がありました。僕は10ページくらいの4コマ漫画のコレクションに、オレンジ色の画用紙をかぶせ、「いろんなキャラ大集合」という(なんの芸もひねりもない)タイトルをつけて、展示しました。
その時は、同じ長机に、二十作品くらいが展示されていたでしょうか。色とりどりの表紙の漫画がたくさん並んで、壮観でした。その置いてある漫画は、通る人が手に取って読めるようになっていました。夏休みの自由研究の展示みたいなものです。展示は、二週間ぐらい続きました。そんな中で、僕はとても嬉しい経験をします。
ある日、僕がその廊下を歩いていた時のことです。知らない下級生の男の子が、向こうから歩いてきました。彼はその、漫画を展示してある机に向かっていきました。お、と思って僕がみていると、その男の子は、しばらく机の上を眺め回した後に、「あ、あった」と言って、僕の描いた漫画を手に取ったのでした。その後、頭をカキカキしながら、少しニヤついて、僕の描いたギャグ漫画を熱心に読んでいました。たぶん同級生の誰かの「あれ、面白かったよ」という評判を聞いて、読みにきてくれたのでしょう。
この時点で僕にわかったことがあります。それは、僕の渾身のギャグ漫画本に、「少なくとも二人の好意的に読んでくれる読者がいる」ということです。これはとても嬉しいものです。自分が面白い、と思っていることを他の人にも受け入れられた、という感じをありありと感じられたからです。
今回僕が本を書いて、出版をして、ほとんどこれと同じ経験をしました。まぁ、直接本を読んでいるところを見たことはないのですが、「本が売れる」ということを介して、そしてその読者たちが感想をくれる、ということを介して、自分が関心を持っていることに関して、自分自身が自信を持っていいんだ、という気持ちになりました。
これから僕が、まだまだ出版を続けていくとしても、それがどんなに規模の大きいものになったとしても、そこで感じる充実感は、同じような質感であり続けるのだろうと思います。
下級生の男の子が、楽しそうに僕の漫画を読んでいるのを見た時に感じた、温かい、少しこそばゆいような気持ちは、まだ思い出すことができます。