10月31日(木) 『続・意識のチーター』 (1)開放する訓練
これは、毎日意識を開放する訓練です。意識を開放する際には、大体、誰かに語りかけるような文体で書くとうまくいきます。なぜなら相手がいる「てい」で書くと、自然と伝わるように、わかりやすいように書くからです。
これから始まる文章の役割は、自分が何を考えているのか知ることです。自分が何を考えているか知るのには、わかりやすい方がいい。もちろん、論理的に納得がいくようなものじゃないこともあります。自分が何を考えているのか知るために取れる方法はいっぱいあって、たとえば絵を描くことでも自分の考えを知ることはできます。
絵は、論理的に何か具体的な思考を伝えることはしません。でも、論理で語れないことを語っている場合はあります。
けれど、今僕が具体的にやりたいことがなんなのか、というと、それは、たとえ話があったり、段階的に説明があったりと、明瞭に理解するために、「自分のために」書かれた文章を読むことです。
それともう一つやりたいことは、文章を書く訓練です。文章を書くことは、運動と一緒ですから、毎日鍛えないと衰えます。「(語彙力」とか言ってる場合ではありません。自らの選択で、語彙の種類と組み合わせ方のデータを丁寧に積み上げていくしかありません。すべては経験です。難しい語彙の習得も大事ですが、自分がごく一般的に何かを語るにあたっては、平易な語彙の使い方も学ばねばなりません。 これは外国語を習得する上でも大事なことかもしれない。受動的に何か受け取る際には、小難しい語彙も頭に入っていた方がいいですが、まず最初に、自分から何か考えていることを言いたい、という場面では、平易な語彙が活躍します。どちらかというと大事なのはその組み合わせ方と、リズムです。
特に何かを書こうという意識なく、ただ「マックのワープロソフトを立ち上げてキーボードを打つ」という時間を一定時間持つ、というやり方で、僕は意識の開放を行なっています。これに果たして意味があるのかどうかはわかりません。でも、こうして文字を置いていくことで、最終的に文章が出来上がることは確かです。その時間さえとれば、意識の中に立ち上がる音声を文字に変換して、視覚的に把握ができるものにすることはできます。
僕はそういう、流れるような制作が好きです。これは自分のためなのです。こういう時間を持つことで、僕は1日を快活に始めることができます。少なくとも、自分は一つ文章を書き上げてやったぞ、という充足した気分になることができます。
でもそういう満足を感じるには、ある程度のかさが必要です。そこで、この文章も、大体1200字くらい、つまり原稿三枚くらい、僕が使っているワープロソフト(egwordです)のページ分の分量を強制的に書く、という囲いを設けたいと思います。明日から旅に出るのでリズムが変則的になり、毎朝書くということがうまくいくかはわかりませんが、でもあえて原稿三枚という多くも少なくもない囲いを設けることで、続けられるかもしれません。