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39 あとになってわかる
音楽には、風景のにおいが染み付いている。
ブライアン・イーノの『カザフスタン』という曲には、以前住んでいたアパートの部屋の記憶が深く刻み込まれている。早朝によくこの曲を聞いていた。
朝4時に起きて、キャンドルを灯して、ブライアン・イーノを聴きながら絵を描いていた。静かな音楽を聴いていると、とても深く集中できた。一階だったから底冷えして、足元が寒かった。椅子の上であぐらをかいて、絵を描いた。
次第に陽がさしてきて明るくなり、カラスが鳴き出す。外に出て、まだ薄暗い明け方の空気を吸って歩く。家の周りを一周したら、また家に入る。隣に住んでいたベトナム人のホアさんが、玄関先で美味しそうにたばこを吸っていることもよくあった。ニコニコ笑いながら挨拶をしてくれたものだった。時々、一緒に廊下でコーヒーを飲んだ。
今はその家からは引っ越して、そこからバイクで10分ぐらいの、別のアパートに住んでいる。向かいを電車がのべつまくなしに通るので、家がガタガタ揺れる家。こう書いている今も特急電車が通ったので、震度1くらいの大きさで揺れる。この感覚も、いつか思い出になる。
こういった記憶は、今まさに記憶になろうとしている時には、どの曲がどの情景に結びついているのか、まだ判別できないものである。
後になって初めて、曲を聴いたときに、はっ、と、これはあの時の曲だ、あの時の情景だ、あの時の感触だ、と鮮明に思い出す。ある生活の風景と、ある音楽の一片が、分かち難く結びついていたことを遡及的に知るのだ。