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フロイトとクービンを見ていて気付いたこと/表現主義と多産と死について

 今日は自分のなかで好きな流れでツイートできたのでnoteにまとめておきます。Twitterのモーメント機能ってなくなったんですね。
 きちんとした美術書をふまえた話ではなくあくまで僕が感じたことなので、そのへんはご了承ください。

 まず手始めに、この短い動画を観てもらうといいかも知れない。クービンの作品のスライドショーだが、音楽もなんだか雰囲気にそぐっており、思わず引き込まれる。

アルフレート・クービンAlfred Kubin(1877-1959)

 幼いアルフレッドは、病身の母を愛するあまり、軍務で長期間家をあけたのち、突然帰宅して母を占有する見知らぬ男に、ものごころがついて以来激しい嫉妬と敵意を感じたという。
 父子のあいだのわだかまりは、母親の死を堺にしてにわかに表面化する。アルフレッドが十歳のときに体験したこの母の死は、彼の将来に重要な意味をもつといわれるが、それはたんに愛する者を失った悲嘆によってだけではなかった。このとき、父親は大声で泣き叫びながら妻の棺を家から運び出したということであるが、少年を絶望させたのは、死そのものより、父親のこの異様に取り乱した姿であったらしい。

坂崎乙郎『夜の画家たち』p.209

 そうやって考えると、このあたりの作品は母への愛と父への憎しみ、早すぎる母の死、といった象徴にぜんぶ見えてくる。

 後から気付いたのだが、これもクービンの作品で、してみればこの獣もやっぱり父親の象徴なのかも知れない。

 母の死の一年後に、父は亡母の妹と再婚。だが彼女も間もなく病死して、父は三人目の妻を迎える。同じ頃にクービンは学業不振で退学になり、激昂した父親から体罰を受けている。
 クービンは19歳で三番目の継母の弟に預けられるが、ここでも冷たい仕打ちを受け、生みの母の墓前でピストル自殺未遂を起こす。
 さらに第一次世界大戦によって親友フランツ・マルクを失う。第一次世界大戦が、多くの人に家族や親友との死別という苦しみを与えたことは周知の通りであり、コナン・ドイルが死者との交流を希求し、心霊主義運動をに身を投じる原因となったことでも知られている。以下のブログは、読んでいただければわかるけれど、ちょっとそれに関連している。

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 そんな彼だったが、幼少期には庭の小動物や虫を捕まえ、残酷に拷問するという趣味を持っていたらしい。異端の芸術家としてはそれでいいのかも知れない。人間としてはどうかと思うが。
 又、彼の創作には精神疾患による幻覚が深く関わっていた、という説もある。なおここでいうレムケとは『狂気の絵画 美術作品にみる精神病理』で知られるルドルフ・レムケであろう(手元にはないので一応注文しておいたが、岩井の引用で事は足りている)。

 レムケによれば、クービンの生涯には幻覚妄想をともなう精神病の徴候がいくたびか出現し、特に幻視の内容がそのままクービンの絵画表現につながっているということである。

岩井寛『境界線の美学』p.112

 このこよう(安田:原文ママ)にして、クービンは八十二歳の高齢に至るまで怪奇と絶望と死を描き続けたが、その生涯にはレムケが指摘するように、母の死後、養母の弟との諍い、第一次大戦による親友フランツ・マルクの戦死による衝撃などに誘発されて、挿間的に精神病状態が発症しているのである。

同書、p.114

 死に彩られた時代。おそらく葬式に次ぐ葬式であっただろう。このことは、先に述べたようにフロイト『ヒステリー研究』の基調低音ともなっている。そこで僕はふと思い当たったのだった。あの動物たちの意味について。

 そういえば、上で貼ったこの絵にしてもそうだ。

 先頭をゆく女は妊娠しているようだ。種を蒔くような仕草は命を生み出さんとしている儀礼に見える。だがこの時代において生まれることは、依然としてかなりの確率で早逝することでもある。
 命の儚さは、そのまま現実感の希薄さとも繋がるのかも知れない。晩年の彼は次のように述べているという。

 七十五年の永い歳月を思えば、僕は不思議な戦慄を覚えないではないが、この歳月に去来した一切は、まるで夢のようだ。鏡に向かって、髪の毛の抜け落ちた額、皺だらけになった顔をよくよくたしかめてみなければ、僕は、過去のできごとが実際にあったことだとはどうしても信じられない。

坂崎乙郎『夜の画家たち』p.206

 まったく不憫(クビン)な男である。なんつってな。

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 以下おまけ。


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