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インターネットにおける場所感の消失

 インターネットの「場所感」(ゼアネス)というのは、1996年に文化批評家のマーク・デリーがサイバーカルチャーについて書いたエッセイ集『Flame Wars』(未訳)のなかで使っている言葉だ。マーク・デリーは言う。

 モデムを使って電話回線を通じてバーチャル・スペースに長時間接続する人々は、しばしば「場所感」(ゼアネス)という奇妙な感覚を報告している。ある[電子]会議室から別の会議室へとさまよい歩き、進行中の議論を立ち聞きしていると、一種迷宮的な館の廊下をさまよって、部屋から部屋へと頭を突っ込んでいるのにも似た奇妙な感覚を経験するというのだ。ロカというユーザーはこう語る。「WELL(安田註:世界最初期の電子掲示板サービス)の素晴らしい特徴のひとつは、「場所」の感覚を現実に作り出す点です。でも、実際に感じているのは何かの『中』にいるという感覚です。私は『どこか』にいるんです」。 

(マーク・デリー『エスケープ・ヴェロシティ』より引用)


 僕はこの一節がたまらなく好きで、以前にもブログで引用したことがある(下記参照)。


 それにしても、なぜこの一節がこれほどまでに僕の心を捉えるのだろうか(みなさんはどうですか)。


 おそらく大きな理由の一つは、僕もまた、はじめてネットを体験した頃に同じような「場所感」を感じ、それに魅了されたからだろう。
 そう、それはまったく魅了だった。そういえばマーク・デリーが書名に冠した「エスケープ・ヴェロシティ」とは軌道力学における「脱出速度」のことであり、例えば宇宙船などの物体が、地球などの重力から脱出するのに必要な速度を指す。僕もまた、ネットによってそれまでの生活からある種の「脱出」を感じた、といっていいだろう。もちろん現実的かつ全面的な「脱出」ではなかったにせよ――これはデジタルネイティヴには実感の湧かない話かも知れないが、想像してみて欲しい。二十歳そこそこまでインターネットなるものが世の中にない生活というのが、どのようなものかを――

 あれは2000年前後、日本でもインターネットが急速に普及していた頃で、僕はちょうど大学卒業したての時期だった。
 当時の僕は、学生時代に真剣に付き合っていた恋人と別れ、そればかりかなんのかんのでもう顔を見ることも出来ないような未熟な別れ方をして、強い孤独と喪失感に苛まれていた。そんな時に遊びに来ていた連れが、僕がネットに興味を抱いているのを見て「だったらグズグズしないでやればいいじゃん。今からモデム買いに行こうぜ」とその日のうちに車で連れ出し、僕にモデムを買わせ、設置してインターネット開通するところまで強引に推進してくれたのだった(当日のうちに開通できたのか、契約の都合で数日待ったのかは覚えていない。プロバイダはODNだった)。

 それからというもの、まあハマりましたね。夜な夜なテレホタイム(軽いエッセイなので敢えて説明しない)に接続してはネットサーフィン。
 当時はいわゆるWeb1.0的な個人・企業のサイト――なぜか「ホームページ」と呼ばれていた――とチャットサービス、メールが出来る程度だった。そういえば一応「2ちゃんねる」もあった。しばらくするとFLASHムービーが、そしてやがてブログサービスやyoutubeが開始されたのだった。

 今でも忘れられないのは、ODNチャットでたまたまやりとりをしていた女性が元カノの知人だったことである……いやごめん、「今でも忘れられない」というほどのエピソードは別になかった。ただ驚いたという話。
 やがてネット発の友人も出来て、東京まで会いに行ったりした。それからマンツーマンで将来の夢を語り合うような女の子も見つけたりした。その子は「そら」というハンドルネームで、将来スチュワーデス(現キャビンアテンダント)になりたがっていたのだが、けっきょく直接会う手前で、具体的な待ち合わせの日時を決めるやりとりの生々しさに耐えられなくなって、話を詰められず、しばらくしてフェードアウトしてしまった。
 ゼロ年代前半にネットで見知らぬ異性と会うというのはけっこうどえらいことだった……のを差し引いても、もうちょっとなんとかしろよ自分、と言いたくなるがまあ仕方が無い。
 そらさんお元気ですか、うにべるです。あれからスチュワーデスにはなれましたか。

 *

 あの頃のネットには確かに「場所感」(ゼアネス)があった。上のブログでも書いたのだが、なぜ当時のネットに場所感があったかというと、

 ①常時接続ではなかったこと
 ②読み込みにいちいち時間がかかったこと
 ③検索エンジンが未発達で移動は相互リンクを辿るのが主流だったこと
 ④背景真っ黒といった質素なデザインのサイトが多かったこと

 といった、様々な制約があったからだと思う。

 当時の個人サイトはたいてい「あんかけ帝国」とか「魔王たけぽんの宮殿」みたいな名前がつけられており、まず玄関に続いてエントランスのようなトップページがあって、カウンターが「ようこそ、あなたは~匹目の迷える仔羊です」みたいな意味不明のノリで出迎えてくれた。
 それから更新情報、日記、(あれば)コンテンツ、掲示板、相互リンク等がいわば別室のようになっていて、見たいページをクリックして開くという形式であった。

NovelAI生成。


 相互リンクから別サイトへ行くのは、裏口から路地裏へ抜けるようなものだった。加えて、それらを移動するたびにいちいち読み込み時間がかかる。リンク先に640×480などという巨大な画像があるときはなおさらだ。
 個人サイトにはしばしば、作るだけ作ってカラッポの「工事中」の部屋があったり、相互リンクは相手サイトの引っ越しや消失によってちょいちょい「通行止め」になっていた(相互リンク数がサイトの人気のバロメーターでもあったので、「残念ながら閉鎖してしまいました」と書いて残しておくのが定番)。
 標準的なやりとりは掲示板への書き込みなので、いったん書くと別の場所をうろついて、後ほど返事が書き込まれているかどうか見に来るという夜の街の散歩のような風情があったし(複数ページを同時に開くのはあまり一般的ではなかった――PCにそこまでの処理能力がなかったからだろう)、そうするうちにおのずと一日の巡回コースが出来るあたりはさながら野良猫のようであった。
 ようするに、「場所感」というのは「不便さ」とコインの表裏であったわけだ。

 *

 いつ頃からだろう、気付けばネットは本当に速くなったし、グーグルをはじめとする検索エンジンは「相互リンク」文化――あの路地裏空間――を一掃した。なにより常時接続になったことがデカい。ネットといえば家族が寝静まったあとに夜中に密かにやるイメージだったのだが。
 またブログやSNSの普及によって、個人サイト自体が過去の遺物に近い状態に追い遣られている。
 別にそれが悪いというわけではなく、大筋において便利になったことは間違いないのだが、それにしてもあの「場所感」ってもうないよね、とは思うのである。
 そして、なくなってみると、あの「場所感」というのはとても懐かしく、ちょっと胸がせつなくなるような寂しさを覚えもするのである。
 上のブログで僕は、マーク・デリーがこうした場所感を「迷宮的な館」に喩えたことをとらえて、ゴーメンガースト城の見事な挿絵だとか、ピラネージやモンス・デジデリオの絵画等を彷彿させる、と書いた。そう、いまのネットには闇がないのである(厨二病並感)。

Ian Miller, Gormenghast
Giovanni Battista Piranesi, Este site é privado.

  *

 けっきょく、少し前のnoteで書いたことと今回も同じことが言いたかったのではないか、と思う。

 つまりある種の静けさ、心の深まり――そういうものは、いつも不便や孤独と表裏一体なのだが、そのしんどさ、面倒さをさんざん知っているにもかかわらず、いざ無くしてみると、愛惜の念がこれほどにも強く掻き立てられることに、我ながら驚いているというわけだ。
 したがって、結論も先日と同じものとならざるを得ない。そういう静けさ、心の深まりを、部分的にでも自分の生活のなかでリバイバルしてゆこう、という話である。
 何をどうするか? というのはまあ部屋をかなり暗めの間接照明にしたりとか、PCのバックグラウンドを敢えて真っ暗にしたりとか、密教の瞑想法について読書してみたりとか、書き出すとなんだかどれもこれも小手先のように思えてならないけれど、そういうことと、精神的な構えも含めて、あれこれ模索しているところではあります。

 では今日はこんなところで(・ω・)ノ
 あ、ちなみにスペースなどで安田を見かけたら「場所感」(ゼアネス)の話を振ってくれるとたぶん喜びます。あしからず。


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