アドバイスの集中砲火

 たまにアドバイスの集中砲火を浴びている人を見る。自分の場合もある。
 とにかく周囲が、こうしたらどうだ、いやこうしたほうがいい、その発想を改めたほうがいい、自分を客観視できていない、いったん落ち着いて(うっせえわ)、ブレている、どうしたいのか明確ではない、等々ああだこうだと捏ね回す。
 自分がそういうことをされた時のことを思い返すと、けっして気分のいいものではない。複数人からいつ終わるとも知れずああしたほうがいいこうしたほうがいいと言われているうちに、これ一応は善意で有り難がらないといけないかも知れないけれど実際のところかなり暴力的なんではないか? そりゃ話題に出したのが悪かったかも知れんけど、素手ではらわたを引っ掻き回すように私の感情や思考について弄くりまわしていいと言った覚えはない! あーあ嫌な流れになっちゃったなあ、地球死ね、人類はよ滅べという感じになるのだ。

 自分がターゲットじゃない時でも、たとえばスペースとかで誰かが悩みなどを語り出すと、他の登壇者たちが我先にとアドバイスを語り始める。まるでピラニアが餌に喰いつくように、その時だけ会話のペースが上がり、だいたい僕はそういう場からは置物になる。
 なぜ置物になるのか。正直僕から見ると、もうちょっと相談者の話をじっくり聞いたほうがいいのでは、と思える。すぐに意見を挟まず、せいぜい「聞いてますよ」というジェスチャーと、状況を明らかにするための質問をたまに投げかける程度で。
 救急車が駆けつけると、案外応急処置の前に怪我や病状の把握にかなりの時間をかけるというのも、どこをどう「処置」したらいいか間違っていたら、例えば肋骨が折れてる人に心臓マッサージしても意味がないどころか百害あって一理なしだからである。

 お前もそんなに聞き上手なタイプではないぞ、というツッコミは甘んじて受ける。それは知っている。そういう自覚はあるのだが、それにしても、ああいう飢えた野獣のような勢いで相談に喰いつく、端から見るとどう見てもアドバイス言いたさが先行しているということはない。ないと思っている。ないんじゃないかな。
 もっと実際的な都合で、他人にアドバイスできるようななんの世間知もスキルも自分への自信も持ち合わせていないから、ということもある。またアドバイスした結果に責任が取れないからということもある。まあどうでもいい相手とかなあなあで聞いてくれる相手だったら気楽に放言することもあるが、真剣に悩んでいる相手ほどおいそれとアドバイスなどできやしない。
 で、マンツーマンは別として、複数人いるとたいてい自分以外の人間がバーっとアドバイスしだして僕は取り残される。なんかそういう感じ。

 でもどうなのかな。他の人たちはああいう、不特定多数の、偶然その場に居合わせたような人々の代わる代わる浴びせられるアドバイスでも有り難いと思いながら聞いているんだろうか(ケースによる? そりゃそうですね・・・)。だとすると単に僕が悩みを言うのも聞くのも向いていない、というだけのことで、僕以外の世間はうまく廻っているのかも知れないけれど。どうなんだろう。

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安田鋲太郎
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