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いにしえのインターネット裏社会

 またしても「僕は面白いと思ってるんだけど、はたしてこの面白さが伝わるだろうか」案件である。リミナルスペースの時と同じだ。

 さて今回は、何を面白いと思っているかというと90年代のインターネットネット裏社会である。

作画「マダカン」氏 https://www.pixiv.net/users/13426936

 具体的にはまあ、当時のルポルタージュを読んでいるのだが、J.C.ハーツ『インターネット中毒者の告白』だとか『別冊宝島328 電脳無法地帯!』あたりはほんとうに面白い。他にばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』は、興味ある部分とない部分がどうしても出てしまうが資料的価値はダントツなので持っておきたい。
 『乱調電脳用語事典』はパソコン誌の編集者たちのお喋りで、上記の本たちと比べると生々しさが薄れるのでいまいち。
 カーラ・ジェニングス『笑うコンピューター 息子をハッカーにしないための10章』は原著が90年でもう少し古い時代を取扱っているが、半ばフォークロアに片足をつっこんだような小咄が大量に収録されている。たとえばこんな具合に。

 コンピューターがなんでも知っていると聞きおよんだ男が、コンピューターに尋ねた。
 「私の母、メリー・ジョーンズはどこにいますか?」
 「バルティモアの台所でサンドイッチを作っています」
 確かにコンピューターの答える通りだったので、男は感激した。それから「私の父、ジョン・ジョーンズはどこにいますか?」と尋ねた。
 数秒してから、コンピューターは答えた。
 「あなたのお父さんは、メイン州で魚釣りをしています」
 「アハハ! 君は間違ってるよ。私の父、ジョン・ジョーンズはワシントンで会議だよ」
 
コンピューターが答えるまでに、数秒、間があった。
 「その通り。ジョン・ジョーズはワシントンで会議中だが(後略)

カーラ・ジェニングス『笑うコンピューター 息子をハッカーにしないための10章』p.82
太字は安田による

 ……いちおうオチは伏せておこう。気になる方は買ってください。まあ、買わなくても誰でもわかるだろうけど。
 こんな感じの話だとかヘンテコな蘊蓄が満載でありじつに安田好みの本である。今読んで抱腹絶倒というわけではないが、当時の人々がコンピュータをどのように捉えていたかがうかがえる。というかこの「なんでも質問すると答えを教えてくれる」系のコンピュータ・ジョークってわりと見かけますよね。
 【注意!】それと書名が似ている『デイヴ・バリーの笑えるコンピュータ』は、見た目は面白そうだが読んでみると鬱陶しいジョークがスベりまくっていてお勧めできない(それでもAmazonレビューでは面白がってる人もいるので、蓼喰う虫も好き好きというべきか)。
 有名な『インターネットはからっぽの洞窟』や、『別冊宝島363 ヘンなインターネット』はまだこれから読むところなので未評価。他にもあれこれ手に取ってみたが、まあブックレビューはこのくらいにして話を進めよう。


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 さてこれらの何が面白いの? ということだが、一つには当時の人たちにとってはネットが非日常だったということがある。
 やってる人は陸続と増えてくるものの、2000年以降のような誰でもという感じはまだない。回線も常時接続ではなくダイヤルアップ接続、回線速度も56Kbpsとか、ISBNになってやっと128Kbpsといった信じられない遅さで、たとえば1MB程度のウェブページを表示するのに3分ほどかかっていた(ちなみに僕が今使ってるのが光回線で368Mbps。えーと、約7000倍?)。
 その他諸々の不便さが、かえってアングラ感、ワクワク感、秘密の冒険をしている感じを掻き立てていたことについては下記記事で具体的に述べているのでよかったら読んでください。

 この時代を思い出すと、91~93年頃のバブル崩壊がいよいよ国民生活に反映されてくるのが90年代後半で、当時僕は学生だったが、そういえば父も人員削減で退職したのが97年かそのへんだったし、同じ頃、彼女の父親(銀行員)もリストラで給料半減、連れの父に至ってはいきなりクビで無職になった。
 倒産が相次ぎ、起業しても片っ端から潰れ、ちょっといい儲け話は詐欺ばかり。明るい将来のビジョンが抱けず、経済的に逼迫するにつれ人々が心の余裕を失い、常に他人を値踏みし懐をさぐり合うようなギスギスした世の中になってゆく。オヤジ狩りや援助交際が流行り、98年には自殺者が戦後はじめて三万人台に到達する。そんな時代を彩るBGMはもちろん坂本龍一の「energy folw」である。


 そういう人々の心の乾きに対し、暗闇のなかで怪しい光を放つもう一つの世界からの誘い手が、他ならぬインターネットなのであった。
 そこにあるのは、なにもゴミ屑のような妄想や悪意ばかりではない。なにしろディスプレイの向こうは全世界に開かれているのだ。もしかしたら実生活では決して巡り会えないような同好の士やオイシイ転職話、理想の恋人にすら巡り会えるかも知れない――そう思えば大いに冒険心やロマンを掻き立てられるではないか。まあ実際には2ちゃんねる以下のゴミ情報や画質が悪すぎて抽象画の趣すらあるエロ画像、スパムやウィルスや誹謗中傷・嫌がらせに満ちた人間性の海抜ゼロメートル地帯だったとしても。

 ……すいません、ちょっと盛りました。
 僕が自らネットを始めたのは2000年頃なので、ここに書いた90年代後半のネット事情は世相と文献から再構成したものなのだが、ゆうて実際にネットを触ったのもほんの2〜3年後であり、上記のイメージからめちゃくちゃ外れてはいないだろう。


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 今のネットって、ほぼ悪い意味での日常じゃないですか。
 とくべつ根暗なギークじゃなくてもそこらの主婦(という言い方を敢えてしますが)でもやってるし、話題もはっきりいって「男ガー」「女ガー」(こういう手垢のついた言い回しはほんとは使いたくないんだけど)と余裕のなさ剥き出しで罵り合う人たち、それに便乗し、極論で注目を集めて稼ごうとするハイエナばかり目立つのが現状で、端的に言ってめちゃくちゃつまらない。それに引き比べ、例えばJ.C.ハーツが伝える90年代半ばの話題はこんな感じだ。

バンパイア、スーパーモデル、マルチレベルビジネス詐欺、陰謀、エルビス目撃、ショスタコヴィッチ、市民の自由、ツイン・ピークス、フラクタル、ボンデージ、ゴーストストーリー、ゴミ撒き(スパム)……。

J.C.ハーツ『インターネット中毒者の告白』p.7-8

 さらにハーツは、コンピュータ言語、テレビ、ファンクラブ、セックス、ブーメラン物理学、拷問、獣姦、手足の切断、エンサイン・ウェスリー・クラッシャー(スタートレックの登場人物)……と書き連ねる。
 バンパイアというのはたぶんバンパイアを自称する人達のコミュニティのことだろう。魔女や悪魔崇拝のコミュニティと同様、アメリカにはそういう文化流行があると聞いたことがある(また、そういう人達を念頭に置いて『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』を観ると印象が違ってくるだろう)。
 また「陰謀」や「市民の自由」なら今でも話題になると思われるかも知れないが、ここでいう「陰謀」とか「市民の自由」というのはもっと多様かつ知的、あるいは建設的だったりユーモアがあったりするわけだ。たぶんね。

 まあなんか、話が途中でXに対する愚痴になった気もするがそれはともかく、いまのネットにはあの頃のネットにあったワクワクさせる何かが失われており、だからあの頃に惹かれるの! ということ。

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 あと最後に思ったことを一つ。
 当時のハッキングにしてもオンライン詐欺や違法な取引きにしても、今日から見るとどれもこれも驚くほど手口が原始的で、読んでいるとどこかしら牧歌的な感じさえしてくる。
 小規模プロバイダなら本人を装って電話して「あのー、パスワード忘れちゃったんですけど」と言えばすぐ教えてくれるとか、デーモンダイアラーという機器で下四桁を変えながら電話回線でアクセスしまくって非公開のページを見つけ出すとか(ついでに同じ機器を使ってイタ電も出来るらしい)、なんかこう、ハッカーといっても超人的な技術を持っているのはほんの一部の上澄みで、大半はそのへんの素人がちょっとイタズラのやり方を覚えた程度なんだなあ、と拍子抜けする。

Vintage Rare Demon Dialer from Zoom Telephonics, Inc. Open Box | eBay

 あるいはオンラインによる、違法なポルノの販売にしても。


 ただ、こうしたユルさと上で書いたようなアングラ感が絶妙に相俟って、あの頃はひょっとしたら何でも可能だったような、何者にだってなれたし、何か信じられないようなことが起きたかも知れないというような歪んだ幻想を見せているのかも知れない。僕もその幻想に魅了された一人なのだろう。裏を返せば、心の中で平成不況は未だ続いているとも言える。

 といった辺りで、いにしえのインターネット裏社会の魅力が伝わったかどうかわからないけれど、書きたいことはだいたい書き終えたので今日はこのくらいにします。
 それではまた(💻ω💻)ノシ 

 

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安田鋲太郎
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