人生トータルでみたタイムマネジメントについて

 はじめて聞いたときは「なんだそれ、そんなわけあるか」と思った話でも、何年も経って思い返すとなるほどその通りだったかも、と納得することがある。
 江上波夫が佐原眞との対談(『騎馬民族は来た!?来ない!?』)のなかで語っていた勉強観がそれだった。

 江上が佐原に語ったところによると「一日二時間は勉強のしすぎ」なのだそうである。いやいやいやいや、そんなわけないと思いませんか。
 しかし、騎馬民族渡来説で一世を風靡した、当時にして東大名誉教授で日本オリエント学会会長、晩年は文化功労者・文化勲章受章者となったあの江上波夫がそう云うんである。どういう理屈なのか、もう少し掘り下げてみよう。

 江上によれば、恩師の浜田耕作(京都大学に日本初の考古学講座を創設した人物。京大総長在任)が英国留学中、さらにその恩師であるアッシリア学の創始者アーチボルド・H・セイスに「君はいったいどのくらい勉強するんだ」と聞かれ、「二時間くらいはします」と答えた。するとセイス先生は「それは一日かそれとも一週間か」再び訊ねてくる。
 むろん一日だと浜田は答えた。するとセイスいわく、

 一日に二時間も勉強したら、君、四十までに勉強がいやになっちゃうだろう(笑い)、俺はそう思うよと。俺は八十だけどもまだ研究を続けて本を書いている。勉強するのはいいけれども、四十でいやになったり、五十前後で死んじゃったり、君はそれじゃあいかん。
 (中略)
 学者というものは、二十代の学者はどんな天才だってやはり二十代の学者なんだ。五十や六十の学者とはちがうんだ。五十や六十の学者はやはり七十や八十の学者とはちがうんだと。

『騎馬民族は来た!?来ない!?』

 とのことで、帰国後、浜田が江上にこの話をしながら「やはり長生きしなくてはならんような気がしてきた」と語ったそうである。

 だが、あにはからんや。浜田耕作は京都帝国大学総長に就任した翌昭和13年、萎縮腎から尿毒症を併発して57歳にて急逝してしまった。
 彼の死期を早めた要因の一つとして「清野事件」という、京大開闢以来の大スキャンダルとそれに連座しての辞職もあったのだが、それは話が逸れるので興味のある方は検索して下さい。
 浜田耕作の死が「勉強のしすぎ」だったのかどうかはなんとも言えないが、研究熱心なだけではなく責任感の強い人物で、そうした奉職方面のゴタゴタも含めて色々と気張りすぎだったとは言えるようで、江上は浜田の死を「日本考古学界にとって計り知れない大損失であった」と惜しんでいる。

 *

 江上がこの話をしたのは、下の世代からの挑戦者である佐原に対する牽制という面があっただろう。対談全般において、佐原は容赦なく騎馬民族渡来説の粗や矛盾点を追求し、江上はそれを老獪にかわしつつもひりつくような手強さを感じていたに違いない。
 そういう流れのなか、ふとここらでお茶でも、みたいな感じで議論が緩んだときに出てきた話なので、「細かい話は君の云う通りかも知れないけど、とにかく君はまだ若いんだよ」というニュアンスはどうしても否めない。

 しかし僕も気がつけば中年になって、「一日二時間」という具体的な数はともかく、近頃は江上波夫のいうことももっともだと思えてくる。
 べつに僕は学者やいかなる意味でも職業知識人ではないので、引き比べるのはやや恥ずかしいけれど、とにかくあまり根を詰めて物事に打ち込み、健康を害しては元も子もない。人生は長期戦なんだみたいなことを思うんですね。
 たとえば食生活だとか運動をきちんとしようとすると時間がかかる。作業の手を止めなくてはならない。でも、あまりおろそかにしていると早死にして結局トータルで時間を損することになる。掃除や風呂・ボディケアも同様で、最低限はちゃんとしたほうがいいんですね。

 そういう、今後もなるべく長くやりたいことを継続しようと考えると、目先の進捗だけを考えすぎてはいけないということが、ようやく心の底から理解できるようになった。
 noteは1000字くらいにしたいのにすでに1700字以上になっている。はい。今日言いたいのはそんな感じです。長期戦の構えって大事だよねという。
 あ、ちなみに江上波夫、96歳まで生きて2002年にお亡くなりになりました。凄いですね。
 それではまた。 


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安田鋲太郎
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