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歌の中で出会えるもの
このごろJ-POPが人気だ。
私も学生のころから常に何かを聞いていた。
流行りの歌、ではなく、曲より歌詞を読んでしまう。
歌詞が秀逸、なひとのものを聞いてしまう。
好きなのは、スピッツの歌詞、いきものがかりの水野氏、
尾崎亜美、伊勢正三、という作詞家。
なぜかは、多くを語らないからだ。
多くを語りすぎている女々しい歌詞が増えてきた。
街の角をまがったら、君にいてほしいだの、
いつでも探してしまう、どこかに君の姿を・・だの、
女々しいんだ。全部字余りだ。字余りの殿堂入りのミスチル
あれを覚えてわざわざ歌う意味が分からない。
その前に推敲して欲しい。
言いたいことは全部言わなくていい。
それが芸術であり、詩や小説。
しかし、なんと今の時代の子供らは、全部わかりやすく言わないと
わからないらしい。
君の名は。 みた?
あれもくどい。私から言わせてもらえば、ニアミスなどいらない。
電車がすれ違って、目が合う、お互いに気づく、で完。
そのあと走って追いかけて「君の名は。」と主人公に言わせるなど
愚の骨頂。君の名は、と思い続ける内容で良かった気がする。
出会いじゃない。終わったことだから。3年前に終わったことではないか。
どうなるかは視聴者が決めればよい。
そう、題名に書いた、歌にはよく出てくるけれど実際はそんなに見ないものとは、
空だ。
詩には必ず、秋の気配、春の匂いがした、羊雲、茜雲、
空が泣いている、同じ空の下、同じ月を見ていた、などと平気で書く。
空を見ていたのはいつだったか。散歩でたまには見る。
けれど、やはり人生の中で空をよく見ていたのは小学生だった気がする。
あの雲は何だろう、流れていく、消えていく、
大人になるにつれ、雨か晴れか、寒いか暑いか、だけに見る天気予報。
空を見上げて、芝生に寝転んで日が沈むのを見ていたのは、小学生のころだ。
ご来光、わざわざ富士山にまで登って、日の出を見に行く人たち。
そう、これはひとつのエンタメになってしまっている。
元旦だろうが、なんだろうが、空はいつもそこにある。
綺麗なものばかりを捉える写真家。ダイアモンド富士、だっけ?
へーそうなんだ、と思う。
綺麗なんだね、と。
でも実際に見るそらは、写真ではない。動いている。
黒い雲が近づいてくる、ゴロゴロゴロ・・・雷
晴れているのにバタバタと雨が降り始め、バケツをひっくり返したような雨が降る。
高校生ぐらいまで詩を書いていた。
字を選ぶのが好きだった。難しい、意味わからない文字に気もちをこめて
書くのが好きだった。
詩なんて、陳腐になりがち。
それはみんなわかっている。
だから、短くていい。
短くて人の心に届けばいい。
伊勢正三さんが理想の人だった
「君の唇がさようならと動くことが怖くて下を向いてた」
スピッツのチェリー
「ズルしても真面目にも生きていける気がしたよ」
このフレーズがとても好きだ。
だからどうした、ではなくて感情が乗っていて臨場感があふれているからだ。
だから、洋楽は聞かない。意味が分からないからだ。
英語も興味ない。聞いたままに歌うのが得意だ。
作曲できる人を心から尊敬している。そういう才能が欲しかった。
曲が作れれば世界を征服できるんだ。お金じゃ人の気持ちは動かない。
感動させることができる。
久石譲、澤村博之、音楽は偉大。芸術は爆発だ、by岡本太郎
空を見よ。
見るだけじゃだめだ。一句捻ってくれ。
そーらーよー、と謳ったのは加山雄三だったかな。