両親との別れ
父が、去年亡くなった。2年ぐらい入院していたので、覚悟はしていた。
その後、母も病気で亡くなってしまった。
残されたのは姉妹。
別れ、だと思うけれど、二度と会えないというだけではないのか?と思った。
遠く離れてしまった友達、全然会わなくなった友達や親せき。生きていたとしても、別れは突然やってくると思う。
なんとなく会わなくなってしまった友達、と何が違うのか。
もう独立している私たち姉妹は、両親がいなくてももう生きてはいける。
姉は号泣していた。父の時も母の時も。
それなのに私は、人との別れで泣いたことがない。そう、両親が亡くなっても泣けなかった。悲しくない、わけではない。ただいなくなっただけ。
逆になぜあんなに、泣けるのかがわからなかった。いずれその時が来ることも知っている。
そう思うと、卒業式、転校する子、いろいろな別れがあった。付き合った人との別れも。
でも、私はそれで泣いたことがない。薄情なのか。
泣けなくてどうして?とも思ったが、泣いている親戚縁者の前で泣かないのもおかしな話だ、とも思った。葬儀の時は、下を向いていた。
姉はずっとずっと泣いていた。今でも話すと泣く。
私は、泣けない。なぜなんだろう。今もどこかで生きているような気がする。生きているというか、いなくなっただけ。
そう、なんか買い物に行ったような。父なら何年かの転勤で単身赴任したこともあった。姉はその時も泣いていた。
いつも思うのは、何でも真剣に両親を注意して怒っていた姉。いなくなったら、死にそうになるぐらい泣いていた姉。なんて情が深いのだろう。相手を思っての苦言、もちろん父とは大げんかをよくしていた。
私は大きなケンカも無く、「いい子だ」と言われていた。そうだろうか。
結局、情がなかっただけじゃないのか。薄情なんだ。
他人にも自分にも。
この頃は、自分に対しても薄情な気がしてきた。きっと姉が先に、もしもなくなっても、たぶん、泣かないだろう。いつもケンカしたり怒ったり泣いたり笑ったりして、見ていてつらそうな気がしてならない。
姉が亡くなったら、楽になったね、と思ってしまうかもしれない。
自分の薄情さに毎日呆れている。思い出話も平気でできる。泣かない。もともとそんなに泣かないけれど、ちょっと酷すぎやしないか。と自分で思う。
薄情なのか?忘れているわけではない。もちろん、両親には感謝している。幸せに好きなことを自由にさせてくれ、ほとんど「ダメ」と言われたことがない。良い両親だった。美人だったし、カッコ良かったし、自慢の両親だった。
でも、ありがとう、とは思えない。よく「生まれてきてくれてありがとう」だの「産んでくれてありがとう」だの言う人がいるが、本気なのか?と思う。産んだほうは感動するのはわかる。自分の子供だから。
でも、子供は「産んでくれてありがとう」なんて、思う?
少なくとも私は思ったことはない。というか、存在しているということだけ。学校もめんどくさかったし、生きるのも面倒くさかった。ダメ人間だ。
これはいつも考えている。薄情でもういい。これが薄情という言葉で片付く気がしないが、ほかの言葉も思いつかない。