人の外見に関する発言は本当に慎重になった方がいい
自分の身体で好きなところが無い。
物心ついた頃から、私は自分の見た目が大嫌いだった。
小学生の頃は、「自分はおでこが××て、顎が出てて頭が×」ことが
すごく恥ずかしかった。
大人になってから、特に辛いのはオンラインでの会議。
なんでこんなにブスの顔を眺めながら話さないといけないのか。
かなり苦痛で、時々カメラをオフにして参加してしまう。
(そんな理由でオフにする人はなかなかいないのでは)
自分の顔を見なくて良い会議は本当に安心する。
見た目というか、自分の顔やパーツで自分が好みだと思えるパーツが
私には本当にないのだ。
※強いて言えば大きい手。これはピアノをしてたからだけど、華奢で可愛くて小さな手になりたかったな。
具体的には…
○基本的にパーツが全てでかい。
小学校2年生の頃、クラスで画用紙で帽子を作ったときに、自分だけ頭が大きくて入らなかった。結局手で押さえながら先生に写真を撮ってもらったのだけど、本当に本当に悲しかった。
他にも、足が大きくて合う靴がない、肩幅が大きくて服が入らないなど、大きいことによって見た目が変なことに加えて、実際に困ることも多く、自分は普通じゃないんだ、スタンダードから外れているんだ、と感じていた。
○顔に至っては本当に全てのパーツが嫌い。
くっきり二重の目がよかった。吊り目がよかった。小さな鼻がよかった。薄い唇がよかった。薄くて細い眉がよかった。短い顎で丸い顔が良かった。つるんとした肌が良かった(小学生の時から遺伝的に毛穴の目立つ肌だった)。自分は自分の理想の全てにおいて正反対の顔で生まれてきてしまった。
骨格がブスなので、部分的に例え整形したとしても、ブスに変わりがないのがかなり救いがない。わかりやすく例えると、SNOWなどのアプリで加工しても、なぜかブスのままって感じのイメージ。
優しい言葉に支えられて生きてこれていた。
「じゅでぃのここが好きだよ」と伝えてくれる友人たちの言葉に支えられ、最近やっと受け入れられるようになってきた
受け入れる、というよりは、忘れることができた、の方が正しいのかも。
(目が好き、とか、体型が好きとか、言ってくれて本当に嬉しかった)
(あえて見た目のことをあまり言ってこないパートナーにも感謝している)
けれど
最近、見た目に関することで傷ついてしまった出来事があって、なんだかまた落ち込んでしまったのでこのノートを書いている。
「貴方って●●に似ているよね。」
この発言って、大多数の人は人を褒めるときに使うんじゃないかなと思います。
だけど、もしその●●が、自分が好きじゃない人だったら、私はかなり不快に感じてしまう。
最近別々の友人から、3回もその芸能人に似ていると言われることがあった。
もちろん好みは人それぞれだし、もしかしたらいい意味で言ってくれたのかもしれないけれど、その人の見た目は私のコンプレックスとしていて、言われた瞬間私は本当に泣きそうになった。心の中では泣いてた。
※この特徴が好きな人もいるのかもしれないが、私の理想ではない
自分の見た目を意識することから逃げていたのに、現実を突きつけられてしまった。
実は最近、自分の体型コンプレックスを少しでも和らげるために減量していたけど、結局見た目も変わってないんだな、こんなふうに見えてるのだなと、そう言った意味でもショックだった。
人の見た目に関する話は、親しい仲同士で直接的に褒める以外は避けた方が良い
「ここがかわいいね」「ここが素敵だよ」
そう言った直接的な伝え方は、私は言われるととても嬉しいし、ネガティブに捉える人はかなり少ないんじゃないだろうか。
お世辞じゃん、と思わなくもないけど、信頼関係のある相手なら素直に噛み締めて良いのかなあと思う。
だけど、
あまり関係性を築けていない人や、人によって捉え方の変わるような伝え方には、本当に注意した方がいいと、今回の出来事を通して感じた。
「●●に似ている」だったり、「(ダイエット/増量をしているという前情報がない状況での)痩せた? / 太った?」だったり。
何が相手を傷つけるか分からない以上、見た目に関することは言わないことが1番良いのかもしれないけれど……。
これを読んでくれた人は、こんな捉え方や考え方もあるんだなあ。と、思ってくれると嬉しいな。
言われた側ができること
相手に悪意はなかった、と信じて忘れるしかないです。
変えられない見た目って、もうこれから絶対に受け入れて付き合っていく必要があるから。
でも、変えられる部分で少しでもできる努力があるなら、それはやっていくとちょっとは自分のこと好きになれるかも。
なので減量は引き続き頑張るし、今年こそは目元サロンに行きたいな、と再認識したじゅでぃでした。
あー、可愛く生まれたかったな。
本当に、普通に可愛い人たちが死ぬほど羨ましいです。