山屋敷Ⅰ遺跡_空撮南から

ふるさとの歴史 上越、糸魚川、妙高 3市の郷土史を歩く〈2〉後編 縄文時代・古代編 糸魚川市、上越市、中郷区の遺跡上越市の縄文集落に特徴

 縄文時代は湿っている低地に人は住んでいなかった。上越市の吹上・釜蓋遺跡調査指導委員会、小島幸雄委員(66)は、同市縄文遺跡の立地について「平野沿いの丘陵の標高約10~15メートルより上の乾いた土地に住んでいた」と説明する。

 集落跡は主に高田平野から高まった部分と海岸の砂丘の上、妙高山麓に立地しており、狩猟・採集を行った縄文人に適した場所が分かる。遺跡は縄文時代草創期から徐々に増えていき、中期が圧倒的に多く、その後減少していく。これは全国的な傾向と同じだという。平野部でも同時代の土器や石器などが出土しているが、「行動痕跡はあるが、集落などの生活痕跡はない」と小島委員は話す。

 縄文時代中期の代表的な遺跡が現在、上越教育大の敷地となっている山屋敷Ⅰ遺跡。約50棟の竪穴建物跡が出土しており、県内有数の規模とされる。土器は北陸系、信州系、信濃川東北系のものが出土しており、当時から交通の要衝であったことがうかがえる。

◇中郷の出土品片貝縄文館に

 縄文時代後期・晩期は妙高山麓で多くの遺跡が発掘された。同市教育委員会の羽深忠司学芸員(45)は「その理由として、後期・晩期は気温が下がり、植生が変わったという説もある」と読み解く。その時期の代表的な遺跡は中郷区稲荷山の籠峰遺跡で、竪穴建物遺跡9棟、掘っ立て柱建物と見られる柱穴列30棟分が見つかっている。石棺状の配石や石棒など特殊な遺物が出土し、遺跡と出土品は県の文化財に指定された。同遺跡など中郷区の縄文時代の出土品は、同区片貝の片貝縄文館に展示されている。

 稲作が始まる弥生時代に入っても、人々が平野部で生活した痕跡は見られない。吹上・釜蓋遺跡調査指導委の小島委員は「標高が高い場所に集落を置いて低地に田を作っていたか、(畑で栽培される)陸稲を栽培していた可能性もある」と話している。

※本投稿は2019.02.28付「上越タイムス」に掲載した記事を投稿しています。文中に出てくる日付等は掲載当時のままです。あらかじめお含みおきください。

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