ふるさとの歴史 上越、糸魚川、妙高 3市の郷土史を歩く〈2〉前編 縄文時代・古代編 糸魚川市、上越市、中郷区の遺跡北陸最大級の規模 糸魚川市の長者ケ原遺跡 ヒスイ大量に発見
東京国立博物館で昨年、縄文時代の遺物を日本各地から多数集めた企画展「縄文―1万年の美の鼓動」が開かれ、大好評。また、現存する日本最古の歴史書で、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする、わが国の統一の由来を物語った『古事記』は、学者のみならず数多くの読者を獲得している。連載2回目は、縄文時代と古代を取り上げる。糸魚川、上越両市で発掘された縄文時代の遺跡を紹介し、また、糸魚川市に伝わる古代の物語について、研究者に聞いた。
糸魚川市一ノ宮の長者ケ原遺跡は同市の縄文時代を代表する遺跡だ。遺跡中央部分にある縄文時代中期の集落跡は180メートル×100メートルの規模を誇り、北陸地方最大級とされる。昭和46年、中央部分が国史跡に指定され、同61年、史跡のほぼ全域が追加指定された。出土品は遺跡に隣接する長者ケ原考古館に展示されている。
同市の古代を代表する存在がヒスイ。同遺跡からはその原石や、穴を開ける途中のヒスイが大量に発見されている。同市教育委員会の山岸洋一学芸専門員(54)は「ヒスイは先史時代の流通の代表格。黒曜石も流通したが、ヒスイは産地が限られている。交通が発達していない時期に遠くまで運ばれた」と解説する。
同市寺地の寺地遺跡(国指定史跡)でも加工途中のヒスイが見つかっているが、穴が開きかけているものは少ない。磨きや穴開けなどの工程を一つの集落で全て行っていた訳ではない可能性もあるという。
長者ケ原遺跡からは、各地域の有力な集落から出土する土偶や火焔(かえん)型土器も見つかっている。また、ヒスイに加えて石斧(せきふ)の加工が盛んに行われ、原料の石を割る過程の未成品も出土した。東北地方で同市のものに見える石斧が発掘されている。また、今月、出土品を県文化財に指定する答申が出された同市大和川の六反田南遺跡でも石斧が出土している。ヒスイだけでなく、石斧の材料となる蛇紋岩や透閃石岩(とうせんせきがん)などが豊富だったことが分かる。
六反田南遺跡は土石流で埋まった痕跡がある。その後、住民が長者ケ原遺跡に移ったと考える人が多いというが、山岸学芸専門員は「両遺跡の間に海川がある。当時の人が川を越えてくるかどうか。六反田南遺跡の南側に岩野B遺跡がある。縄文時代中期の後半は、石の産地を求めて人が多く集まり、同時に存在してもおかしくはない」と説明した。
【縄文時代】縄文土器(表面に縄文のあるものが多いことから、こう名付ける)を指標とする時代。紀元前1万年前後に始まり、前4世紀ごろまで継続して、弥生時代と交代する。主に竪穴住居から成る集落を構成し、採集・漁労・狩猟の採取経済の段階にあった。
【古代】日本史では一般に奈良・平安時代を指し、古墳時代(原始古代)を含めてもいう。(参考『広辞苑』第七版、岩波書店)
※本投稿は2019.02.28付「上越タイムス」に掲載した記事を投稿しています。文中に出てくる日付等は掲載当時のままです。あらかじめお含みおきください。