Part1 熱の基礎講座
建材試験センターの機関誌「建材試験情報」で2015年4月~2018年4月にかけて連載していた基礎講座「熱の基礎講座」をNOTEにてアーカイブしています。(一部加筆修正)
PART1は2015年4月号からです。
1.はじめに
私たち人間は,古くから,雨風や暑さ寒さなどから身を守るためのシェルターとして「すみか」をつくってきました。次第にこの「すみか」には,アメニティとしての機能が求められるようになっていきます。そして,地域の気候風土に適した伝統的な民家に発展していきました。そのような民家は,ヴァナキュラー建築とも呼ばれ,今でも世界各地に存在しています(写真1)。その多くには,それぞれの地域で快適に過ごす(熱とうまくつきあう)ための建築的な工夫(パッシブな技術)をさまざまな形で見ることができます。
写真1 ヴァナキュラー建築の一例(日中の強い日射しと冬の寒さをしのぐための工夫がなされたチュニジアの穴居住宅「マトマタ」)
一方,電気やガスなど,人工的なエネルギーが簡単に手に入る現代では,最低限の建築的な工夫を取り入れておけば,冷暖房機器をはじめとするアクティブな技術により,住宅の熱環境を簡単にコントロールできるようになっています。しかし,利便性や快適性を追求し続けた結果,私たち人間は大量のエネルギーを消費するようになっています(図1)。最近では,世界各地で気温上昇が観測されていますが(図2),このような人間の活動そのものが,地球温暖化やヒートアイランドなど,地球環境の変化を引き起こす要因になっていることがわかっています3)。
図1 産業革命以降の世界のエネルギー消費の推移1)
図2 1900年を起点とした世界と東京の年平均気温の推移2)(直近の約100年で,地球全体では約0.7℃,東京では約3.0℃の気温上昇を観測)
建築が関わる民生部門でも,エネルギー消費量は増加し続けています。現在では,日本の最終エネルギー消費の3割以上を占めており,そのうちの約4割は家庭でのエネルギー消費といわれています4)。また,産業や運輸部門に比べ,過去からのエネルギー消費量の増加傾向が著しくなっています。そのため,私たちが日々生活する住宅でも,省エネルギーを推進していくことが強く求められる時代になってきています。
しかし,これまでの社会を全面的に否定し,私たちの価値観を大きく変えていくことは容易ではありません。社会の発展を勘案した,多くの人々が許容できる省エネルギー手法を考えていく必要があるといえます。いずれにしても,ヴァナキュラー建築のように地域の気候風土も考慮した「パッシブな技術」と,冷暖房機器のような「アクティブな技術」をうまく融合し,現代の住まいや住まい方に適した知恵や技術を取り入れいくことも大切といえます。
2.日本の気候風土
吉田兼好が書いたとされる随筆「徒然草」に,「家の作りやうは,夏をむねとすべし。」という有名な一文があります。日本の伝統的な家づくりを表すことばとしてたびたび引用されていますので,ご存知の方が多いのではないでしょうか。確かに,日本の伝統的な民家は,窓(間戸)が大きく取られ,「開ける」機能に優れたつくりが特徴です(写真2)。このようなつくりは,暑さ対策として理にかなっています。徒然草に書かれているように,夏をむねとしていることがわかります。その反面,薄くてすき間の多い窓が大きく取られたつくりは,冬の寒さに対して無頓着ともいえます。
写真2 開ける機能に優れる日本の伝統的な建築の一例(鎌倉時代に建てられたといわれる国宝「栂尾山高山寺石水院(とがのおさんこうさんじせきすいいん)」)
当時の日本は,今よりも暖かかったのでしょうか。今では,鎌倉時代の日本の気候を詳しく知ることはできませんが,最近の東京の気候を諸外国と比べてみると,図3のようになります。ここ数年,国内の各地で観測史上最高気温を更新することが増えていますが,近年の東京の夏はジャカルタ並みの蒸し暑さであることがわかります。その反面,冬はパリとさほど変わらない気温まで下がっています。この図からわかるように,東京の気候は,季節による寒暖の差が激しく,また暑い時期に相対湿度が高くなるという特徴があります。このような地域では,夏と冬の両方に対する工夫が必要になってきます。
図3 世界の各都市のクリモグラフ5),6)(図中の数値は月を示す)
さらに時代をさかのぼると,「日本書紀」の景行紀には,東国の蝦夷(えみし)の住まい方について「冬は穴に宿(ね),夏は樔(す)に住む」と記されています。これについては諸説あるようですが,筆者の持っている書籍7)には,「穴」とは屋根に草の生えた竪穴住居,「樔」とは木の巢で成り立つ漢字であることからも樹上住居(ツリーハウス)ではなかったかと推察されています。
これによると,当時の蝦夷の人々は,冬は厳しい寒さから身を守るために閉ざされたシェルターに住み,夏は涼しさを求めて開かれたアメニティに住んでいた。つまり,気候に応じて,断熱と気密に優れた「冬の家」と,通風と日射遮へいに優れた「夏の家」を住み分けていたということになります。このように,気候に応じて性能の異なる2つの家を住み分ける方法は単純でわかりやすく,また設計もしやすいといえます。
現代では,このような暮らし方は現実的とはいえませんが,東京のような気候の地域において,年間をとおして1つの家で高い快適性と省エネルギー性を実現するためには,「開ける」機能と「閉じる」機能を併せもつことが重要です。蝦夷の住まいに例えれば,「開ける」機能とは通風,「閉じる」機能とは断熱と気密と日射遮へいにあたります。これらは現代でも,建築的な工夫の基本となる要素となっています。
しかし私たち現代人は,例えば,北海道の厳しい冬の寒さを断熱と気密だけで乗り切ることはできませんし,東京の夏の蒸し暑さを通風と日射遮へいだけでしのぐことは難しくなっています。多くの場合,建築的な工夫だけで十分に満足できる熱環境をつくりだすことは困難になっており,冷暖房機器などの助けが必要になっています。
3.住宅のエネルギー消費
皆さんのご家庭では,設備機器にどの程度のエネルギーを消費しているかご存知でしょうか。住宅で使用する設備機器は多岐に渡りますが,一般的な家庭では夏と冬に電気代が跳ね上がることが多いため,冷房と暖房の両方に多くのエネルギーを消費しているイメージがあると思います。しかし実際は,冷房よりも暖房にはるかに多くのエネルギーを消費しています(図4)。当然,この傾向は,地域,建物の性能や立地,居住者の住まい方などにより大きくばらつきますが,沖縄を除く地域では,冷房に使用するエネルギーはさほど多くありません。
図4 家庭における冷暖房エネルギー消費の割合8)
日本の地図上にデグリーデーを示すと,図5のようになります。この図からも,冷房よりも暖房の方が,遥かに必要性が高いことがわかります。したがって,冷暖房負荷の低減という観点からは,日本の多くの地域では,冬をむねとした家づくりを考える必要があるといえます。
図5 暖房デグリーデーと冷房デグリーデーの分布(拡張アメダス気象データ9)に収録されている標準年の気象データを基に,描画作成ツール「Color Map」により作図)
4.おわりに
5年後の2020年といえば,56年ぶりに東京でオリンピックが開催される年ですが,建築分野では「住宅の省エネルギー基準」が完全義務化される大きな節目の年でもあります。あと数年で,所定の省エネルギー性能を満足しなければ,狭小住宅ですら建てることのできない時代を迎えます。さらに国のロードマップでは,2020年までに一次エネルギー消費量が正味ゼロとなる「ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス」を標準的な新築住宅とする方針が示されています10)。そのためには,冷暖房をはじめ,給湯・調理・照明などの設備機器を高効率化し,太陽光発電などのエネルギー創出設備を導入することが必要不可欠となります。
一方で,断熱・気密・日射遮へい・通風など,建築的な工夫が十分になされた家では,冷暖房負荷を大幅に減らすことができるとともに,快適性を高めることができます。そのため,ヴァナキュラー建築にみられるような建築的な工夫は,冷暖房負荷を減らすための省エネルギー技術として,また快適な暮らしを実現するための知恵として役立てていくことも大切といえます。
【参考文献】
1) 経済産業省 資源エネルギー庁:“エネルギー白書2011”
http://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2011pdf/whitepaper2011pdf_2_1.pdf,p.76,(参照2015-03-01)
2) 国土交通省 気象庁:“気温・降水量の長期変化傾向” http://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/temp/index.html(参照;2015-03-01)
3) W.J.バローズ著,松野太朗監訳;気候変動-多角的視点から,2012
4) 経済産業省 資源エネルギー庁:“エネルギー白書2014”
http://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2014pdf/whitepaper2014pdf_2_1.pdf,p.140,(参照2015-03-01)
5) 国立天文台;理科年表,平成27年,第88冊
6) Weather forecast and climate data for the regions around the mediterranean sea :“Moyenne mensuelle des données météorologiques pour la région du Paris en France ”,
http://www.temperatureweather.com/mediterr/meteo/fr-meteo-en-france-paris.htm,(参照2015-03-01)
7) 藤森照信著;天下無双の建築学入門,2001
8) 一般財団法人建築環境・省エネルギー機構;自立循環型住宅への設計ガイドライン 入門編,p.12のグラフを基に作図
9) 株式会社気象データシステム;拡張アメダス気象データ(1991-2000)
10) 経済産業省:低炭素社会に向けた住まいと住まい方の推進に関する工程表(案)
http://www.meti.go.jp/committee/summary/0004688/pdf/004_01_01.pdf,(参照;2015-03-01)
<執筆者:中央試験所 環境グループ 田坂太一>
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