日曜夜のドラマについて

●サマリー
高視聴率を上げている日曜夜のドラマについて書きます。結論として、あの金融機関のドラマに熱中している日本人は可哀想(というか部分的に病的)だ、という趣旨で書きます。

●本文
2013年に放映された日曜夜のドラマの続編は確かに良く出来ています。演者も素晴らしいです。脚本や構成も一流です

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しかしながらドラマの主軸における土下座とか詫びろとか「おねしゃす」とか、そんなに日本人は人への恨みとか怨念が溜まってるんでしょうか

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銀行から証券会社に出向し、また本店に戻ってくると言うのはなかなかのタマだと思いますが、銀行の人事は長期的にみると出入りのある社員に対する実際の評価はそんなに甘くありません

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主人公の言動と行動は見上げたものです。好きか嫌いかといえば、かなり好きな部類です。彼のセリフ一つ一つは今の日本人のビジネスマン、ビジネスウーマンに最も必要なものであり、同時に欠落している何かを含有している事は誰もが認めるところでしょう。

しかしそんな中で、このドラマの本質的なメッセージを実業務で行う日本のビジネスマン、
ビジネスウーマンはどれだけいるのでしょうか。

先日、あるテレビ番組の特集において「このドラマのような生き方をしてみたいか」という新橋の街頭インタビューがありました。

多くの日本人がその問いに対して「あんな生き方アレは出来ない」と答えていました。

そうなるとこのドラマは、日頃のストレスや上司や上役を打ち負かしたい願望を抱えた日本人の不健全なメンタリティの裏返しに他なりません。

その姿勢は、結果的に今の状態を変えない、動かない、当然ながらリスクも取らないという「ドラマ止まりドラマ」として視聴されているのだと感じました。

考えてみますと2013年の放映時から、国内の組織やクソ社会ぶりは何も変わっていません。むしろ劣化の一途を辿っています。

確かにドラマを『おはなし』として観るのは、それはそれで楽しみ方としてアリだとは思います。

しかしわざわざ休みの日に会社組織を変えるドラマを観たいという欲求の裏には「出来れば自分もああなってみたい、あんな風にやりたい」という想いが根底にあるはずです。

そんな中で私淑する矢沢永吉様は、このようなことをおっしゃってます。

「やるか、やらないか
          オレはやっちゃうよ」

このメッセージが秀逸である理由は、「やるやらない」のゼロサムだけではなく「オレはやっちゃうよ」の部分に矢沢永吉さんの態度表明が示されているからです。

ドラマは態度表明なく無言で観ます。

ドラマの価値を否定しているのではありません。ドラマを己れの現実創造の一つのヒントとし、それを素材として活かし「オレはやっちゃうよ」という態度に繋がるようにして行けば良いと考えております。


本当にありがとうございました。