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10/29(月)シブヤとシリアと被害者

ハロウィーンの渋谷での出来事が話題になっている。
ネット上の反応はというと、もちろん渋谷に集まって騒いでいた人たちを批判する内容がほとんどだ。中でも、駐車してあった軽トラックを集団で横倒しにしている映像は、そのインパクトの大きさもありTwitterを中心に大きく拡散され注目されている。
 僕もハロウィーンという「お祭り」に乗じて横行する迷惑行為や犯罪行為にもちろん批判的な立場だけれど、それについては多くの人が既に言及しているので割愛して今回は「被害者」について考えていたことを書きたいと思う。

シブヤとシリアの違い

僕が気になったのは、渋谷での軽トラ横転事件では誰もがきちんと犯人たちを批判していて、「被害者」である軽トラ所有者をバッシングする意見が皆無であるという点だ。
 こう書くと「当たり前だろ。犯人が悪いに決まってるんだから」と言われてしまいそうだけれど、同じく「犯人が悪いに決まってる」ジャーナリスト安田純平さん拘束については、多くの人たちが「被害者」である安田さんをバッシングしていた事は記憶に新しいし、現在も続いている。
 もちろんシリアの邦人拘束事件と渋谷の軽トラ横転事件を単純に比較することはできないが、もし今回の渋谷の事件についてこのような発言をしている人を見かけたらどう思うだろうか。

「ハロウィーンの渋谷が無法地帯になることは分かっていたはず」

「そんな渋谷に自分の意思で出かけていって車を停めたのだから自己責任」

「車が壊されないようにもっと注意すべきだった」

「倒しやすい軽トラで行ったのが怪しい。自作自演では?」

「この事件によって対応せざるを得なくなった警察に迷惑をかけた」

「この事件によって他の車も狙われることになり、迷惑だ」

「迷惑をかけたのに軽トラ所有者から謝罪や感謝のコメントが無い」

「軽トラが倒されたせいで渋谷の騒乱をさらに加速させてしまった」

もちろん、このような荒唐無稽なバッシングをしている人は僕が見る限り一人もいない。
 しかし、現在安田さんへ向けられているバッシングの多くはこのような荒唐無稽な論理に基づいているものである。そして厄介なことに、この論理はあらゆる事件・事故の被害者に向けて応用できてしまうものだ。

渋谷の事件ではこのような被害者バッシングは起こらなかったが、僕の個人的な感覚としてその理由は「単に被害者の情報がなかったから」「加害者の方が叩きやすそうだったから」だと思っている。
 もし被害者本人がTwitterで名乗り出て、過去の賛否が分かれるようなツイートが掘り起こされたり「軽トラは違法駐車だった」等のデマが流されれば風向きが一気に変わり「どっちもどっち」または「被害者バッシング」に傾いていたのではないかと想像してしまう。それほどに日本のネット世論は「被害者バッシング」に流れやすい傾向にあると思っている。

「被害者」を値踏みする人たち

悲しいことだが、この国には同じ被害者でも「味方される被害者」と「攻撃される被害者」が存在する。そして被害者はその些細な発言や行動によってどちらかに簡単に「選別」されてしまう。
 被害を受けた人は、被害を受けたという事実だけではなく「被害者らしい姿・態度であること」が求められる。それは「常に辛そうにしていること」だったり「過去にひとつも欠点が無いこと」という無理難題だったりする。
 そしてその「コード」に少しでも反していれば、先ほど挙げた難癖とも言えるようなバッシングを受けたり、被害そのものを疑われたり、矮小化されたりして、本来受ける必要が無いはずの精神的被害を被ることになる。
 そしてあまりに当然のことなので書き忘れていたが「被害者」と「加害者」の関係性は、両者の人間性によって影響されない。人の悪口ばかり言って仕事もできない男でもサイフを盗まれれば被害者だし、いつも優しい会社の社長でも人を殴れば加害者となるのだ。
 被害者バッシングの悪質な点のひとつは、被害者を攻撃することによってこの自明な加害・被害の関係性までも歪め、時にそれを逆転させるよう仕向けることさえ厭わないことだ。
 前例を挙げるまでもなく、安田さん以前からこの「被害者の選別」と「被害者バッシング」は主に女性の性被害を中心に繰り返されていて、それに反発する「#MeToo」という運動を生み出した。
 本来であれば被害者バッシングをしてくる人間のほうがいなくなれば済む話なのだが、こうした被害者のための運動も始まっているのが現状だ。
 被害を受けた人がそれ以上傷つかずに済むような社会をつくるためには、これからも多くの時間と労力がかかるだろうし、個人個人の力だけではなく行政や司法が変わっていくことも必要不可欠なのだと思う。


差別的に使われることが多い言葉なので避けていたが、渋谷の事件を受け「日本人の民度」について考えさせられた1日だった。
大声で騒ぎ、ゴミをそこら中に投げ捨てて軽トラをひっくり返すのはもちろん分かりやすく論外だけれど、一方で、ネットで被害者をボロクソに叩くという行為の「民度」についても我々は考えなければいけないと思った。
 安田さんが怒りの声とともに帰国したという一件は、日本人への奇異の視線と共に海外に報じられたという。

本当は「被害者バッシングをする人はなぜそんな事をするのか」ということも考えて書きたかったのだけれど、記事が長くなりすぎるので今回はここまでにしたい。相変わらず書いていてうんざりしてしまう事ばかり書いてしまうのだが、これを書くことが少しでも現状に対する抵抗になればと思う。

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