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『ラーゲリより愛を込めて』を、社労士受験生的に考えてみる

「ラーゲリより愛を込めて」を、社労士受験生的に考えてみようと思います。きっかけがその映画というだけであって、本文は映画とはほとんど関係ありません。

物語の発端は、第2次世界大戦の終戦後、日ソ中立条約の規定を無視したソ連が、武装解除し投稿した日本軍を、シベリアに抑留し始めた1945年(昭和20年)8月に遡ります。それから、日本とソ連の国交が回復する1956年(昭和31年)までの12年間、日本人が、シベリアのマイナス40度を下回る過酷な環境で強制労働に従事させられました。

この間の日本、戦後の復興機で厳しい時代ではありましたが、もちろんシベリア抑留のような過酷な環境ではありません。

シベリア抑留からの帰還が完了した3年後の1959年(昭和34年)4月、国民年金法が制定されました。11月には同法が施行され、当初は無拠出性の「福祉年金」として支給されました。1961年(昭和36年)4月からは保険料の納付に基づく拠出制の年金制度として始動するに至りました

その後、公的年金の一元化が唱えられるようになり、昭和60年には全国民共通の基礎年金制度を創設する抜本的改革が行われました。
昭和61年4月からは、学生を除く20歳以上60際未満の日本に住む全ての人を強制加入とし、共通の基礎年金を支給する制度になりました。

なお、映画のラスト(2022年)では、主人公である山本幡男の長男、山本顕一が孫娘の結婚式でスピーチするシーンが流れます。
山本顕一氏のHPには経歴が掲載されています。これによると、顕一氏は1935年(昭和10)生まれ、1964年(昭和39年)3月に東京大学大学院を満期退学、2001年(平成13年)に立教大学を定年退職、とあります。

以降は、この経歴をモデルとした、国民年金を理解するための想定になります。事実とは一切関係ありません。

上記のような経歴の場合、国民年金に加入したのは1964年(昭和39年)4月から、60歳を迎える1995年7月までで、この間の期間は31年となります。また、1961年(昭和36年)から1964年(昭和39年)の3年間は、学生であったために国民年金の適用を除外されていた期間として、合算対象期間に含まれます。
また、66歳まで勤務していたということは、60歳から65歳までの間は任意加入保険者であった可能性もあります。

保険料納付済期間(31年+5年)+合算対象期間(3年)>=10年となるため、支給要件はクリアしています。
ただ、納付済帰還が40年には達していないので、満額ではなく減額されていることになると思います。


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