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『最長片道切符の旅』を旅する day21 厳粛なる阿呆らしさである

甲府から身延線東海道に出る。浜名湖を大回りする二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)を経由して豊橋へ。ここから秀吉の「中国大返し」並みの大逆転で一気に会津若松までとって返す。この最長片道切符ルートで最も美しい驚愕の大回りである。今日は上諏訪まで遡る。

甲府ー富士ー掛川ー新所原ー豊橋ー岡谷ー上諏訪

甲府 0522(身延線)0742 富士 0752(東海道本線)0826 静岡 0828(東海道本線)0911 掛川 0921 (天竜浜名湖線)天竜二俣 1127(天竜浜名湖線)1237 新所原 1251(東海道本線)1302 豊橋 1308(飯田線)1534 飯田 1608(飯田線)1844 上諏訪

豊橋から飯田線の客となる。あさっての午前10時に会津若松に達する予定になっている。目的地の枕崎に背を向けて二日間乗りつづけるのだから、最長片道切符ならではだ。しかし阿呆らしさもここまでくると、かえって厳粛な趣を呈してくるかに私は思うのだが。 

(新潮文庫)

北海道を出発して南へ、西へと進んできた『最長片道切符の旅』だが、今日はここで大逆転をする。豊橋から会津若松へ、そこからまた反転して、新潟松本を経て名古屋へ出る。

豊橋ー名古屋間はわずか70kmしか離れていないのだが、会津若松へは740km、会津若松から名古屋まで820km、1560kmの遠回りである。これぞ『最長片道切符の旅』の真骨頂といえるだろう。まさに厳粛なる阿呆らしさである。

豊橋から大逆転 会津若松へ

さて、甲府である。駅前のビジネスホテルを目覚まし前に飛び起きて甲府駅に向かう。今日は18切符を使う。身延線のホームは6番線のずっと端っこ(現在は4、5番線)にある。身延線はJR東海なので駅名標はオレンジになる。

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甲府駅身延線乗り場
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金手駅

中央線で甲府の手前に金手(かねんて)という駅があるのが気になっていた。写真左側が中央本線、右が金手駅。中央線沿いにあるのに停まらない駅。しかも駅名標がオレンジの東海である。今日、通ってみてようやく分かった。身延線だったのか。そうか、それでホームの端がオレンジ色だったのだ。

甲府ー富士ー掛川ー新所原ー豊橋ー岡谷ー上諏訪

途中、国母(こくぼ)で富士山の頭だけが見えた。右側の南アルプスには月がかかる。市ノ瀬には4,5軒の石材屋がありきれいな石仏がある。

西富士宮へ下っていく途中、右窓の遙か上に大きく富士山が現れる。おもわずウワッと声が出る。美しい。この区間だけ富士山は右側に現れる。

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右窓に富士山

このあたりから見る富士山は形がよく、車窓の富士でいちばんよい。ちょっと電車を停めてほしいような展望所である。  (新潮文庫)

富士で富陽軒の「いなり弁当」を購入。

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これを食べたのは天竜二俣であった

しかし静岡まではロングシートの通勤電車でお弁当を食べそびれる。金谷駅手前で大井川鐵道のディーゼル列車と併走する。SL列車だとなおよかったんだけど、それでもなんだかうれしい。

静岡新聞のテリトリーから中日新聞のテリトリーに入ってきた。駄菓子を仕入れる問屋先は天竜川の東は東京の浅草橋、西は名古屋の明道町になる。ここら辺から東西文化の国境線が始まるようだ。

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天竜浜名湖鉄道(旧二俣線) (wiki)

掛川で旧二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道)に乗り換える。二俣線は1987年(昭和62年)廃止、「天浜線」として開業した。二俣線は浜名湖鉄橋が爆撃された場合に備えて東海道本線の代替線として敷設された。

(掛川)駅のすぐ南側は新幹線の高架橋で、東京発11時00分の「ひかり7号」が一気に走り抜けていった。時速200キロは、乗っているとそれほどでもないが、近くで眺めるとさすがに速い。すこし思い上がっているぞ、と言いたくなるほど速い。私もよく乗るが、地上で見ていると、あんな危険なものによく平気で乗っていられるな、といつも思う。「ひかり」は掛川から豊橋までを約18分で走破してしまうが、私がこれから乗る二俣線の列車は2時間25分かかって走る。  (新潮文庫)

途中、遠江一宮駅(とおとうみいちのみや)のアナウンスはイタリア語のTŌTŌMIICHINOMIYA(トゥートッミーチノミーヤ)にしか聞こえない。天竜二俣(国鉄時代は遠江二俣)で10分の待ち合わせ。トイレのポスターでここは「秋野不矩美術館」の地と知る。この人のインドの絵が好きだったので、列車を一本ずらして美術館を見に行くことにする。

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秋野不矩美術館
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藤森照信設計

やっぱり「ガンガ」(ガンジス河)の絵はよかった。美術館は建築家・藤森照信の設計で藁を混入した外壁モルタル、鉄平石の屋根がよい。

甲府ー富士ー掛川ー新所原ー豊橋ー岡谷ー上諏訪

新所原(しんじょはら)で東海道本線豊橋までは11分である。

豊橋から特急券と乗車券4300円を奮発して特急「伊那路3号」に乗る。飯田線はもと私鉄で駅間が短くて、各駅停車は井の頭線が200km続くようなもんで、乗り鉄の私も最初飯田線に乗った時はあんまり長くてさすがに閉口した。で、今日は特急である。美術館で遅れた1時間をここで取り戻す。

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特急伊那路

特急伊那路ワイドビューは3輌編成、簡にして要を得た車内はすっきりしていて気持ちがいい。(普段、普通列車ばかりで特急には乗ったことがないので)やっぱり特急はいいなあ。これからは「乗りつぶし」た路線はどんどん特急に乗ろうっと。

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飯田のソースカツ丼

飯田で30分ほど待ち合わせがあるので、駅喫茶にて名物「ソースカツ丼」を食べる。

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豊橋駅の名所案内

さて、たいがいの駅のホームには「名所案内」が立てられている。私はこの「名所案内」が好きなのだ。「名所案内」は、その土地の文化歴史生態人物がぎゅっと凝縮してあって、さしずめその土地が外へ発信する独自性の宣言(declare)ではないか、と思うのだ。(写真は東海道本線・豊橋駅) 

以前、18切符を使った「サイコロの旅」遊びをしていたことがある。サイコロで降りた駅の「名所案内」でまたサイコロを振って、出た目の名所に必ず行ってくるというしばりで、これは「どうでしょう」的でおもしろかったなあ。

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豊橋から会津若松、新潟を経て松本、名古屋へ。1560kmの回り道。

さて『最長片道切符の旅』である。豊橋から大逆転した「一筆書きルート」は飯田線から小海線、信越本線、上越線、只見線を辿って会津若松に至る。会津若松からは新潟、十日町、直江津、糸魚川、松本を経由して名古屋まで下ってくる。この戻りもすごい。よくこのルートを見付けたなあ。この驚愕の1500kmの遠回りには頭が下がる。すごいなあ。とはいえ、私はこの大回りを五日間かけて回るのだよ。やれやれ。

最長片道切符のルートは決まった。北海道の広尾から九州の枕崎までは最短経路なら2,764.2kmであるから、その4.8倍(13,319,4km)という、なかなかの遠回りである。 
ルート図を見ると、羊腸というか、行きつ戻りつしながらくねっていて、特に私の思案の外であった豊橋から飯田線、小海線、只見線を通って会津若松まで戻るあたりは、阿呆らしさ極まって襟を正させるような趣さえある。  

(新潮文庫)


飯田
からは普通列車で2時間30分掛けて上諏訪に到着。駅近くの宿を取る。夕食後、片倉館洋風風呂の立ち湯でぼーっとする。浴槽床の小石が気持ちいい。さーて、先は長いなあ。


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