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#この仕事を目指すまでの私【「絶対にこれがやりたい!!」と思う事がなかった私が】~訓練部 丸岡英未 編~

訓練部の丸岡英未です。職員になって5年目、現在は犬舎管理と訓練を担当しています。始めの2年間は広報を担当していました。
2つの部署を経験させていただけた事をとてもありがたく思っています!

さて、今回は私が協会職員になるまでの経緯を書いてみたいと思います。

私は父の仕事の関係で引っ越しが多く、2~3年に1度の転校、早い時は1年経たず、という事もあり、これまで茨城、アメリカ、大阪、マレーシア、大阪、愛知の6つの場所に住みました。日本国内のみではなく、海外に行くこともあり、年長から小2まではマレーシアという常夏の国で暮らしました。1年中プールで泳ぎ、日本人とは思えない程真っ黒になり(笑)、言葉が通じない地元の人たちとなぜか仲良くなり、学校では休み時間によく校長室に遊びに行き、校長先生と仲良しになったり。この頃は割と活発でやんちゃだったように思います。

転校が多く、その都度学校や地域性に合わせて馴染む必要があったからなのか、それとも元々の性格なのか「周りに合わせる」という事が良くも悪くも得意で「絶対にこうしたい!!!」という強い意志を持っているタイプではありませんでした。
将来の夢も、一つこれ!というものは無く、何となく思っている物がたくさんありました。その中の一つに盲導犬訓練士が入っており、小学校卒業の時の文集には盲導犬訓練士と書いてあります。ただ、この時はそれほど強い意志ではありませんでした。

高校3年生で進路を選ぶ時期になったとき、自分は何がやりたいのだろうと深く考えるようになりました。その時はアニマルセラピー(動物介在療法、動物介在活動)に強く興味を持っていましたが、どのような事を勉強したら良いのか様々調べたところ、犬のことよりもまずは人の福祉の勉強をすべきだという事を知り、愛知県内の社会福祉学科のある大学へ行くことにしました。

そんな中、協会で働きたいと思ったのは大学1年生の5月、介助犬フェスタのボランティアに参加してからです。何かボランティアがないかと大学のボランティアセンターに訪れたとき、介助犬フェスタのボランティア募集を見つけました。
犬と福祉を学びたいと思っていた私にとっては最高のボランティアだと思い、すぐに参加の申込みをしたことを覚えています。
フェスタをきっかけに協会への興味が強くなり、協会のボランティアに登録をしました。
そしてボランティアをするたびに協会への想いは強くなり、これまで「絶対にこれがやりたい!!」と思う事があまりなかった私が、「絶対に介助犬に関わる事がやりたい!」と思うようになりました。

それから、協会に入るためにどんなことを準備できるのか様々調べていたところ、社会福祉士の資格を持った職員もいるという事を知り、私も社会福祉士の国家試験を受ける事を決めました。
ただ、私は子どもの頃から勉強嫌い。。まさか自分が国家試験を受けることになるとは思いませんでした。しかし、資格を持って協会に入りたい、という想いが強く、これまで真面目に勉強をしてこなかった私が、受験勉強の時には朝から晩まで毎日、図書館にこもって勉強をしました。(このように聞くと、ただただしんどい勉強の日々、、のようですが、実際はそれほど辛いと感じる事はなく、興味のある内容だったことや、集中できることがあり充実した毎日だったな~と思います。)

そして大学3年生になった頃、協会のHPを見ると「インターン募集」の文字がありました。
協会では通常、インターンの受け入れは法人会員の学校生徒のみを対象としているのですが、その年は例外的に一般からもインターンへの応募が出来たのです!これはとてもラッキーでした。
この頃は、研修生になる事を両親からは反対されており、自分自身も研修生になれる人数は多くない事が分かっていたので、自分には難しいかな、諦めるべきなのかな、、と悩んでいました。
そのため、インターンに参加する事で協会の仕事を経験し、これで満足して諦められたら良いかなという気持ちも少しばかりありました。(こんな気持ちで参加していた事、申し訳ありません!)

しかし、そうはいきませんでした。2週間、泊まり込みでのインターンで協会の雰囲気や仕事内容をより深く知れたことで、私の気持ちはさらに盛り上がってしまったのです。インターンを終えて、「これが私のやりたいことだと再確認し、改めて絶対にやりたい!!」と思いました。

そして大学4年の夏に研修生に応募し、無事に研修生に合格。その後国家試験も無事に合格し、研修生生活が始まるのです!

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社会福祉法人 日本介助犬協会
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