【松本 武尊】作業療法士×パラアスリート ~医)鎮誠会と進む~ 「全ての巡り合わせで今、自分がここにいる」
今年4月に医療法人社団 鎮誠会に入職した松本 武尊さん。
季美の森リハビリテーション病院で作業療法士としての勤務をスタートした彼は、陸上競技のパラアスリートでもある。
高校2年生の時に発症した脳卒中を乗り越え、昨年7月に開催された、パリ2023 世界パラ陸上競技選手権大会では、400mで4位、ユニバーサルリレーで1位の記録を残し、本年8月に開催予定のパリパラリンピックへの出場も内定しています。
今月、17日から開催される神戸2024 世界パラ陸上競技選手権大会への出場を控える彼の生い立ち、病気の経験からパラアスリートへの道のり、作業療法士や当法人との出会いに迫ります。
Profile|プロフィール
松本 武尊(まつもと たける)
2001年8月25日生まれ 千葉県出身
高校2年生の時に脳卒中を患い、両手足にまひが残るが、リハビリ後にパラ陸上を始める。
2024年4月から季美の森リハビリテーション病院にて作業療法士として勤務。
選択が一つでも違ったら、今、自分はここにいない。〜生い立ちから、病気の発症〜
ー まずは、生い立ちについて教えてください。出身は千葉なんですね?
ずっと東京都 江戸川区で育ったんですが、生まれたところは、千葉県の千葉市らしいんです。そこは自分もよくわかっていなくて笑
19歳の時に東京パラリンピックに出て、自分の情報が表に出た時に「ああ自分、千葉県で生まれたんだ。」って笑
ー どこからその情報を知った?笑
わかんないです笑
ネットに「松本は千葉県で生まれた」っていう情報が書いてあって「あ、俺、江戸川区で生まれたわけじゃないんだ」って、あれはびっくりしました笑
ー 小さい時は、どんなことをしてましたか?運動が好きとか、別にそんなにスポーツが好きだったわけじゃないとか、どういう生い立ちでしたか?
小さい時は、とりあえず運動は好きで、理由が両親も運動ができたっていうのはあるんですけど、自分に小児喘息があって、医者に「喘息だったら水泳をやった方がいい。水泳って心肺機能を使うから。」って言われて、水泳をやっているうちに陸上もってなったんです。
ー 水泳から陸上に移行したきっかけは?
本当は、小学生の時は水泳選手っていうのが夢で、なりたくて。
中学校に入学して、いざ「部活に入ろう!水泳部に入ろう!」ってなったら、その学校に水泳プールがなくて笑
じゃあどうしようって思って、とりあえず運動が好きだから陸上部に入ろうってなって、陸上が始まった。
だから、水泳が本当はやりたかった笑
ー じゃあプールがあったら今、水泳選手になっているかもしれないですね笑
パラの水泳選手か、そもそもここにいないか。
あの時に陸上部に入ったから、多分、病気をしても助かったんだろうし。
ー それはどういうこと?
水泳じゃなかったら、入学した中学校に部活があったかもしれないし、いろいろな幸運の巡り合わせ。
自分は運がよかったなっていうのはすごく思う。
で、今、生きてます笑
ー そういうふうに考えるんですね…
中学から高校に上がっても陸上を続けて、自分が入った陸上部は、日曜日は練習が休みで、日曜日に自分は自宅で病気をした。
日曜日に部活がもしあったら、誰かとどこかに遊びに行っていたら絶対、助かってはいなかった。
自分のした病気は軽いものじゃなくて、あの手術を成功できたのは、今の自分の主治医がいたからっていうのがすごいあって、その人が執刀してくれていなかったら助かってない。
その時、たまたま行った病院に名医がいたっていうだけで、もし、日曜日に部活があったら、運ばれる病院も違っていたと思う。
幸運だった。
選択が全部繋がっていて、一つでも違ったら今、自分はここにいないから、考えるとゾッとします。
すごいなって。
ー 執刀してくれた先生とは、まだ関わりを持っている?
あります。
1年に何回かメールしたりとか。
でも、高校に入って陸上部に入ろうと自分が決めたきっかけを与えてくれた先生は、どこで何してるかわかんないです。
高校に入った時、自分は陸上が嫌いだったんです。
ただ辛いだけじゃんって笑
そんな自分に対して『お前は陸上しかない。』みたいなことを言ってくれた先生がいて。
ー それを言われた時は、その言葉は素直に心に染み込んできた?
はい。
プラスで違うことも言われて、そっちの方が「あ、そっかあ」って染み込んできました。
ー どのように言われた?
『お前みたいなやつは、たくさんいる。』
自分、バスケットボールが好きで、高校生になったらバスケ部に入ろうと思ってて。
自分はバスケがうまいって、すごい自信があったんで、バスケ部に入ろうと思ったら、先生に「お前みたいな人はいるから」って言われて「じゃあ陸上部に…。」って笑
自分の体は何ができるか。〜パラアスリートとして〜
ー 病気になる前から陸上をやっていて、今も陸上をやっている状況。病気になって、手と足に麻痺が残って、できないことが増えたと思う。そこに対して、自分の気持ちはすぐ受け入れたり、切り替えたりできましたか?
とにかく自分が入院中に陸上部の人がお見舞いに来てくれた。
高校の同級生も誘って一緒に来てくれたり、週に1、2回は、毎週来てくれていた。
先生も来てくれて、みんな『陸上部に籍は置いてあるから、いつでも来ていいよ。』って言ってくれてて、自分も陸上部に戻って、また陸上をやることに全然、抵抗がなかった。
ー その時からもう、パラ陸上というのは頭の中には?
いや、ないです。
普通に健常者と一緒にやると思っていたら、高校に復学して陸上をやっている時に、自分の記録は、意外とパラでもやっていけるかも知れないって思った。
ー パラを意識したのは、何がきっかけ?部活でみんなと走るだけじゃなくて、パラをやろうって思ったのはなぜですか?
その当時、自分は保健室登校をしてて、保健室の先生が『何かやりなよ。』っていつも言ってくれてたんですよ。
なので、何かやった方がいいのかなって思ったりとかもしていたし、陸上部の仲間も『パラやりなよ!』って自分の背中を押してくれていた。
ー 病気になったからって、走るのをやめるっていう選択肢はなかったんですね。
それは、ないです。
ー 病気になる前とパラアスリートとしての今は、陸上への向き合い方は変わりますか?
だいぶ変わりました。
健常者の時は、どうやったら速くなるかっていうのが、自分の中で常に上にあった。
こういう体になってからは、どうやったら速くなるかっていうことにプラスして、自分の体は何ができるかっていうのが入ったんで、前よりか大変になった。
ー それは、病気をする前より自分の身体に制限ができたから?
はい。
一応、やってみて、自分はこれができない / これができるっていうのを知った上で、じゃあ何をしたらいいかっていうことを考える。
これは、今、自分がOTとして患者さんにしているリハビリに近いかなって。
ー 全部が思い通りにすんなりできるわけじゃないけど、何ならできるかって考えるんですね。
他に何か代わりにできるか、何を代わりにした方がやりやすくなるかっていうのを考えるのもOTの仕事に近いかなって思う。
ー 陸上選手としては、そのやり方にもどかしさは感じますか?
最初はもどかしくても、時間が解決をしてくれている。
良い意味で慣れてきたり。
「時間」な気がします。
自分の経験を患者さんに伝えていきたい。〜自分だからこそ目指したいOT像〜
ー OTという仕事の話が出ましたが、OTを目指したきっかけとか、OTとの出会いはどうだったのでしょうか?
OTは、自分にとって入院中、すごく存在が大きかった。
OTは、生活を見てくれることが多くて、自分を見てくれたOTさんは、自分の食事の場面、着替えてる場面とかそういう些細な日常生活の動作を見てくれて、ただ仕事してるだけじゃないっていうのがすごく伝わってきて、こういう人になりたいなって思った。
ー ただ仕事をしているだけじゃないっていうのは、「この人をちゃんと生活に戻したい」っていう気持ちをリハビリをやってもらいながら感じた、ということ?
はい、寄り添ってくれた。
なので、こういう人になれたら良いなって思ったんです。
ー 医)鎮誠会との出会いは?
学校の先生に紹介されて、令和リハビリテーション病院と季美の森リハビリテーション病院を見学したんです。
全部見て回って、すごい良かった。
「おお、これちょっと自分が知ってる病院よりできること多いな」って思った。
また、そこでも巡り合わせでここに来て。
で、即決しました。
もともと、ちょっと実家から離れて一人暮らしをしたかったんで、それも一つ、決め手にはなりました。
休みが続いた時は、実家に戻ったり、東京に自分のクラブチームがあるので、その点を考えてもアクセスも良い場所だとも思って。
自分の中学・高校は千葉県で、街自体の雰囲気を見ても、坂があったり、木がいっぱいあったり、そういうところにいたんで、あまり違和感ないというか、馴染めていると思う。
ー 練習は、毎日するの?
雨の日とかは、難しいですが、時間をつくれる時は、東金アリーナの陸上競技場を使わせてもらって、練習しています。
あとは、家の近くに練習にちょうど良い道を見つけたんで、そこを使ったり。
自分、そういう道を見つけるのが得意なんですよ笑
ー 東金アリーナの陸上競技場を使っての練習はどう?
タータンもすごくきれいですし、この間、幅跳びの練習も砂を使ってやりました。
すごく良い環境でやれているなって。
ー OTとの両立はうまくできている?
はい、上司もすごくよくしてくれる。
「なんかあったら俺に言ってね。」って言ってくれたり、新人研修の時もフォローしてくれたり。
ー OTとアスリート、2つの顔を持って取り組んでいる状況で、自身の経験があるからこそなれるOTの姿とか、アスリートの姿とか含めて、どういうOTになりたいとか、どういうアスリートになりたいとか、どういう人になりたいとか、今考えていることはありますか?
自分が目指すOT像として、自分がした経験、自分がこれからしていく経験とかを自分が担当する患者さんに伝えていきたいっていうのがすごい大きいんです。
だけど、自分はまだ新人で、何ができて何ができないのか、判断しきれない部分があって、自分の中でせめぎ合いが起きてます。
自分のことを伝えていくのは、もう少し経験を積みながらやっていきたいなと思います。
ー 全部が繋がって今があってって言っていましたが、その気持ちも含めて患者さんに伝わっていったらいいですね。
たまに指導で付いてくれる先輩が患者さんに自分がパラでやってる人っていうことをぽろっと言ってくれることもあるので、それは助かります笑
何事も経験ですね!
ー 最後に応援してくれる皆さんにメッセージを!
これまで自分に関わってくれた方々のおかげで今の自分がいます。
感謝の気持ちを常に持ち、これからも努力していきます。
引き続き、応援の程よろしくお願いします!
インタビューをする前は、「病気になった時、落ち込んだけど、立ち直って今があるんです。」なんていうストーリーを想像していたけれど、実際に話を聴いてみると下向きなマインドは、一度も出てこなかった。
本当は、落ち込んだこともあったかもしれないけれど、自分のしてきた選択を前向きに捉えて進む彼からは「巡り合わせなんです。」、「今まで自分がしてきた選択が今、自分を生かしていて、自分はここにいる。」という言葉が何度も出てきた。
そんな巡り合わせの一つとして、出会った今の職場。
作業療法士としてもパラアスリートとしても、自身の経験や姿で縁する人を勇気づけ、躍進していくであろう彼を私たちは応援していきます!
皆さまもぜひ、松本 武尊の応援をよろしくお願いいたします!
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