画面の向こう側に宿る精霊
画面の中と、その外側
緊急事態宣言が全面解除された。
しかしながら、ライブエンターテイメントはすぐに元通りにはならないし、良くも悪くも変わってしまうことも多いだろう。
家でモニター画面越しに観る配信ライブや、バーチャル空間で行われるイベントで、リアルなライブイベントの現場のような”非日常空間”を作ることが出来るのか?
そんなことを考えている中で読んだ、テクノロジーを用いたライブ演出を手がけている藤本実氏のインタビューにそのヒントが沢山あった。
藤本氏は、「家のディスプレイの周囲につけたLEDテープを、ライブ映像と同期して光らさせる」ことで、よりリアルに感じられる、ということに気づいたらしい。
「ディスプレイの中で起こっていることと、その外で起きることでは、感じ方が全く違う」
「LEDがあるだけで高揚感が全然違ったり、ライブの非日常感や臨場感にLEDがすごく重要な役割を果たしていたと気づいた」
「アーティストの後ろにディスプレイがあって、アーティストにピンスポが当たってるだけでは成立しなくて、すごい数の照明がアーティストだけでなくお客さんに向いていたり、ストロボやLED、レーザーと多くの演出があって、臨場感や非日常感が生まれる」
これらの話にすごく納得した。モニター画面の外側の、生の自分が実際にいる空間に光が連動したり何かを起こせると、かなりの非日常感が生まれる。
このことは、テレビで映画を観るよりも、部屋を暗くしてプロジェクターで映画を観る方が、不思議と非日常感が生まれる感覚にも通じる。単純にデカイということだけではなくて、部屋が暗いということと、そこにプロジェクターによってリアルな光が空間を照らして、光と空間が相互に影響し合っていることに意味があるのだろう。
もうすぐ僕の好きなプロダクトメーカーであるBALMUDAから、「音と連動して光るスピーカー」が発売されるのだが、このことの本質を付いたプロダクトなのかもしれない。
ちなみにこのBALMUDAの公式サイトで、こちらの「The Speaker」の開発ストーリー読んだところ、最初の試作機はもっと本当のライブのステージの照明のように、曲の時間軸に沿ってプログラミングされた凝った光の演出だったらしい。しかしそこまでは商品化出来ないということで、シンプルにこういう仕様になったらしいのだが、音に反応して、実際に光が明滅する(そして周囲の空間が照らされる)というのは、純粋に本質のみを抽出した結果だろう。
話を戻すが、「ディスプレイの中で起こってることと、その外で起こってることでは、感じ方が全く違う」これは、生楽器の生音をその場で聴くことと、PCMシンセの楽器音をスピーカーから聴くことの違いに近い。どう違うかというと、楽器の生音と、録音された音とでは、情報量とエネルギーがまったく違うのだ。
生のピアノは、一本指で鍵盤を適当にポーンっと鳴らすだけでも、ハンマーが動いて弦を弾き、その振動がピアノのボディを震わせ、物理的に物凄く複雑な空気の振動が起こっている。
しかしシンセのピアノをスピーカーから鳴らすのは、同じピアノの音でも、もっと単純な空気の振動だ。
これと同じで、画面の外側の実際の空間を照らす光は、物理的にその空間自体に大きな影響を及ぼす。光の明滅と空間が溶け合い干渉し合い、8Kとかそういうデジタルな解像度とかとは全く別な次元で(デジタル/アナログみたいな単純な話でもなく)複雑で膨大な情報量を持ったエネルギーが生まれる。
ノイズには精霊が宿る
このことは、昔、宇川直弘さんが言っていた「ノイズには精霊が宿る」という感覚に近いのかもしれない。
精霊というか、霊性というか、何か霊的なもの。霊的な力が宿ったとき、そこに非日常空間が現れ、意識手にせよ無意識にせよ、人は感動を覚える。
話は少し変わるが、「ノイズには精霊が宿る」という感覚には、ごく身近に思い当たる節がある。
僕は子どもの頃、ブラウン管のテレビでファミコンやスーファミメガドラPCエンジンで遊んだり、やはりブラウン管のディスプレイでPCゲームを遊んでいた。しかしそれらのレトロゲームをエミュレータや、或いは最近よくあるミニファミコンみたいな復刻版などで、現代の高画質な液晶テレビやディスプレイに接続して遊ぶと、「こんなに単純で奥行きの無い絵だったっけ?」と、なんだかまったく別物に感じてしまうことがある。
これは思い出補正でもなんでもなく、ブラウン管の走査線、そして走査線の隙間の黒や、色の滲み、そういったことに奥行きや、画面の向こう側のような霊的なものを感じていたらなのだろう。
今の高解像度なディスプレイでは、そういう隙間や滲みや奥行きが無くなって、カキっとしてしまうので、画面の向こう側の霊的なエネルギーみたいなものを感じることが出来ないのだ。
ナム・ジュン・パイクのビデオアートなんかも、空間込みの物理的なインスタレーション作品であるということだけでなくて、ブラウン管やVHSといったノイズを多く含んだ構成要素で作られているからこそ、霊的なエネルギーが宿っていたという面もあるかもしれない。
ところで昨夜、自宅作業が一段落して散歩に出たら、都庁が虹色にライトアップされていた。
感染者数が再び拡大したら、七色から赤色に変わるらしい。
そんなレインボーの意味とか関係なく、単純に綺麗だと思った。
この虹の色が変わらないように、少しづつ取り戻していこう。
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