
409. 「2024年」はひたすらにコツコツ積み重ね。いつか出会える「究極的」瞬間の興奮のために。
前回のnoteから気が付けば2ヵ月
櫻坂の4thアニラの感想をまとめる間もないほど忙しく時は過ぎ
気が付けば2024年の最終日になっていた。
別にnoteに対する気力がそこまで落ちたわけでは無いのだけども
現実世界でやらねばならないこと、やりたいことが多すぎて書く暇が無いまま12月31日に到達してしまった。
そいでもってこんなに長く書くつもりなかったけど書き始めたら長くなってしまった。
1年後の2024年の年末は昨年と違い、意外と今想像できている気がする。
もちろんイレギュラーはあると思うが、ざっくりとしたイメージは出来ている。
今頑張っていることを一つ一つ積み重ねていって気が付けば年末になっているんだろうな・・・と。
まあ、10年後自分が納得して笑っていればいいこっちゃな。
①
予言は見事に当たり毎日毎日積み重ねる2024年だった。
2021年から個人のペースで勉強していくうちに
繰り返す力、凡事徹底、飽きない能力・・・
そういったものが大事なんだと分かってきた。
野球選手の話を聞いても、面白い芸人さんの話を聞いても、アイドルの体調管理の話を聞いても
毎日の積み重ねをいかに止めずに継続し続けるか
その話題がたくさん出ていた。
究極的なゾーンに達している人はどうしたら自分のポテンシャルを最大限活用できるか?をいつも考えている。
それはもう確固たる自分の世界の中で自分と徹底して対話している。
周りを見ている余裕はない・・・
そういう存在やそういう話にすごい惹かれるわけで。
そういう人たちが突き抜けるような凄まじい結果を起こした時にものすごい興奮するわけで。
最近だとDeNAの26年振りの日本一しかり
M-1の令和ロマン連覇しかり
個々の役割を最大限高めて作り上げたチーム櫻坂の4thアニラしかり
「究極的」な瞬間を目にすると心の奥底からゾワッとするようになった。
2024年は結構そんな瞬間に出会えた。
自分の中の「究極的」センサーがもしかしたら敏感になってくれているかもと少し嬉しかった。
ただまあ「究極的」な世界は存在はするんだけど、ものすごく高い雲の上で行われている訳で。
自分は双眼鏡で眺めるいち傍観者でしかないわけで。
はたしてじゃあ自分の環境、自分のポテンシャル、自分の経験を踏まえたうえで。ミニマムな世界に変換して自分が作り出せる地に足を付けた「究極的」なものってなんなんだろうか・・・
とふと思う。
ちょっとずつその「究極的」なものを膨らませていけないだろうか?と。
じゃあ膨らませられるようになるにはどうすれば・・・?
と考えたところ
毎日毎日積み重ねる。飽きずに粘り続けること。なのかもなと。
結局そこに戻った。
「究極的」な瞬間、別名運が舞い降りる瞬間。
そういったものは来てほしい!と思って来てくれるものでは無いわけで。
むしろまったく頭からそんな話すっぽり抜けていたり、めちゃめちゃ忙しくてそれどころじゃない時に突然起こったりするわけで。
さらに言えば
毎日意識してやらなきゃいけないと思ってやっていたことが、意識しなくても出来てしまうようになった瞬間に「究極的」が舞い降りるわけで。
つまり頭で考えなくても体が勝手に動いてる。
みたいなとこまでやり続けないと起きないんだろうな・・・と。
そんな「究極的」瞬間を自分は自分の立場で引き起こせるようなれたらなと。
なれるようになりたいなと。
②
今年は結構新しい出会いもあって。
そういう繋がりを作っていけるようになったのも自分の中で小さな上昇気流が起きてくれてるのかなと喜んでみたり。
自分の防衛レベルも高めつつ同時に拡大レベルももっと高くできる2025年になったらいいなと思う。
拡大すればするほど良いもの嫌なものも同時並行で視野が広がるわけで。
楽しい「究極的」瞬間も広がったが
闇の「究極的」瞬間も広がった。
ニュースや作品ではよく聞くけど、当事者の姿や当事者の話を聞くとこれが現実世界なんやな・・・と。
一気に浮わついたものから地に足つけたものに変わり。
現実世界の闇はド派手ではなく、淡々と淡々と静かに進んでいくだなと学んだり・・・
フィクションが現実世界に近づくのではなく
現実世界がフィクションに近づいているような感覚をとても感じたり・・・
これから自分が進めば進むほどもっともっと「究極的」な闇にぶち当たるわけで。
そんな闇にぶちあった時に倒れないよう鍛錬しているのが今なわけで。
でも正直あまりにも広すぎる世界で素直に怖いな・・・と思ってしまっている。
リアルエクソシストが海外にいる理由もなんか分わるような笑
③
まあ自分の人生の中長期先をみて
「自分は今この状態でいいのだろうか???」
と反省会するのはいまだに起きる。
自分のために密度濃く1年過ごしてきたのは間違いないのだが、それでもここに関しては昨年に続き今年もずっと頭の片隅にある。
「もしこのまま上手くいかなかったら自分はどうなるんだろうか?」
「同世代の当たり前が自分にとっては当たり前じゃない状況というのは大丈夫なのだろうか?」
不安はある。
昔からずーーーーっと変わらない心配性。
なんとかなるもんでないので、共存して顔出すたびに押し返すことを続けるしかないんだろうなと。
不安に煽られてその場で突っ立っててもそれはそれでまた別の反省会が始まっちゃうし。
2025年年明けても2024年と変わらず目の前のやるべきことを淡々と積みかさねるしかないなと。
「夢を見るなら先の未来がいい」
本当に櫻坂の歌詞というのは自分にピンポイントぶっささりするわけで。
今の自分は等身大でこの言葉が心に染みる。
本当に信じて大丈夫?
となるけど
まあやるしかないじゃないと押し返す。
2025年も続くんでしょう。
めんどくさいったらありゃしない。
でもまあ「究極的」瞬間の効き目は凄まじいものであるのも知っているので、やれることやっていきましょう。
たくさんの「究極」を2025年も味わい楽しめますように。