259. 楽しみは先で待っている。
①
個人的に思うことを述べようかなと。
私が思うやっちゃいけないDEADLINEは
当時同じ場所で活動していて今も変わらず活動している人に迷惑を掛けることだと思う。
昔話だから。もう関係ないから。
と言ったって当時同じ場で一緒に活動していた人たちがまだ同じジャンルの場で仕事をしているのだから
「あーやっぱ昔同じ場にいたからみんなそうなんだ」
という見られ方になる。
だから今には関係ない。なんてことはないのである。
本来であればお金を出してくれた人(生々しい言い方だが応援してくれた人)への感謝は大事だ。
だがそれよりも同じ場にいた人たちへの配慮、気遣いが見られない方が私は辛いなと思う。
こういう世界だからだからとかではなく
人としてどうなの?
という領域だからだ。
ひとつ前の形の話なんだから別にもう話していいだろ。
とおっかない人が企画を立てていたが
結局それは頓挫した模様だ。
そんなことしても自分にメリットがない。
という選択をしたのを見て
まだ自分を守る力はあるんだな・・・と安心したのを覚えている。
②
という個人的DEADLINEを前提としたうえでさらに思うこと。
1人の人間、社会人として
ある意味明確な肩書きがついたことでちゃんと地に足ついて良かったのでは?
ということだ。
言ってしまえばここ数年何をしているか分からない印象もあった。
そこに自分で考えて明確に決断した。
色んな人にも相談した結果であろう。
だったらそれで正解だと私は思う。
③
不思議だなと思うのは
以前いた世界から去って4年も経ったのに
なぜヤイヤ言う人たちは以前いた世界の感覚のまま捉えてしまうのだろうか?
ということだ。
こうでなきゃいけない、ああでなきゃいけないという
エゴみたいなものを強く感じてしまう。
もちろん犯罪を犯したり
最初に書いたDEADLINEを超すようなことであるのであれば
何か言いたくなる気持ちは分かるのだが
そこに今回触れているわけでもない。
4年前に生きていく世界を変えた人間が次の道を選んだ。
ただそれだけではないのだろうか。
「あ、そう」
で流せばいいだけの話で盛り上げる必要もない話だと感じる。
④
なんでもかんでも拡散する雰囲気を見れば見るほど
もう情報のスピードだとか大量の情報を得るとか
そういうのを重視する時代ではなくなったんだな・・・と感じる。
いかに本質をつく情報なのか捌く時代に入ったと感じる。
余計な労力を使うなら情報を遮断して
知りたい情報だけ得るほうが良い。
本気でそう感じる。
大手のネット記事様なのに好奇心を煽ることしか考えてないんだ・・・
と感じることもあるし
なんだこの盛り上がりは?
と思ってソースを辿ると密度の詰まっていないカスカスな情報がスタートだったりする。
そういうのを見ていくと
薄っぺらい情報からスタートして全国を駆け巡っている。
それが今見えている世界だぞ
と教えてくれるのであった。
⑤
そして超個人的に思うこと。
かつて同じ場で活動した人たちが全員その場を去って
少し時間が経ったのであれば別に昔話をしていいと思う。
それぞれがそれぞれの場で経験を積み視野が広がっていく。
そうなったらまた過去の印象も変わっていく。
人生経験を踏まえたうえで話す昔話はまた印象も違うだろう。
ただ2022年のリアルタイムでは
配慮のないまま繰り出される昔話はまだすべきではないと思う。
そこは最初に言った通り
人として。という問題だ。
10年先20年先
一体どんなことになっているのだろうか?
と私自身は楽しみにしているのだが
今この瞬間でしか判断しない人も多く見る。
なんてもったいない見方なんだろうか・・・
と感じるのだがなかなかこういった目線で見る人は少ないのだろうか。
今の形が活躍すればするほど
去った者たちがそれぞれの場で活躍すればするほど
元の形は進化していく。
そして進化の結果は長い年月の先で待っている。
最上級の面白さが待っているのに
なぜそこに目を向けないのだろうか・・・
私は心の底から楽しみに待っている。