
302.【ボヤキ】学習する力を持っていて良かった。
①
危機管理センサーの度合いって人それぞれ全然違うんだな、と最近よく感じる。
トラブルに巻き込まれやすい人、巻き込まれにくい人が世の中にはいる。
そしてトラブルに巻き込まれやすい人の中にはそれを自覚している人もいれば、全然自覚していない人もいる。
なんで自分にはこういうことが起きるんだろうか?
って自問自答することって自分では当たり前に思っている事なんだがどうも世の中の当たり前では無いらしい。
自覚していない人たちの学習の無さ、そしてそこから負のスパイラルに陥っているのを見ると
「あー自分はその辺のセンサーが敏感で良かったな・・・」
と思う。
2年前にトラブルに巻き込まれてから本当に人との繋がりに敏感になった。
この人危なっかしいな・・・
というセンサーが働けばその人から距離を取る。
そしてその人と仲良くしている人たちも苦手に感じるようになった。
なんというか波長があわないというか。
自分だけがあっていないのか?
向こうの人たちが変な波長で共鳴しているのか?
とにかく危なっかしいセンサーを察知したら近づかないようにする。
②
社会人になると今まで見えていなかったものがたくさん見えるようにもなる。
「いや、普通そんなことになんねーだろ」
って学生時代思ってたことがどうして起きてしまうのかが分かったりする。
そういうのを知りながら人って成長するもんじゃないのだろうか?
ただこういう話をしたときに同世代で共感してくれたり、悩みに乗ってくれたりする人は限りなく少ない。
だからこういう話をする時は本当に相手を選ぶ。
たまに年上の人にこういう話をして
「なかなか同世代でこういう話できないんですよね・・・」
と言うと
「だろうね笑」
と言われる。
はやくそんな同世代の知り合いが増えると良いなと願いつつ。
波長が合う人を自分からもっと探して行かなきゃと思いつつ。
そして出会った時にはその人との関係を大事にしようと思いつつ。
③
櫻坂が好きな理由の一つに潔さというものがある。
あれもこれも上手くいくではなく、何か犠牲にしてその分別のところで大きな功績をゲットする。
欅坂に幕を閉じ、新たなグループを一から作り上げるというのも究極的な潔さだった。
生々しさ、不器用さ、ショック・・・
そういった莫大な跳ね返りを受け止めてでも、新たなチャレンジに挑む。
その潔さが深く刺さった。
この何かを犠牲にして新たに功績を得る。
というのはいち人間でも同じだと思う。
定期的にぶっ壊しというタイミングはあるもんだと思っている。
というか自分の経験上続けたくても続けられない。
キリを付けねばどう避けたって次に進んでいけないという瞬間が多かった。
だから上手い事避けて負のスパイラルに入っている人を見ると、正直時間の無駄だなと思うし、甘えてんな・・・
と感じてしまう。
変わらない人間は本当に変わらないんだな・・・と。
そういう人に変な影響受けたくもないし自分は自分の道進もう。
とより一層自分に言い聞かせた。