397. 藤吉夏鈴
「新米記者トロッ子 私がやらねば誰がやる!」
を観てきました。
ストーリーや中身に関しては触れません。
この映画を観たあとになんだかまたさらに藤吉夏鈴の面白さにドップリ浸かってしまったというか・・・
そんな個人的に思ったことを今さらな内容も含め書こうかなと思います。
タイトルも今回はストレートにシンプルに「藤吉夏鈴」でいいやと。
①クレイジー×純粋の耳キーンとなるギャップ
普段のライブやそこさくの姿からも溢れているのですが、演技というフィルターが掛かった状態ではさらに感じました。
クレイジーさ×純粋さ
以前そこさくにて寝る前にシュレッダーの裁断音をじーーっと聴いて心落ち着かせていたり、メンバーと話すときに無言でじーーっと長時間見つめるとかそういった恐怖エピソードが飛び出していました。
映画内でもそういったクレイジーをどこか感じ、急に目力が強くなって凛々しくなり怖さを感じました。
かといって別の場面ではガラッと変わり子供みたいな純粋で真っ白な笑顔、表情が現れる・・・
この掴めない感じ・・・
改めて不思議だな・・・と。
天ちゃんが眉毛と目の間の長さでリラックス度が分かる・・・
なんて言っていましたが映画内でも常に目に注目が行きました。
②追えば追うほど新たな魅力が飛び出しさらに迷う
不思議なもんで私自身も3年以上藤吉夏鈴を見続けているのですが未だに掴めない。
見る度に表情が違う。
こういうときはこういう行動に出る。こんな性格や感情が表に出る・・・
そんな予測を勝手にしたりしているのですが見事にすり抜けていく。
卒業した小林由依を見ている時も感じたのですが、その感覚にかなり自分の中では近づいてきたな・・・と実感しました。
③思春期から青年期へ
つい最近のインタビューで面白いことを話していました。
https://encount.press/archives/660555/
自分の絶対的な理想像×他者が考えるまた違う形
内側×外側
希望×現実
純粋で真っすぐな感情はある意味わがままと表裏一体。
自分の思い”だけ”を最優先に考えることが果たして最善であると言えるのか?
アイドルの世界だけでなく社会へ出るとこの問題に誰もがぶち当たります。
多くの経験をすればするほど理想と現実の狭間で葛藤することになる。
でもそれは視野が広がって自分が進歩したからこそ分かってくること。
まさに思春期から青年期に入っていく様子を世間に体現しながら生きている。
それが本当に面白いなと。
「純粋にまっすぐだった頃の自分から変化してしまったことに寂しさを感じる・・・」と本人は話していましたが、成長しているからこそ起きていることだと私は感じます。
その当時の姿は当時の目線、経験値だから出来ていたこと。
例え今タイムマシンで戻れたとしても同じ状況にはなれないんじゃないのかな・・・と。
まさに「何歳の頃に戻りたいのか?」の世界観
そこもまた面白いです。
包み隠さず素直に、純粋に、自然体で駆け抜けていく・・・
こんなにも分かりやすく見届けられる人間の成長があるのか・・・
藤吉夏鈴のストーリーが面白くてたまりません。
続編のストーリーはどう展開していくのでしょうか???
今から2年前の2022年に菅井初代キャプテンが夏鈴ちゃんについてさくみみで話していました。
またそれを聞いたうえで今の夏鈴ちゃんを観察すると感慨深いものがあります。
【さくみみ#182 11:06~】