捨てられないから、痛いんだよ。
先日実施した「ペア読書会」という読書イベントで「予想通りに不合理」という本を読みました。
行動経済学における研究で「人間は不合理な選択をしてしまうものだ」とわかり、その実験結果や考察をまとめたものです。
この本の感想を言い合っている時、参加者であるもろんのんさんが、本の中にあったこんなフレーズが気になった、とポロッと言ったんです。
何も期待しない者は幸いである。けっして失望することがない
これを聞いた時、私は園子温監督の映画「恋の罪」を思い出しました。
今回のテーマと映画の内容があまり関係がないのであらすじ紹介は省きますが、映画内でこんな詩の一節が出てきます。
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
引用:田村隆一「帰途」
言葉を覚えるということは、意味を知るということ。
そのせいで、ただの「目から流れ落ちた水」でしか無かったものに「涙」という意味が出て来る。
そのため、あなたの涙に私は立ち止まってしまうようになってしまった。
この詩を最初聞いた時に鳥肌が止まらなかったことを今でも覚えています。
人間は言葉を得てしまったからこそ、失うものも増えているのだと。
同時に、少し寂しい気持ちにもなりました。
もはや意識しなくてもあらゆる情報を得られてしまう現代。
すると人は選択肢が増えてしまい、良い選択ができなくなってしまう。
これはコミュニティが盛り上がる理由でもありますし、将来に悩んで安定を求めてしまう就活生が発生する理由でもあります。
便利になったはずなのに、人の痛みは増えている。
だから、仲間を求めている。
最近話題の「プロ奢ラレヤー」さんが、こんなつぶやきをしていて、なるほどなぁと感心しました。
人は思った以上に捨てることが出来ない生き物なのかもしれません。
書く文章すべて額に入れて飾りたいほど好きな「隠居系男子」こと鳥井弘文さんが先日公開されていたこの記事。
お二人の悩みを聞かせてもらう中で、ふと気がついたことは、僕はおふたりに対して「何かが足りない」とは一切感じなかったということなんです。
むしろ、十分過ぎるほど必要なものはもう全て持ち合わせている。
あとはただただ、自分の中に存在する余計なエゴやプライドを捨て去るだけでいいんだろうなあと。
人間は何の因果か、欲望があるがために、すべてを得ようとしてしまいます。
でもだからこそ「捨てる」技術がこれからは求められていくと思うのです。
何かが増えれば、痛みも増える。何かを捨てれば、喜びが増える。
私もなかなか捨てることが苦手で苦しんでします。
もっと、今持っているものをどんどん捨てていかねばと、心を新たにしたのでした。
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