それでも私が働き続ける理由

一度立ち止まって自分が働く理由を考えてみたことはあるだろうか。
それは、今の職場で働く理由でも良いし、そもそもなぜ労働に従事しているかと言うもっと大きな観点での話でも良い。
そもそも働いている理由なんて人によって違うだろうし、色んな価値観があっても良いものだと思う。社会貢献したいとか、人類の発展に貢献したいといった理由は最も世間ウケが良さそうだが、別にお金が欲しいから、と言う本能に根付いた理由であっても良い。結局理由なんて何とでも言えるし、なんだっていい。

自分は東大の周囲で起業した話や一度会社を辞めて留学に行った話等を周囲で聞くと、そもそも自分が今の会社でなぜ働いているんだっけって考えることがある。
今まで自分は、このnoteで自分の仕事のことをブルシット・ジョブだと卑下し続けてきたが、それでも自分が働くのには一定の理由があるのではないかと考えている。

今回の記事では、自分が今働いている理由を自分のことをよく理解するためにも考えてみたい。

1.金融が好きだから
これが根本にあると思う。
筆者は、学生時代から、世の中の事象を数理モデルで表現できる経済学や金融論に関心が高かった。大学受験の時から社会と数学が好きだったので、その合わせ技のような存在である経済学の魅力にどんどん吸い込まれて行った。
特に大学時代に学んだ学問の中では、デリバティブや保険数理、リスク管理などの少々込み入った分野を数式を操りながら紐解いていく時間が本当に楽しかった。他にもオルタナティブアセット等の新奇性の高い金融商品を学ぶのも好きだった。受験勉強も好きだったが、同じくらい経済学の勉強も好きだった。

筆者にしては、珍しく前向きな意見だと思った読者も多いことだろう。ただこれにはオチがある。
金融業界では、「金融が好き」「ファイナンスが好き」と言う事と、実際に仕事が出来るか、そして報酬面で報われるか、何なら与えられる仕事で報われるかと言うことは全く別物なのである。
東大経済の金融学科で割とガッツリ勉強した筆者と、Marchの経済学部でゲーム理論しかやっていない者がいたとして、金融業界では前者が報われるとは全く限らないのだ。何なら経済学部ではなく、文学部出身の者も存在する。
筆者はこれが金融業界に入った時に一番驚いたことだ。理系のメーカーでは、出世は分からないが、少なくとも与えられる仕事と言う面では差が出るのではないかと思う。
新人研修の時の話になるが、同期の誰一人として、金融には興味がないし、金融のことも知らないのだ。なぜこの業界に来たのかという話になっても、「金融業界にしか引っ掛からなかった」「待遇が良いから」と言った理由しか聞いたことが無く、金融業界は消去法的に選択される業界なのだと知り、とても悲しくなった記憶がある。
数年経った今だからよく分かるのだが、金融業界ではどれだけ金融に興味があるかと言う点と業界での活躍度には殆ど相関関係はない。むしろ負の相関関係があるくらいなのではないかと思う。他の業界、例えばコンサルや総合商社等も同じ状況なのかもしれないが、これが金融業界に身を置く中で一番悲しいことの一つだと思う。

話が幾分脱線してしまったが、結局自分は金融が好きで、それを仕事の中で部分的に扱うことが出来ているので、何とかここまでやってこれたのではないかと思う。

2.ブルシット・ジョブが苦ではないから
結局、学者タイプの筆者も例に漏れずブルシット・ジョブに従事することになるのだが、これがそこまで苦にならなかった。
特に筆者が好きなのが、エクセル作業とパワポ作成である。
エクセルをいじっている時は本当に楽しいし、脳から快感物質が分泌されているような気がする。
エクセルだけであれば、一日に何時間でもいじっていることが出来るだろう。
パワポはエクセルほど好きではないが、こちらも苦にはならない。
後、筆者が好きなのがルーチンワークである。ルーチンワークをしていると心穏やかになれる。どんな精神安定剤よりもルーチンワークがメンタルの安定につながると言い切れる。
世の中には、ブルシット・ジョブが辛い、苦痛であるという方が多く存在するみたいだ。
筆者は幸いブルシット・ジョブ耐性があった。それのおかげで今も毎日元気に勤務出来ているのではないかと思う。

3.今の職場が好きで、会社に行くのが苦でないから
これも大きな要因だと思う。
筆者は日の光の当たらない傍流部署で日々ブルシット・ジョブに従事しているという事は以前も記載した。

プライドの高い東大卒であれば、恐らくJTCの傍流部署で日々ブルシット・ジョブに従事することには我慢できないかもしれないが、筆者の場合は、大学時代に留年し、就活も失敗していたのでそこでプライドのようなものは木端微塵になっていたのが幸いだった。
傍流部署は人が優しく、労働負荷もそこまで高くないので、筆者はとても気に入っている。
と言うか自分が労働負荷の高い部署で厳しい仕事に従事しているところが想像できない。

4.中小企業・ベンチャー企業に行っても活躍できる訳ではないから
大企業に所属している社員の中には、中小企業やベンチャー企業に行けば、もっと活躍できるのではないかと考えているものも存在すると思う。
ただ、これだけは断言できるが、大企業で活躍出来ているからと言って、ベンチャー企業や中小企業に行って、活躍できる訳では無い。
大企業で燻っているのであれば、尚更だ。大企業のシステム化されたブルシット・ジョブやルーチンワークで燻っているのであれば、システム化されておらず、適宜人間の判断が必要になる中小企業やベンチャー企業の業務に対応できる訳が無い。
大企業とその他の規模の会社で社員に大きな能力の差はない。
椅子理論は恐らく真実で、結局年収や待遇は個人が置かれたポジションが決めるものなのだ。
そして上記のことには割と早々に気づいていたので、筆者は今も大企業にしか興味がない。

5.健康のため
出社であれ、在宅であれ、仕事を行うことは健康に良いと思う。
生活リズムを保つことが出来るし、人と話すことでメンタル面にもプラスの影響がある。そもそも歩くこと自体が体に良いみたいで、会社に行ってもしばしば散歩している。
筆者はADHDなので大学時代の夏休み等は酷い生活を送っていた。油断するとすぐにだらしない生活に陥り、メンタル状態も悪化してくる。
その点、強制的にでも良いので仕事を行うことで健康状態を維持することが出来るのは大きい。健康診断を福利厚生の一環で受けることが出来るのも大きな要素だ。働いていないと恐らく健康診断を受けず、気づいた時には手遅れになっている可能性が高い。

6.人生のレールから外れるのが怖いから
これも大きい。筆者は大学時代に留年し、駒場で一人寂しい大学時代を送っていた時期もあったのだが、人生のレールから外れるとこんなにも日本では厳しい仕打ちがあるのかと驚いたくらいだ。
その点、とりあえず大企業に属していればとりあえずレールに乗った人生を歩むことが出来る。
確かに筆者は仕事が出来ないし、無能でもある。典型的な高学歴発達障害である。
そんな筆者でもとりあえず会社に属することでレールに乗ることが出来る。ご飯を食べることが出来る。休日は失職のことを恐れず、楽しく自由時間をエンジョイできる。

東大を出ていて、一定程度の大企業で働いていれば、少なくとも「変な人」として扱われることは無い。少し話せば分かるかもしれないが、最初の内は発達障害だとも気づかれないだろう。人生のレールから落ちず、世間体を維持できるのであれば、筆者はどんなブルシット・ジョブにでも従事できる自信がある。

7.他にやりたいことが無いから
残念ながら自分は他にこれといってやりたいことが無い。
起業にも、海外への長期滞在にも、留学にも興味がない。
それなら国内に温泉旅行にでも行きたい。
明日から会社に行かなくても良いと言われても、最初の内は嬉しいかもしれないが、多分2か月もあれば、やることが無くてつまらないと感じてしまうと思う。
どうせやりたいことが無いのであれば、とりあえず会社に行こう。そのようなメンタルでこれまでずっと朝起きて会社に向かっていたような気がする。

8.お金が必要だから
これは言うまでもない。別に浪費はしないが、それでも一定程度のお金は生きていく上で、必要だ。
ここで詳細に述べることでもないだろう。

9.所属しているだけで享受できる福利厚生が大きいから
これも大きい。
額面の年収には税金がかかるが、その他のベネフィットには税金がかからない上、有能から無能まで幅広く享受できるのが福利厚生である。
福利厚生には有形なものと無形なものが存在する。
無形のものとは、例えば以下のようなものがある。
・心の安寧
・ブランド力
・世間体
・健康的な生活
そしてこの無形の福利厚生こそが会社員であることの大きなメリットだと考えている。
これも筆者が働く大きなモチベーションとなっている。

10.心の拠り所であるから
結局ここが最終的な答えだと思う。
発達障害に苦しみ、時に辛い思いをしてきた筆者にとって、「会社員として働く自分」と言う存在は、心の拠り所なのだと思う。
良い大学を出て、ある程度世間的に知られた会社で働くことは、自分と言う存在に対する贖罪なのではないかと考えている。そうでないと自分自身が救われないような気がしている。
筆者は、救いを求めて会社に通勤しているのだ。

以上が筆者が働く理由、モチベーションである。
思えば、就職活動の時から、自分の志望動機にはストーリーみたいなものはなかった。常に自分本位で、世の中にインパクトを与えたいみたいなことは考えていなかったと思う。多くの就活生や求職者も上辺でそのようなストーリーを語っていたとしても、本心からそのように思っている人は実際には少ないと思う。ただ東大には一部本気で、社会貢献したい、世の中を変えたいと考え、仕事探しを行っている者がいた。筆者はそのような方は本心から尊敬してしまう。

今後も自分は、ブルシット・ジョブを続けていくと思う。AIに駆逐される日が来るまでは。