「東大までの人」になりやすい人の特徴10選【自戒を込めて】
いきなりではあるが、筆者は「東大までの人」である。
東大を卒業しているが、以下のどの条件も満たす人生を歩むことが出来ていない。
・尊敬される職業に就いている(医者、官僚、弁護士、大学教授等)
・圧倒的に稼げる(総合商社、医者、起業家等)
・職業の専門性が高いだけでなく、職業選択の選択肢が広い(会計士、医者、エンジニア等)
・単純に仕事が面白い、やりがいを感じている
筆者はよく「東大までの人」に自分自身がなってしまった要因を考えることが多い。何がダメだったのか、何がいけなかったのか考えたこともしばしばある。
あくまで筆者の持論ではあるが、「東大までの人」になる人は、結構共通した特徴を有していることが多い。
今回は、改めて自分自身が落ちこぼれてしまった要因について内省するとともに、「東大までの人」になりやすい人の傾向に関して考えてみたい。
これらの傾向が出ていれば、それは危険信号であるので、学生の方は真剣に自分自身の進路に向き合ってほしい。
まず先に結論だけ述べておく。
1.東大合格が人生の至上命題になってしまっている(いた)
2.発達障害傾向がある(特にASD)
3.公立中学で内申点が芳しくなかった
4.高校まで受験勉強以外の勉強をしていない
5.60点至上主義者
6.体力がない
7.王道系のサークル・ゼミ・学部出身ではない
8.学者タイプ
9.就職活動を頑張らない
10.コミュニケーション能力が低い
1.東大合格が人生の至上命題になってしまっている(いた)
筆者がまさにそうであった。高校生の時には、東大に合格したらその後は何でも良いと考えていたクチであった。
実際東大に合格した後のビジョンみたいなものは何もなかった。
入学時から確り将来のビジョンを持っている者は、国際系のディベートサークルや起業系のサークル、更には伊藤塾に通っていたりする。
そういったものには一つも興味が無かったため、筆者は普通に運動系のサークルに入ってのんびりしていた。
(まあ、文二や理二辺りの学生は実は大半は入学時にはやりたいことは無くて、大学生活や就職活動を通じて自分のやりたいことを見つけていく者ばかりなのだが。)
にしても、田舎で育った筆者からすると、東京と言うのは本当に生き馬の目を抜く速さで物事が進んでいき、最初から躓いてしまった感は否めなかった。
このタイプは、基本的に東大に入学した後に燃え尽きてしまい、予後が非常に悪い。
やはり何らかのビジョンをもって東大に進んだタイプにはどうしても馬力で負けてしまう。
筆者のように30代にもなって受験の話を嬉々として語っているタイプはだいたいこうだろう。
まあ、そのくらい東大受験の負担が受験生にとって重いものになってしまっている現状を何とかした方が良いのかもしれないが。。。。
2.発達障害傾向がある(特にASD)
これはわざわざ説明するまでもないであろう。
3.公立中学で内申点が芳しくなかった
あんまり関係ないようで、実はかなり相関係数は高いと思われる。
公立中学の内申点は、5教科∔副教科で構成される。
副教科の構成としては、大体が体育・音楽・家庭科・美術のようなセットだ。主要5科目は普段から勉強しているので、提出物を出していない&授業態度が悪い等であってもある程度の点数が取れる。
一方で、副教科に関してはそうもいかない。テスト勉強を別途行う必要があるし、何より授業への積極的、主体的な参加が要求される。
筆者の場合は悲惨であった。副教科の点数だけであれば、近所のヤンキー校くらいしか行き先がないくらいの点数であった。
このため、公立高校への進学は断念せざるを得なかった。
実はこの授業への積極的な参加姿勢はまず進学振り分けで再度問われることになる。筆者の場合は、ここでも躓いた。授業に集中出来ない。朝起きれない。課題がこなせない。入学当初はパワポもワードも使えなかったので、課題がとにかく提出できなかった。
更に議論形式の授業があったのだが、これも周囲の東大生の議論の速さに全くついていくことが出来ず、全く発言できなかった記憶がある。
上記のようにまず進学振り分けで躓く。
そしてそれは専門課程に進学後も継続する。
法学部や経済学部のようにテスト一発形式が太宗を占める学部で何とかなるが、他の学部ではそうはいかない。
授業への積極的な参加は勿論のこと、ゼミや研究室へのコミットも要求される。筆者のゼミはそこまで出席に厳しくなかったので何とかなったが、普通のゼミでは授業への参加だけでなく、時には合宿などにも参加しているようである。理系の研究室は更にブラック要素が強いみたいだ。
ここでも内申点が悪い勢は苦戦するだろう。そしてそれが就活にも悪影響を及ぼすのである。またJTCに入ると、その評価制度は内申点と酷似しているため、就職後も苦労することになる。
このように受験勉強以外の「大切なこと」を置き去ったとしても東大には何とか合格するが、予後は非常に苦しむ羽目になる。
4.高校まで受験勉強以外の勉強をしていない
これは3と結びつく話である。
受験勉強以外の勉強って何って話だとは思うが、要は受験勉強には直接結びつかない課外学習等である。
例として、ボランティア、大学の授業の先取り学習、自由研究、数学オリンピックや科学オリンピックへの参加等が挙げられる。
筆者の場合は、幼少期に海外にいたので、そこで積極的に課外活動に参加していた。その一方で、帰国後は全くそのようなものに参加しなくなってしまった。
実はこれは大学入学後に暗い影を落とすことになる。
このような課外活動は、実は大学で行われる学問の下地になっていることが多いのだが、筆者の場合はそういったものが中高時代に全く養われなかった。
少し言い訳をすると、田舎の生まれであったので、いわゆる「文化資本」に触れる機会が皆無だったのもある。
このため、いわゆる大学入学後に必要な文化的な教養やテクニカルスキル(パワポやエクセル、ワード等のPCスキル)更には「生きた知識」を大学入学以後を身に着ける必要があり、社会人の序盤は本当に苦労した。
インターンでうまくいかなかったのもこの辺りに原因があるかもしれない。
大学入学以後の大人同士の会話や仕事で差がつくのは意外とこのような部分だと思う。
受験監獄と言われる西日本を中心とした私立高校出身者が東大入学後にパッとしないのはこの辺りに原因があるのかもしれない。
5.60点至上主義者
東大受験は、基本的に6割取得出来れば文理ともに十分である。
東大受験は難しい問題の中からいかに不用意な失点をすることなく、点数をもぎ取るかのゲームである。つまり東大入試は加点主義のゲームである。
ちなみに資格試験や大学の単位も同様である。基本的には殆どの試験は60点から70点取れば合格である。逆に言うと30点~40点は落としても良い。
その一方で、例えばセンター試験や医学部入試は8~9割を目指す試験である。つまり簡単な問題をいかに落とさないかの試験である。言ってみれば減点主義のゲームである。
社会人になってから気づいたのであるが、実は仕事の大半は減点主義である。基本的に簡単な作業をいかにミスなく乗り切るかの戦いで、99点でもダメである。基本は100点を目指さないといけないのだ。
そこが東大受験との大きな違いである。東大はそもそも研究者の養成学校であり、研究者の場合は必ずしも最初から100点は要求されないだろう。0点が続いても、一発ホームランを打てばチャラの世界である。
このように東大入試を経て60点至上主義に染まってしまうと社会人になってから痛い目に遭うことになる。
サラリーマンになってからは東大受験レベルで頭脳に負荷をかけるような作業は殆ど無い。
従前から東大は、サラリーマンになるにはオーバースペックと述べてきたがこの辺りと関係があるのかもしれない。
筆者の場合もそうであった。基本的に昔から100点を取ることは出来ないタイプでいつもどこかで不注意ゆえに減点を食らっていた。
東大入試においてはセンターの圧縮率が高いのと二次試験も前述したように「点数を取りに行く」タイプの試験であったので、あまり些細な点には目がいかなくなってしまった。
このような癖が身に着いてしまうと仕事でもちょっとのミスは良いかという気になってしまうのだが、仕事は全く持って性質が異なるため、筆者は長年苦労してきた。
6.体力がない
受験勉強では近年は受験生はよく寝た方が良いとされている。四当五落なんていうのは過去の遺産である。よく寝た方が暗記の定着もスムーズだし、そもそも思考系の勉強をするときには眠くて頭が回っていない状態では何も手につかない。
そのため受験勉強は根気と言う名の精神的な体力は要求されるが、肉体的な体力はそこまで要求されない。
これが仕事との大きな違いである。仕事は基本的に先ほども述べたような簡単な事務作業の連続であるため、まずそこまで頭脳が必要な状況が多くない。飲み会明けでも徹夜明けでも業務が回るのはこのためである。
むしろ難しい作業や業務はマネジメントの理解を得られない等の理由で、忌避されることの方が多い。
そのため、どこで仕事の差がつくかというとそれは仕事に対する投下量、つまり掛けた時間である。
この結果として、これはあくまで筆者の持論であるが、仕事で本当に大切なのは恐らく肉体的な体力である。
サラリーマン世界で、明治大学の体育会が東大卒よりも重宝される所以はここにある。
筆者の場合は、運動系の部活に入っていたことからそこまで体力がないわけではなかった。しかし社会人になってからというものの、発達障害ゆえの睡眠障害から十分な睡眠時間を確保することが出来ていないため体力が持たず、物理的な仕事への投下時間が人よりも少なくなってしまったのである。
仕事への労働投下量がものを言うサラリーマンの世界では、これは致命的である。
7.王道系のサークル・ゼミ・学部出身ではない
王道から敢えて外れるようなタイプは社会人になってからパッとしないことが多い。皆が楽単をとっている中で敢えて、奇をてらったりするようなタイプだ。このタイプは、就活でまず失敗し、サラリーマンになってからも協調性に乏しいなどの理由で苦労することが多い。
やはり皆が選択するルートはそれなりに品質保証がなされていることが多い。長いものには巻かれろではないが、レールに乗った人生の方が全般的に楽なのだ。
筆者の場合は、あらゆる選択が周囲と違ってきた。それが現在の窮状を招いている可能性は否定できない。
とりあえず社会で一定程度の成功を収めたいのであれば、周囲が王道と考えるコースを歩むのが一番手っ取り早い。
8.学者タイプ
以前イブリースさんが記事で指摘されていたように、学者タイプの東大生と言うのは、不思議と予後が良くない。
詳しくは以下の記事を参考にしてほしい。
筆者の場合は、実は新卒時点の最初の内定後面談にて、面接官から学者タイプとの評価がなされていたことが後から分かった。どこでそのような感想を抱かせてしまったのかは分からないが、いずれにせよ周囲からはこのように映るようである。
もしかするとその面談にて、結構拘り強く「~関連の部署が良い」と主張したことが原因かもしれない。しかも新卒が絶対に希望しないような部署であったのも良くなかったかもしれない。
学者タイプ、つまり拘りが強いタイプと言うのはサラリーマン生活に馴染めないことが多い。帰国子女や早慶体育会の真逆にいるタイプであろう。
このようなタイプはJTCではかなり毛嫌いされることが多い。
9.就職活動を頑張らない
これは殆どの学生にとって致命的であろう。
日本ではまだまだ新卒主義が根強いので新卒段階で就活に失敗してしまうとその後のリカバリーがかなり難しい。新卒就活で必要な努力が10だとすれば、同じ土俵に社会人になってから立つのに必要な努力は50くらいであろう。
そのくらい新卒就活は日本では重要な通過儀礼なのだ。
東大卒の中には、筆者のように就活を舐めていたり、あまり時間を割かないものが一定の割合で存在する。中には、先天的なスペックの高さからうまくいくケースも存在するかもしれないが、基本的には昨今の就活はより長期化傾向にあり、学生のレベルは筆者が就職活動をしていた頃よりも間違いなく高くなっている。このような中では、いくら東大生であっても就活に注力しない者は確実に失敗するだろう。
そしてその就活での失敗を取り返すには果てしない努力が必要になる。そのような苦いを思いをしたくないのであれば、大学生活=就活のために存在すると考えるくらいのレベルで真剣に取り組みべきである。
ちなみに従業員が楽しても儲かるような会社、つまり資本集約型の産業(デベロッパー、商社、一部金融、化学系メーカー、製薬系等)は人が辞めないため中途も採用しないし、基本は新卒主義である。
このような優良企業に入りたい場合はやはり新卒就活で頑張る必要がある。
(逆に言えば、従業員が汗水垂らして稼ぐような業態(労働集約型)の場合は、積極的に中途採用を行っているので、中途で入れば問題ない)
10.コミュニケーション能力が低い
これも言うまでもないだろう。
以上が、「東大までの人」になりやすい人の特徴10選である。
他にも特徴はあるかもしれないが、大雑把には網羅出来ているのではないかと思う。
今回の記事を参考にまだ若い方は、「東大までの人」ではなく、「東大からの人」を目指してほしい。また自分がこれに当てはまる自覚がある方は、医学部に行って、とっとと利確したほうが良いだろう。