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完全を目指して不完全となる

モチベーションは人それぞれですね。
ガッツリやってる人
まあまあ本気でやってる人
楽しんでやってる人
息抜きとしてやってる人
ただの惰性の人

このどれもが正解で誰にも否定する事はできません。

その中でやってる以上
No.1を目指す事はありますが
ダンスはスポーツではありませんので
判断基準の難しい部分だと思います。

モチベーションの1つとして
挙げられる例にすぎないのかもしれません。

理由は分かりませんが
もっと上手くなりたい。もっとできる様になりたい。もっと、、、と欲が湧いてくるはずです。

私達は皆"完全"になりたいのです。

その為に
沢山練習をして
沢山経験をして
沢山負けて
やっとの事で
自分の理想とする"完全"の様な物を掴み取るのです。

ただ重要なのは
"完全"の様な物を掴み取った後です。

皆さんはどの様に思考し行動しますか?

自分であれば苦労をして掴み取った
"完全"の様な物なので無駄にはしたくありません。
この時の感覚を思い出し、
もう一度その"完全"の様な物を掴む為に
その時の高いパフォーマンスを出せる状態に
自分を調整しようとします。


ただ
ここに大きな落とし穴があって

自分を調節しようとしてる時点で
もう"完全"とは程遠い存在に成り下がっているのです。

"完全"に近い状態を引き出したのは

『その為に
沢山練習をして
沢山経験をして
沢山負けて
やっとの事で
自分の理想とする"完全"の様な物を掴み取るのです』

の部分の自分です。
もう一度これを再現しようとしている時点で
もう置きにいっているのです。

重要なのはこれを経験した時に
この事を感じる事です。
こうする事で自分は"不完全"な物となります。

そしたらまた先程の

『その為に
沢山練習をして
沢山経験をして
沢山負けて
やっとの事で
自分の理想とする"完全"の様な物を掴み取るのです』

を繰り返すのみです。

この"完全"の様な物と"不完全"を繰り返す事が
最も"完全"に近い物になれるのです。

そして、
その人の目標やモチベーションによって
その人の"完全"があるはずです。

そこを探求する事がKrumpの醍醐味だと
思ってます。
ダンスてエンターテイメントの要素もあるので
理解し難い話だとは思いますが、、、

自分的には
元々のストリートダンスは
自分のダンスを追求する為のただの趣味。

ただそこには楽しさや映えがあるので
そこに目を付けたエンターテイメントの世界が
ダンスを吸収して
今の形になったのかなと思ってます。

それでも私の中ではダンスはダンスのままです。
エンターテイメントで生きるダンサーもいれば
ストリートに生きるダンサーもいるはずです。

ストリートで生きるモチベーションの1つとして
"完全"を探求し続けるのです。



少し話は変わりますが
インスタでドイツの人がドイツにある言葉で
『もし得意な事を見つけたとしても、
日本人には敵わない』
という言葉があると言っているのを見ました。

自分の得意分野でライバルを探せば自分よりも極めている日本人が必ずいると。。。

アメリカやドイツではほとんどの人が
毎日スケートボードをしているのに対し、
日本ではあまり見かけることはあまりありません。
なのにオリンピックのスケボーで金メダルを
日本人が取ったりするのが信じられないと。

これを見かけてこの記事を書こうと思ったのですが


自分がKrumpを12年してきて思うのは
もはや惰性になってきていると。。。
ダンスを始めてからの5年と
今のダンスの向き合い方では詰め方が
全く違います。

よく言えば自分の生活リズムに上手く組み込んでやっていますが、実際無理をする事はほとんどありません。
もし明日死ぬとして後悔が無いかと言われると
自信をもって無いとは言えない向き合い方だなと
思います。

恥ずかしいですが。。。

だから、今の若手で目がギラギラしてる様な奴とbattleをできるのが幸せではあります。

少し話が反れたついでですが
最近ハマってるアニメの
『葬送のフリーレン』でも同じ事を
描かれてるなと思ってめっちゃ見てます。
もう5週目くらいしてます笑

寿命が果てしないエルフは魔法の熟練度は
凄いけれど1つの魔法を覚えるのに
100年費やす事に何も感じず毎日を過ごすのに対し、
寿命が短い人間は
何かに急かされてるかの様に
魔法の研究に打ち込んで
凄いスピードで成長していく。と
そして、
結果自分よりも弱いはずの人間の
魔法使いに負けてしまいます。

話を戻しますが
毎日惰性でダンスをしてしまっている自分と、
少しでも多く吸収しようともがいてる
若手との関係と同じだと思います。

自分も
いつかそんな若手に追い越される日も
遠くは無いはずですが
その時はまた抜き返せば良いだけです。

日本人が優れている。というのも
日本人だから凄い訳では無いはずです。
日本人だからこそ"普通"に疑問を
持つことができるからなのかもしれません。

私達はどれくらい"普通"に対して疑問を持ち
その事を探求できているのだろうか。
向き合い方は人それぞれとは言えど
惰性にはならない様心がけていきたいです。

だって『日本やべぇな。。。』てなる様な
Krumpシーンが見たいですもん。

自分もそこに食い込んでいける様な
krumperになりたいですもん。

その為に"完全"を目指し"不完全"となるのです。

『ダンスはナマモノ』

この言葉も腐るほど聞いたはずです。
うんうん。と頷きながら聞いた人も
いるとは思いますが
つまりはどういう事なのでしょうか?
この"普通"にどれだけ疑問を持つことが
できたのでしょうか?

聞いて理解できても
実際に習得したとは限りません。

この情報社会で生きる自分達は
そんな自分を疑った人達が高みへと登っていける
社会なのかもしれません。



別に登る必要も無いのですが。。。


最後まで読んで頂きありがとうございました🙇

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