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「コーチング」の原則


「凡庸な教師は、ただ喋る。

ちょっと優れた、ましな教師は、理解させようと努める。

より優れた教師は、自分からやってみせる。

本当に優れた教師は、心に火をつける。」

イギリスの教育哲学者、アーサー・ウィリアム・ワードの言葉です。

乗馬などのスポーツ指導の他、企業の人材育成やリーダー研修などの場において、人にものごとのやり方を教え、能力を発揮して活躍してもらえるようにする方法として重要視されているものに、「コーチング」の技術があります。

『コーチ』の語源は、四輪の自家用馬車を表す「コーチ(Coach)」で、この馬車が伝統的に造られていた、ハンガリー北部の「コークス(Kocs)」という村の地名からきているのだそうです。

つまり『コーチ』とは本来、「教える」のでも、「導く」のでも、「引き出す」のでもなく、「大切な人を、その人が自ら行きたいと望む場所へ送り届ける」というような意味なのです。

しかし現実には、少年スポーツのコーチなどでも、本人の創意工夫を一切認めず自らが正しいと信じる型にはめようとしてみたり、そうならない場合には怒鳴り散らし、汚い言葉で罵倒したりしているような人も少なくないですし、

大人のスポーツクラブなどでは逆に、まるで「接待ゴルフ」のように何でもとにかく褒めちぎっておだててみたり、またある時は頼みもしないのに技術的なアドバイスを次から次へと浴びせかけ、本人が自ら考えて「気づく」機会を与えなかったり、というような指導者も多いのではないかと思います。


そのような、本人の行きたい場所でなく、教える人が「行かせたい場所」になんとか効率良く誘導しようとするような指導方法ではなく、

学ぶ人の心に火をつけ、本人が面白くて夢中になっているうちにいつしか高い山の頂へと辿り着いてしまった、というような、そんな指導方法こそ、理想の『コーチング』だと言えるのでしょう。


そこで、「理想のコーチング」の要素として、

ここでは敢えて

①「褒めない」
②「教えない」
③「助言しない」

という三つの「原則」を挙げてみたいと思います。

そのように聞くと、「えっ?」と違和感を覚える方も多いでしょうが、

その一つ一つについて、これから述べる説明を読んで頂ければ、少しは納得して頂けるのではないかと思います。


・コーチングの三原則

①褒めない

ほめて伸ばす、という言葉もあるように、ほめることは、相手のやる気を引き出す上では最も有効なものの一つとされています。

しかし、何でもかんでもただ「誉め殺し」で持ち上げられ続けたのでは、試行錯誤を繰り返しながら上達しようという気は薄れてしまうでしょう。

いつも同じような褒め言葉では、だんだん飽きてきますし、その裏に潜む何らかの「見返り」への期待、といった隠れた意図を感じ、不信感を抱くようになるかもしれません。

教える方でもそれを感じて、飽きられないようにさらに何かのご褒美(例えば段位やライセンス、特別枠への参加など)で釣る、といようなことになってしまえば、

その時点で、相手にとってその行為は「ご褒美のために我慢してやる作業」になり下がってしまうことになり、

モチベーションを高め成長を促すためのコーチングとしては、最悪の結末だとも言えるでしょう。

相手のやる気に火をつけ、「より成長したい」という気にさせるには、接待ゴルフのように何でもかんでも褒めておだてて安易に楽しませようとするのではなく、

本当に良い時にだけ、大きく頷いて「認めて」あげる方が良いのだそうです。

「あ、今の良い感じだったな。コーチも頷いてる。やった!コレで良いんだ!
よーし、この感じで、次も頑張ろう!」

コーチングのために大切な部分は、何百種類もの指導テクニックを完璧に覚えて、タイミングよく提供できるような技術の習得などよりも、今良かったよ!と素直に認め、頷いてあげる心です。

「ほめる」のではなく、「認める」。

それが、「褒めて伸ばす」といわれることの本来の意味なのだろうと思います。


②教えない

「コーチ」なのに、教えてはならない、などと言われても、「いったい何を言ってるの?」という感じかもしれません。

どういことかというと、

『コーチング』=「ティーチング」ではない

ということです。

すなわち、『コーチング』で最も大切なのは、細かい技術を教えることでも、スパルタ式に礼儀や心構えを叩きこむことでも、競争の世界の厳しさを言って聞かせることでもなく、

相手が自ら望む場所に辿り着くまで、一生燃え続けるような「火」を心につける、という、「いちばん最初の部分」である、ということなのです。

一旦火がついてしまえば、

新しく覚えた遊びが面白くて仕方なくて、誰かが教えたり褒めたりしてくれなくても毎日毎日夢中でやっていた子供の頃のように、
寝ても覚めてもずっとそのことを考えている、というような状態にさえなるかもしれません。

そうなれば、ハードな練習も最早「努力」ではなくなり、自ら創意工夫しながら学んでいくうちに、パフォーマンスもどんどん向上していくことでしょう。

しかし逆に、その「火」は、「教える」ことで簡単に消してしまうことも出来ます。

「ほら、拳が高い。手綱が長い!肘を曲げて。脇を締めて。背中が丸い!顎をもっと引いて。下を見ない!膝を真っ直ぐ前に向けて。つま先も!足が前に出過ぎ!踵を下げて!
…何回言えばわかるの⁉︎  頭使えよ!」

自分もそのような「厳しい」環境で鍛えられた、というような自負があるためか、

相手を口汚く罵るような言葉を交えつつ「出来ていない所」だけをひたすら指摘し続けるような指導をずっと続けているような人というのも、特別に少年スポーツなどでは今だによく見かけます。

「誉め殺し」もまずいですが、人格を否定し、尊厳を傷つけるような罵詈雑言を受け続ければ
誰でも凹んでしまい、やる気を失ってしまいます。

また、そういう指導者に限って、自分が習ってきた「正統な」知識、技術といったものに過剰な自信を持っていることも多く、

相手が創意工夫しながらやっていることに対して「それは間違い」「あり得ない」「常識でしょ」などと頭から否定するような人が多いものです。

そのようにしてかき消されてしまった火は、もう二度とつくことはないでしょう。


③助言しない

「コーチングで助言(アドバイス)をしてはいけない、なんて、ますます意味がわからない」という方も多いでしょうが、ひとつの「言葉のアヤ」として、とりあえず聞いて下さい。

「教えない」というのが、相手の思考を無視して教え込もうとしてはいけない、というのと同じように、
「助言しない」というのにも補足があります。

それは、「相手が求めているかどうか」ということです。

例えば、子どもが新しく買ってあげたスケートボードで遊んでいるとします。

乗れるようになってきたその子は嬉しくて、

「見て見て!」

とやって見せてくれるでしょう。

ここでも、殊更に褒めるのではなく、ただ大きく頷いて「認めて」あげれば、彼は夢中になって、一人で練習に没頭するはずです。

「いいなー。ちょっとやらせてよ。」

などと言っても、

「ダメ!僕がやってるの!」

なんて言いながら、なかなか貸してくれないかもしれません。

しかし、そんな子どもから、スケートボードを取り上げ、二度と触らせないようにしてしまう「魔法」があります。

それが、「助言(アドバイス)」です。

彼が自分で考えついた乗り方を否定し、上手く乗れる方法を丁寧にアドバイスしてあげるのです。

「そうじゃない。もっと左に体重をかけて。ほらー、落ちた。それじゃあダメなんだってば!」

「コレでいいのー。」

「ダメダメ。もっとこういう風にやらないと、綺麗にターン出来ないぞ。…ちょっと貸してみなさい!」

というやり取りを何回か繰り返すだけで、彼はさっきまで夢中になっていた新しい乗り物にすっかり飽きて、別の遊びを始めることでしょう。

確かに、彼が「もっと上手く乗れるようになりたい」と思っていたことは間違いないと思います。

しかし、その結果だけが欲しかったわけではなく、その過程にある、試行錯誤、創意工夫や、その中での「わかった!」という気づき、それを自分で発見した喜びも含めて、彼は楽しんでいたのです。

その楽しさ、面白さが、人の心に火をつけるための火種であり、燃やし続けるためのエネルギーであるといっていいでしょう。

助けを求めていない時の押しつけがましいアドバイスというのは、その火種を簡単にかき消して、二度とつかなくしてしまうほどの破壊力があります。

逆に、技術的な壁にぶつかり、凹んでいるような時には、求めていたような助言をタイミングよくもらえることでより高い次元へと飛躍できるのは勿論ですから、

一概に「助言してはいけない」というようなことではなく、タイミングと、やり方の問題だということです。

コーチングの「ほめず、教えず、助言せず」の三原則を、補足するならば、

①やみくもに何でもかんでも褒めず、本当に良い時にだけしっかりと認めてあげる。

②  「正しい方法」を教えることよりも、まず面白さに目覚めてもらえるようなお膳立てをし、見守る。

③ 相手が、助言を求めている時にだけ、的確なアドバイスをする。

といったところでしょうか。


スポーツ指導者に限らず、部下や子どもを指導するような立場の方は、頭の片隅に置いておくと、役立つことがあるかもしれません。








「馬術の稽古法」を研究しています。 書籍出版に向け、サポート頂けましたら大変ありがたいです。