見出し画像

文体模写の模写日記:大江健三郎編

僕は躰の内奥から湧き上がる「虚無」に応えるように、手探りをした。

「虚無」の感覚をさがしあてた指は、空っぽの僕を引き寄せる。

いれろいれろ。理性がそれを望んでいる。

眼ざめたばかりの躰は、自分のキャリアプランに書かれた「理想の自分」を模倣する。成長しろ、成長しろ。インターンで身を粉にして働く。

自分の暗闇のうちに、自尊心が溜まっていく。僕はパソコンを開いて、会議の資料作成の続きをする。


資料が完成するまでの渋滞のうちに、間断なく、自分の担当するコンペの準備をしなければならない。

資料が仕上げられ、USBに保存される。僕の肩はガチガチに固定され、筋がつりそうだった。


USBをなくさないように鞄にしまった。USBがカバンを更新し、なまなましく強調していく。翌日、これが会議の成否を握ることになる。

資料作成の失敗は僕のidentityを喪わせる。印刷物は遡行できない。僕は資料を印刷しながら、慎重に時間の喪失を観照していく。


——ヘンリー・ミラーの悲しみと、おなじ悲しみを俺は体験したんだ。一生のうちで印刷に失敗するほど、悲しいことはない。

印刷されたばかりのコピー紙は熱い。印刷を終えた紙資料を手に取ると起ちあがる美しさは僕を魅惑した。

一見するだけで、内容が頭の中で整理される。僕はこれほど即物的に徹底した印刷物を見たことがない。肉体の内部には印刷物固有の特性を色濃く感じた。



やがて机に配置しおわった資料が、抵抗しがたい眠気を誘った。僕はあらゆるものを判断停止して、横たわって眠り込んだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?