#ハルフェティ
トルコ・ハルフェティ連詩を終えて:三宅勇介 x 四元康祐往復書簡 第七回
四元さん、こんにちは。
また投げたボールが返ってきちゃいました、「頭で書くタイプの詩人」問題、飲みながら朝まで語れそうですね(笑)。
「頭で書く」詩は読んでいても不気味さに欠けて驚かされない、という四元さんの言葉で思い出したのが、ある作家の言葉だったと思いますが、(すみません、うろ覚えですが)「新しい文学があるのではない、新しい生理があるのである」
頭で考えていても、全く違う「生理体」には勝
トルコ・ハルフェティ連詩を終えて:三宅勇介 x 四元康祐 往復書簡第五回
四元さん、
お返事ありがとうございます。
今回も色々考えさせられます。まずは、「頭で書くタイプ」の詩人について(笑)。四元さんの仰ったように、定型詩においてはそれは褒め言葉ではないですよね。俳句よりも短歌の方が嫌われるかもしれません。よく歌会などの批評で、歌のダメだしする時に、「これは観念的だ」とか、「頭で作っている」という決め台詞があります。そういう言葉が出るたびに、「また出たよ」と思ってし
トルコ・ハルフェティ連詩を終えて:三宅勇介 x 四元康祐 往復書簡第二回
三宅さん、
お手紙ありがとうございました。あれからちょうど一ヶ月ですね。まるでついさっきだったような。それでていてもう何年も前の出来事のような。
本当に夢のようでした。初日の発句ならぬ発詩で、ゴクチェが「手に手をとって小舟から湖に飛び込む」という一行を書いたら、その翌々日(でしたっけ?)ほとんど水没した建物の屋根の上から、本当にみんなで手を繋いで飛び込んだり。物静かでお淑やかなペリンや若いエル