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あをによし、奈良の都は(三) 旧志賀直哉邸にて

(三)旧志賀直哉邸にて

 お蕎麦屋を出て、もと来た土壁の通りを歩く。
 通りが四辻に差し掛かったところ、その一隅に旧志賀直哉邸はある。
 土の感じがあって素朴ながらもどっしりとした門の構えが「家」の存在感を来客に感じさせる。

 旧志賀直哉邸へ行くことになったきっかけは、「池の縁」という本当に短い短編を読んだからで、そこには、この奈良の家で過ごした子供たちとの日常の一場面が、淡々と、けれど愛らしく描かれていた。
 そのほかの短編も家族と過ごした日々のことが描かれているものが多く、「墨絵のような」小説を目指したという志賀直哉独特の飾らない簡素な文体から、妙にはっきり伝わってくる家族のやりとりに、私はつい虜になる。短編集のページはどんどん捲られた。
 何気ないひとときに感じるときめきや、その様子を描く作者の姿に私は何より惹かれた。

 玄関に入ると、細い竹の筒に彼岸花が二輪生けられており、秋の風情に迎えられて靴を脱いだ。
 壁には「直哉居」と黒字に朱で書かれた額がかけられている。どこかで見た事がある字、と思っていると、どうやらこれは熊谷守一の書だ。たしかに志賀直哉の小説と、熊谷守一の抽象的な絵には、装飾を排し、ありのままの姿を見つめたいという相通じる姿勢がある。
 たしか、新潮文庫での、志賀直哉作品の表紙は熊谷守一の絵だった。以前、表紙の絵も楽しみに、『和解』の文庫版をインターネットで買ったところ、届いたのは旧版で、表紙はまるで志賀直哉の遺影のような白黒写真で飾られており、そのインパクトにあんぐりした事があることを思い出した。
 とはいえ、自分が好きな作家同士に交流があると知ったとき、彼らに通底している何ものかに少しばかり触れられたような気がして、密かに嬉しくなった。

「二階からどうぞ」

 チケットを買い、私は楽しみな気持ちを沈黙の中に押し込め、キシキシと階段を登った。
 二階に着いた途端、目の前は一気に明るくなった。
 畳の部屋が二間という小さなスペースには、風通しの良い大きな窓がある。薄いガラスの木枠の窓に微細な空気の揺れが伝わり、山から吹いてくる風が清々しい。

 一階の書斎、茶室、お風呂に女中部屋、台所、ダイニング、サンルーム。子供の寝室と志賀直哉の寝室、奥さんの部屋、子供部屋、前庭、中庭。

 しっかり普請されているが、決して豪奢ではない落ち着きある家の様子に、恍惚と羨望の嘆息を漏らしつつ、志賀直哉は、「家」という場をしっかりと育んだ人なのだ、そして物語はそこから生まれる一つの産物だった、と私は思った。

 中庭を囲むように作られた家は、誰がどこにいても声が届く作りになっていて、その中庭さえ、飛石でゆるやかに結ばれている。
 誰のことも取り残さない、しかし、決して窮屈でない、「寛大」という言葉がぴったり合う”家”という存在を大切にしていたのだと思う。

 家を大事にしている姿は志賀直哉の作品だけでなく、同じ「白樺派」の武者小路実篤の作品やエピソードにもよくある。
 二人は生涯の友として有名で、晩年、歳をとった志賀直哉は庭の木を削って二本の杖を作り、一本を武者小路実篤に贈った。武者小路実篤はこれを「友情の杖」と名づけ喜んだという。彼らの作品と同じくらい「白樺」の思想を体現している素敵なエピソードだと思う。
「家や家族を大切にする」とそれをそのまま文字にしたり言葉にすると、スローガンじみて、嘘っぽく聞こえてしまうかもしれないが、白樺の人たちの作品や言葉には、そう言った素直な気持ちや生き方が真っ直ぐ表現されていて、かえってとても清々しい。
 職業としての小説家や文豪という感じではなく、家の長であり、生活者であり、そして芸術に通じている人たち、個性の強さ(癖?)を理解し合い、時に情熱あり、時に純粋で可愛らしいところを持ち合わせている、憎めない人たち-彼らのことが好きであるゆえに、ちょっとよく言い過ぎたかもしれないが-それが私の「白樺」の印象で、直哉邸を拝観して、いっそうその感は深くなった。
 文学という枠では、評価不可能の「生」の表現が、私にはとても魅力的に映る。そういったところが、「白樺」について文壇での評価をあまり聞かない理由かもしれない。が、評価不可能、まるで詩のような児童文学のような、愛おしい世界の、おおらかさやのんきさといったものが、はたと大切な何かに気づかせてくれることはよくある。

 私は広いダイニングにぽつんと座り、子どもたちや女中さん、そして夫婦や来客が和やかに、楽しく暮らしている様子を思い浮かべてみた。奈良へ向かう列車の中でも小説を読んできたからか、その描写が正確だからか、家族の暮らしを想像することは、難しくなかった。
 その光景はほほえましい反面、一緒に切なさも込み上げてくる。この感覚を志賀直哉も感じながら暮らしていたのかもしれない…
 いとおしい瞬間というのには、胸が小さく締め付けられるような切なさも同時に存在している。いつか思い出になる、いや、もうみているそばから、すでに過去の記憶となっている子どもたちとの一瞬を、紙の上に描き、蘇らせてゆく小説家の姿が目に浮かぶ。


 一見、社会からはかけ離れているように見る「白樺」の文学は、実は、それぞれの「生」につよく感じ入っている。
 そして、その気持ちこそ、生きることの根源に近くあるはずだと私は思う。
 生から派生して、社会というものがあるはずなのに、往々にして人は、社会というものをベースに自らの生を考えてしまう。根源にあるものが、忘れられていることは、決して珍しいことではない。
 志賀直哉邸は太い幹、人や芸術作品を生み、育てる場所として、落ち着きと安堵感のある家だった。作家と家のありように、私は自分の歩みを励ましてもらったような気がした。
「生きるため…」と呟きながら、すでに生きているという何にも変えられない達成を忘れてしまいそうになる社会の中で、旧邸は「生」の姿を思い出させ、育む場所として、今も静かにおおらかに佇んでいた。

 裏庭には、先の短編「池の縁」の舞台となった小さな池があり、最後に私はその池の縁に立ってみた。一階と二階の書斎の大きな窓がすぐそばに見える。
 池の周りを蜻蛉がツツツととんでいた。水面には、蛙が一休みしていそうな蓮の葉が何枚も浮かんでいる。
 生きもの、草花、そして子どもたち。書かれた作品そのものだけでなく、そうした場面、小さな物語を綴ったその姿こそ、作家が大切にしていたことや思想を、何よりよく表現している。


旧志賀直哉邸



以前書いた、熊谷守一の記事です。


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