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連載が始まります

4月16日発売の表現者クライテリオン5月号より連載『ひこばえ』が始まります。
新古今和歌集におさめられている一首、

「荒小田の 去年のふるあとの ふるよもぎ 今は春べと ひこばえにけり」

から題をかり、副題に「風土に根ざす智慧と美徳」を据えました。四季折々の風土に育まれた日本の文化、智慧と美徳を学びながら執筆していこうと思っております。

第一回「令和に芽ぐむやまとごころ」では、私が思う保守について書いています。人によって意味が異なっていることが多い「保守」ですが、「保守思想誌 表現者クライテリオン」で連載を始めるにあたり、私にとっての保守とはどのようなものなのか、あらためて考えてみました。

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 保守とは二元的に対立軸として考えるより前の、もっと根本にあるものだと思います。政党政治や議会政治と言うものも、近代化を急ぐ中で、半ば盲目的に、模倣的に取り入れられた統治の仕方で、そのような急拵えのものを、現代を生きる私たちは、考え方や生き方の土台に据えてしまっている、そのように感じられます。
 この国の風土やそこに根ざして育まれたもの、世代を超え、時代を経て淘汰された一見不合理な、しかし、実はたいへん合理的な考え方や方法に、私たちは目を閉ざしてしまっていはしないでしょうか。
 内乱や革命、世界大戦、その度ごとに、リーダーや制度、価値観までもが大きく変わってしまう。が、それでも、春雨は私たちをやさしく濡らし、秋風はそぞろに頬を撫でてゆく、あるいは、茹だるような夏の日、凍えるような冬の寒さ、この国に住まう人々を包む季節、風土は、さして変化することがなかったのです。
 悠久として、泰然としたとしたもの。
 春から夏、秋、冬へと移ろいゆく季節の中で、その自然のやさしさに人々は美徳を見出し、そのきびしさの中で智慧を育んできたのです。「春はあけぼの…」の古きから今日に至るまで、そこに身を寄せ、心を寄せて暮らし続けた人間の、世代を超えて引き継がれてきた、育まれてきた美徳や智慧、そういうものがこの国、この身に宿っている、私はそれを信じます。それは、推して知ることしかできないようなものも多分にあるでしょうけれど、そういうものを感じ、そこに思いを巡らせること、そして、それを蘇らせることが、私にとっての「保守」であり、これからもそうなのだろうと思います。

第一回「令和に芽ぐむやまとごころ」より



政治的な思惑や発言だけが「保守」ではないこと、死生観や人生、歴史、文化、あらゆるものに思い巡らして生きるということ、保守という言葉にこだわりすぎると見えにくくなる部分かもしれませんが、そのようなところに立ってものを感じ、考えることが私にとっての「保守」であることを書いております。 


ぜひ、ご一読ください😌





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