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舞初め


 踊りのお稽古で、年の初めに行われる「舞初め」が、今年は日程の都合からかこの二月にあった。
 この行事は、私の師匠の師匠(私からすると大師匠さん)が開かれている集まりに、そのお弟子さんだけでなく、私たち孫弟子も寄せてもらい、門弟だけで行われる。普段のお稽古では合うことのない面々と、しゃんとした色無地姿で新年の挨拶を交わすとき、私は「いよいよ新たな一年が始まった」という清々しい気持ちになる。

 舞初めはお客さんもいなければ、特別な衣装もつけない。毎年おなじ三つの曲を、色無地の着流し姿で、門弟一同がともに踊る、というとても簡素な行事だ。が、舞台でもなくお稽古でもない、ただ新たな一年を迎えるためだけに踊る、という、おごそかなひとときが私はとても好きで、緊張するとはいえ、毎年たのしみな行事の一つでもある。

 ことし、私は新しい帯を下ろして締めていった。色無地の着物では、帯がよく目立つので、どの帯にするかいつも迷うのだが、今年は随分前からこの帯にすると決めていた。それは、昨年、着物を仕立てたその帰りに偶然見つけた一反で、もう着物を買った後だから、と悩んだ挙句、どうしても諦めきれずに仕立ててもらった帯だった。
 薄いさくら色の地に流水と桜の地紋があり、そこにひらりと落ちゆく花びらが刺繍されている。刺繍された花びらの中には、四季折々の景色が写り、過ぎた昔と来る未来への思いが交錯するようなその風景が、とても気に入っている。お名取さんたちは、白地に、金銀の糸で桜と柳が織られたお流儀の帯を、きりりと締めている。その中にいると、私のお気に入りの帯は少々幼くも見えたけれど、ひっそりと水に流れる小さな桜の地紋が、名取さんたちのその帯に少し似ていて、一人うれしく思った。

 新しい年の初めのわずかな時間に、見るためでもなく、見せるためでもなく、門弟たちが息を合わせてただ踊りをおどるひとときは、清らかな、どこか神聖な感じがして、そこに芸事のはじまり、神事の気配が息づいているのを感じた。

 毎年、舞初めがある夕陽丘の会場は、数年前まで通っていた高校のすぐそばで、地下鉄特有の鬱屈とした雰囲気や、私も着ていたグレーの制服姿に、当時のことなど思い出しながら帰りの電車に乗った。
 暗いトンネルの中をしばらく走ると、電車は不意に地上に出る。ビルの街を背に、窓の外には遠く山が連なり、淀川は濃い青色の反物のように流れ、夕方の光を川面にきらきらと反射させていた。斜めに差しこむ二月の光に照らされて、橋を渡る電車の窓には、着物姿の私が映っていた。

11月の舞台に向けて、ことしもお稽古🌱


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