晴れた日曜日の朝、僕が歩くことについて思うこと。
晴れた日曜日の朝。
開けた窓から入ってくる冷気が心地よい。
スイスではようやく暖房がつくようになったから、建物の中はとても温かくなった。
風に役目を終えかけた木々の葉が揺れて、少し乾いた合唱音がする。
こんな清々しい日を家で過ごすのも悪くはないなと思う。
先週、急に盲腸になった。
月曜日の夕方から変な腹痛がし始めて、夜にはお腹の右下に痛みが移った。
寝れないほど痛む時もあったけど、ぎりぎり寝られたから次の日には普通に仕事に向かったけれど、典型的な盲腸の症状だと思ったから病院に向かうと、やっぱり盲腸と診断された。
普通の人より数日早く診断されたようで医者には褒められたけど、その日の夜には手術、翌日の朝には退院という、トントン拍子でことが進んでいった。
自分が一番状況を理解できていなかったから、手術への不安なんてもはや微塵もなくて、むしろ麻酔をかけられる直前まで、なんで自分がこんな状況になっているんだろうと、笑いを堪えているほどだった。
全く、なんでスイスで盲腸の手術なんてしてるんだろ。
この週末は友人と軽く山に行く予定だったけれど、もちろん自分はキャンセル。
行動制限はないと言われたけど、さすがに山に行ける状態ではなかった。
でも、今一番したいことは何かと聞かれれば、僕は「ひたすら山で歩いていたい」と答える。
思い返すと、僕は歩くことが昔から好きだったのだと思う。
ただそれが副次的なところに留まっていただけで。
僕は旅が大好きだけれど、旅先ではできる限り公共交通機関を使わないのが僕のポリシーだ。
電車やバスは、もちろん歩くよりも早く目的地に着ける。
流れていく車窓を眺めるのも、一つの映像作品を見ているようでいつも心が躍る。
それでも僕はできるだけ歩くようにしている。
朝のパン屋から香る甘い匂いや市場に漂う人々の熱気。
自分の分からない言語がひたすら耳に入ってくる非日常感。
しつこく話しかけてくる客引きの人。
自分の足裏を疲れさせてくる固い石畳の道。
住宅街で座り込んで話している地元の人々の笑い声。
こういった「生の体験」が、その場所を理解するための重要な要素だと思っているからこそ、僕は自分の足で移動することを選んでいる。
観光名所で感じられる外面的な魅力じゃなくて、その土地の息遣いを自分の体で感じたいから、移動に時間をかけるのだ。
今年になって、歩きたいと思う場所が自然の中に寄ってきた。
去年スイスの色々なハイキングコースを歩いて、もっと五感を使って、もっと長い時間自然を楽しみたいと思うようになったからだ。
山でのテント泊を始めて、ロングトレイルという世界に出会って、1週間前後ひたすら山に篭って歩くようになった。
山に馴染みのない知り合いには、時々狂気の目で見られることもある。
ただ僕からすれば、その土地に根付く生活や文化を知りたいからという、とても一貫した理由でこの世界に辿り着いた。
ロングトレイルに根付く文化は、心の底から面白いと思う。
ロングトレイルの本場であるアメリカは特に興味深い。
アメリカにはパシフィック・クレスト・トレイル、コンチネンタル・ディバイド・トレイル、アパラチアン・トレイルという3つの数千キロにも及ぶ大きなトレイルがある。
近年の映画などによる人気の高まりを受けて、年々それらのトレイルを歩くハイカーは増加している。
彼らはトレイルネームという奇妙なあだ名で互いを呼び合い、街に降りれば時にトレイルエンジェルと呼ばれる、ハイカーをサポートする地元の人々に寝食を提供してもらい、汚い身なりをしながらアメリカを北へ南へと移動していく。
ハイカーウェーブ、トレイルマジック、ハイカートラッシュ、ゼロデイ・・・。
彼らの間でしか通じないハイカー用語も山のように存在する。
アメリカの例は顕著すぎるけれど、街のない道にだって、その場所独自の雰囲気や文化が根付いている。
例えばスウェーデンのトレイルには、アメリカで発達しているウルトラライト(できるだけ装備を軽くし、身軽にしようとする指向)の考え方は全然浸透していなくて、みんな80リットルくらいの重々しいザックを背負って歩いている。
トレイルの近くに落ちているトナカイの角を拾えば、勲章かのようにそれをザックにくくりつけて歩く。
朝起きれば、近くの水場で浄水をしてテントをたたむ。
お腹が空いたらトレイルフードを食べて、目的地に着いたら幕営地を探してテントを立てる。
夜が来れば眠り、朝が来ればまた目を覚まして歩くための準備を始める。
そんな単純化された日々を過ごしながら、ただひたすら続く一本の道を歩いていればいいのだ。
時にしなやかに生きる野生動物と遭遇し、時に風雨にさらされながら懸命に歩く。
ちっぽけな僕にはひたすら足を前へと踏み出し続けながら、歩くことしかできない。
でもそれがただ幸せで仕方なかった。
時間は本当にお金で買えない価値だと思う。
人は忙しくなると、お金を使って移動時間を短縮しようとする。
それでも僕は、目的地に行くことを目的にしたくないし、できるだけ移動に時間をかけていたい。
足がボロボロになって歩けなくなるまで、いろんな大地の感触を自分の足で感じていきたい。
最近就活を始めた。
実際に今スイスで働いていることで昔ほど尖らなくなったから、自分の社会人生活について前向きに考えを巡らすことができるようになった。
それでも山で培ったハイカーの精神は忘れたくないと強く思う。
自分の歩いた場所は、まだ地球上のごくわずかな一部分に過ぎないのだから。
自分はまだこの世界のことを知らなすぎるのだから。