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神の社会実験・第24章

月日はあっという間に飛び去り、僕は20歳になっていた。島での生活は日に日に面白くなっていったし、知り合いと齢が増えるごとに開かれる扉も増えて行った。偏らない話の聞き方、正しいリサーチのやり方、いろんな事実の捉え方、狙い通りの文章の書き方などから教えてもらったジャーナリズムにも慣れてきて、今では特集も組ませてもらえるようになった。スキューバダイビングや飛行機の操縦など趣味も増え、友達も沢山できた。恋人ができたこともあった。たまに来る両親からの手紙によると、何やら僕は有名校を飛び級しながら卒業して、移住した先の国籍を取得して20歳の若さでその国の政府の官僚見習いか何かとして世界中を飛び回っているらしかった。あまりの忙しさに、両親に会う暇もないらしい。出世して誇らしく感じてくれていると綴ってあるその文章から滲み出る寂しさは、僕にはちゃんと伝わっていた。そして僕は、その返事には決まって、島を特定できなければ何を書いてもいいという天使の指示に従って、近日覚えた感動と、お気に入りのスナップショット、そして日ごろ感じている父と母への感謝と寂しい思いをさせてすまないという気持ちを込めて送り返すのだった。毎日充実して、眠るのが惜しいくらい楽しかった。そして、島の人は皆、人生を謳歌しているのだとばかり思っていた。実際に僕ら一家がかつて滞在していた、あの恐ろしく堕落的なインド洋の島国の元国民にも出会ったが、あの島の人間とは思えないほどの彼女の生き生きとした活躍ぶりをみて、僕はその事を確信していた。そう、プルーに出会うまでは。

その日は仕事の帰りにバイロンとバスケをしていた。バイロンは何故か僕の事を気に入ってくれて、島に来た時にお世話になった後もよく色んな事に誘ってくれたりしていた。バイロンも僕と同様、誘導されてこの島に来た少数派らしいけれど、後はバスケを嗜むくらいで、僕らにはそれと言った共通点は無い。でも、友達って案外そんなものかも知れない。趣味を通じて知り合った友達は、その趣味への興味が薄れると去って行く。でも、なんとなく気が合う相手とは、理由がなくても付き合いが続く。一度本人になぜこんなに良くしてくれるのか聞いてみた事があるけど、本人もよく分からないみたいだった。

「強いて言えば、なんだか君が年の離れた弟みたいな感じがするのさ。僕は一人っ子だから、その感覚が正しいかどうかは分からないけど。波長が合うってやつかもね。けど、こんな僕らを引き合わせるなんて、やっぱりディルセは只者じゃないよね。」

彼はそう言ったけれど、バイロンが兄貴風を吹かすようなことは、ただの一度もなかった。

その日のバイロンはいつも以上に陽気で、バスケの後にとっておきの場所に連れて行ってくれると言っていた。

「ヘイ、ラッキー・ガイ。君は毎年忘れているらしいけど、今日は君が島に来た記念日なんだぜ。しかも、5周年だ!お祝いしなくちゃ。」

バスケの応援に来ていたバイロンの彼女は、おめでとうと言ってハグしてくれたけれど、私が一緒に行くと主役のあなたがお邪魔虫みたいな気分になっちゃうかもしれないから、と言って先に帰ってしまった。彼女を見送った後バイロンは、例によって「期待してくれよ!」と自分でハードルを上げて、首都のサンゴ構造の中でも、僕が馴染みのない一画に案内してくれた。そこはサンゴの中でも特に入り組んでいて、猫に口笛を吹かせる道具だとか、茶を入れる以外の用途で湯を沸かすと怒るやかんだとか、かなりマニアックな物を扱っている店が多い所だった。因みにこのやかん、怒らせた方が早く湯が沸くらしいけど、あまり立て続けに怒らせると信じてもらえなくなるとか。兎に角僕らは、そのマニアック商店街の中でもかなりハードコアな、亀を驚かす音楽専門店と言う訳の分からないレコード屋さんに入って行った。バイロンは顔なじみらしくて、店員に、やあやあと言いながら当然の様に奥へ進んでいった。店内放送の音楽はかなり緩いメロディーで、どの要素が亀を驚かすのかさっぱり見当もつかなかった。緩い中に、いきなりガシャーン!とか入るのかな?でもそれなら亀以外でも驚きそうだな…などと考えながらバイロンの後について地下へ行く階段を下ると、バーの看板が掛かっている扉があった。ニヤニヤ笑いのバイロンに促され、亀を脅かすバーなのかな、なんて思いながら重い扉を開くと、そこには別世界が広がっていた。

窓のない薄暗がりの空間は、数え切れないほどの銀河によって照らされていた。それらは磨きこまれた真っ黒な素材の柱の中や、バーのカウンター、テーブルや床など至る所に封じ込められていて、よく見ると全部違っているようで、それぞれゆっくりと回ってた。一歩踏み出し、後ろで静かに重い扉が閉まると、自分も星の一つにでもなってしまった気分だった。バーはかなり広く、幻想的な空間の中で人々は流星を閉じ込めたように煌めくカクテルを傾け、お喋りに興じたり、音楽に耳を傾けたりしていた。カウンターに向かう途中で気付いたことは、場所によって音の反響が違う様だった。つまり、賑やかに過ごしたい人はステージ寄りの席に掛け、静かにまったりとドリンクを楽しみたい人は、お洒落なハンモックやウォーターベッドなどが用意されている一角を選べるようになっているみたいだった。あのハンモックで揺られていたら、本当に宇宙遊泳しているような気分になるんだろうな、と思った。

「どうだい、素敵だろ?どういう仕組みかは知らないけど、このバーでは時間の流れ方がちょっと違っているんだ。だから、思う存分楽しんでも、外に出れば1時間位しか経っていないって訳さ。君の故郷的に言えば、逆浦島太郎効果とでも言うのかな?とにかく、僕は時間を忘れて楽しもうっていう時には、ここに来るんだ。さあ、ぱぁっと飲もう!」

バイロンに肩を組まれてバーのカウンターに座ると、寄りかかったカウンターの中の銀河に暫く見惚れてしまった。きらきらと輝く渦を目で追っていると、吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥った。バイロンはバーテンダーと親しげに挨拶を交わし、うきうきと勝手に僕の分までドリンクを注文して、待っている間に説明を続けていた。

「奥には個室もあって、長くかかるゲームを嗜む人に良く貸し出されるんだ。金曜日は大きなイベントナイトで、ローラーディスコなんかが催されるんだ。楽しいよ!今日はカラオケみたいだね。それにしても辛気臭い歌だなぁ。彼女、素敵な声なのに勿体ないね。」

バイロンの視線を辿った先にはステージがあって、若い女性が一人物憂げに歌っていた。歌が終わって疎らな拍手があったけど、彼女はステージを降りる気配を見せなかった。そして、その後何と3曲も立て続けに暗い歌ばかり歌い続けた。最初は気にせずに喋っていたバイロンも、さすがに参ってきたようだった。

「こんなに暗い歌ばかり歌って、気分が滅入っちゃうよ。折角のお祝いが台無しだ。だから今日はこんなに空いているんだな。ちょっと僕が一曲代わってもらう。君に捧げるよ!」

そう言って彼は曲を注文すると、バーテンダーに感謝されていた。

「助かりましたよ!彼女、さっきからずっとこんな調子で、この後4曲も入れているんです。他に歌いたい人がいなければいいでしょ!何て言って。でもお祝いとなれば、間に挟み込んでも分かってくれるでしょう。一曲明るい歌が入れば、他のお客さんも歌ってくれるかも知れません。」

そういってバーテンダーは、そそくさとステージの彼女に耳打ちしに行った。彼女は明らかに憤慨していたが、曲を歌い上げると、バーテンダーのMCと共に颯爽とステージに駆け上がったバイロンに渋々マイクを譲った。バイロンはアップテンポの前奏に乗って、軽快に踊りだした。彼の力強い美声の効果は覿面で、照明も何も変わっていないにも関わらず、バーの雰囲気は一転して愉快な物になっていた。先ほどまで歌に関心がなさそうにお喋りしていた客の何人かが手拍子を始め、リラックスコーナーから移動してくる人も出てきた。僕が感心して聞いている間、暗い歌の彼女はずっと、僕の隣のスツールに掛けてぷりぷりと怒っていた。注文したドリンクが来ると(ウゾの様だった)、それを一気に呷り僕に突っかかってきた。

「何よ、あいつ。友達のお祝いだなんて言って、割り込んできて。友達って、あんた?どうせ大したお祝いじゃないんでしょう!」

僕はびっくりしたけど、確かに自分では大したお祝いでは無いと思っていたので、素直に謝った。

「そうだよ、ごめん。確かに君の歌を中断するほどの祝い事じゃ無いかもしれない。でも、バイロンは僕の来島記念日を大切にしてくれているんだ。」

そう言うと彼女は、ちょっと毒気を抜かれたように目を見開いた。長い黒々としたまつ毛に縁どられた、とても綺麗な青紫色の目。その瞳に煌めく銀河が映り込んだ様子は神秘的な宝石の様で、僕は思わず見とれてしまった。目の色だけではなく、彼女は僕がそれまで島で出会った誰よりも美しかった(人間の中では、だけど)。中東の女性の様に、小麦色の滑らかな肌にくっきりとした眉。ご機嫌斜めの筈なのに愛らしい唇が印象的だった。すらりとした首筋には、アップにしたこげ茶色の巻き毛が一筋解れて踊っていた。僕の視線を釘付けにしている事には全く気付かないようで、ただ煩わしそうにそのほつれ毛を繊細な黒いレースの手袋に覆われた手で跳ね除けて、彼女はフンと形のいい鼻を鳴らした。

「ほらね、記念日なんて。この島の人は皆、大した事ない物でもなんでも祝いたがる。この島の外では生き延びている事に意味があっても、ここではなんてことないのに。この島みたいな温室で何をしても、何の意味もないのに!」

そう言って彼女は、空になったグラスをカウンターに叩きつけて出て行ってしまった。その背中には、蝙蝠の翼の様な物が付いていた。島ではたまに尻尾や翼をつけている人を見かけたことはあったけれど、実際にそのような人と話をしたのは初めてだった。彼女が去ると、バーテンダーは明らかに安堵の表情を浮かべてグラスを片付け、歌い終わって歓声を浴びながら戻ってきたバイロンに握手を求めた。その後は空気が入れ替わったように陽気な曲が続き、僕はバーテンダーや他の客にも祝ってもらい、とても楽しい時間を過ごした。でも、心のどこかに蝙蝠の翼の彼女が引っかかっていた。その事をバイロンに伝えると、彼にしては珍しくちょっとだけ眉をひそめた。

「ああ、あの子はきっとネイティブさ。島で生まれた人達の事だよ。あの子の翼を見たろ?ああいう際どい飾りを好むんだよ、ネイティブは。勿論彼らが全員そうではないけれど、ああいった人体改造をしているやつらの中には、たまに自分たちは自身の意思で神と契約を交わして島にいる訳ではなく、寧ろ囚われの身だと主張する奴がいるらしい。そして、そういう奴らは人を道連れ或いは共犯者にして脱走しようと企てているらしい。折角この島で生まれたのに幸せになれないなんて可哀そうだともいえるけれど、まあ厄介だよね。ネイティブたちは島の防衛庁に見張られている確率が高いと聞いたことがある。取材目的で君から近づいて行ったのなら兎も角、娯楽の場で出会って彼らと近しくなったと思われて、そのために君まで監視の対象になったら大変だ。島に来てわりかし新しい人を狙うらしいから、君も気を付けた方が良いよ。」

その時は、ネイティブ云々を深刻に気にするより、人好きのバイロンがここまで言うなんて珍しいという思いが勝っていた。

Photo by Alex Andrews from Pexels

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