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オランダ鉄道であった、本当の話。第2話&3話:車掌は辛いヨ

日本・スイスにつぎ、世界で3番目に時間に正確だ(或いは、だった。今現在の情報は分からない)という、オランダ鉄道。その割には、5分や10分の遅れは当たり前だし、毎年秋には落ち葉が線路に積もって走れなくなり、冬はそれなりに寒い国なのに、線路が凍れば運行に支障が出る。そんなおとぼけ鉄道で経験した、本当にあった珍事をご紹介したい。今回のテーマは、車掌さん。

Goedemorgen(おはようございます):車掌さんその1
早朝に雨が降った、ちょっと湿った朝。旧式の鈍行電車に乗り込んだ私は、バカに幸せな気分だった。窓際の席に納まり外を見ると、どんよりと雨雲が敷き詰められた空の一か所を裂いて、なんとも美しい薄明光線がみえた。電車が走り出すと、窓についた雨つぶが風に吹き飛ばされて、絶妙な模様を描いていく。そんな、灰色の景色のちょっとした事を見つけては、実に満ち足りた気分に浸っていた。

別に、大麻でハイになっていた訳ではない。自慢ではないが、23年間オランダに住んでいたけど、ただの一度も使用したことがない。同じゼミには、葉っぱの煙成分を分析している人もいたし、下宿先のもう一人の住人は葉っぱ専門の愛煙家で、台所の奥にあった彼の部屋からはいつも独特のニオイが漂っていた。そんな訳でちょくちょく晒されてはいたのだが、臭いし頭は痛くなるしで、自分で吸ってみる気は一度も起きなかったのだ。その日も、普通に起きて支度して、自転車で駅まで行って電車に乗り込んだだけ。なのに、雨上がりの朝の空気が澄んでいるだけで、物凄い幸福感に浸れていた。

全てが素晴らしい。そんな稀有な気分でいると、乗車券拝見、と車掌さんが入ってきた。ガタイはいいが、しょぼくれたブルドッグの様な雰囲気のおじさんに、「Alstublieft!(どうぞ!)」と元気よく定期を差し出すと、少し驚いたように受け取り、専用の機械に翳して確認した後、しんみりした声でこう言って、定期を返してくれた。
「あなたがいてくれて、よかった。」

朝っぱらから、どうしちゃったのだろう?

Goedenavond(今晩は):車掌さんその2
別の日の夕方。目的は忘れてしまったけど、快速電車に揺られていた。窓の外の景色は、夕暮れの牧草地から徐々に住宅地に変わり、さらにオランダには珍しい、高層ビルに変わっていた。ああ、そろそろ着くな、とぼんやり思っていると、案の定車内放送が聞こえてきた。

「Dames en heren(紳士・淑女の皆様)。この列車は、もうすぐ終点、デンハーグ中央駅に到着します。アムステルダム方面のお乗り換えは、○○番ホーム、ロッテルダム方面は○○番です。どなたもお忘れ物がございませんよう、よくご注意ください。」

ここまでは、よくある車内放送だった。ちょっと疲れ気味で、語尾を引きずるような深い男性の声という以外、特に変わったことはない。しかし、車内放送には続きがあった。

「…車掌には、子供が3人おります。これ以上は面倒みられませんので、どうかお子様もお忘れになりませんよう、お願い申し上げます。次は終点、デンハーグ中央駅。皆様、良い夕方をお過ごしください。」

乗客の反応は、クスリ、というくらい。全然ざわざわしなかった。仕事中でも、こういったユーモアが許されるのは、いろんな意味で、さすがオランダだと思った。

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