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神の社会実験・第17章

先生が部屋を出ると、僕らは一斉に出前の男性に注目した。彼は、ちょっとはにかんだ様に笑うと、咳払いを一回して話し出した。

「そんなに、見つめないでください。自分は普通の人間ですから。そして、もうお分かりかと思いますけど、貴方方と同じ日本人です。
自分がこの島に来たのは、一年ほど前です。丁度、二十歳でした。自分は小さい頃に両親に捨てられましたが、祖父母に大事に育てられました。成人式のお祝いに、祖父と祖母から、飛行機の切符を贈られました。決して裕福な家庭ではなかったから、大変な思いでお金を貯めてくれていたと思います。大人になったけど、大変な社会に飛び込む前に世界を見ておいで、と言われました。そこで、昔から大好きだった、ボブ・マーリーの国ジャマイカに行ったのです。ジャマイカ自体は思っていたほどボブ・マーリーの面影は無くて、ちょっとがっかりしました。でも、折角の祖父母からの贈り物をがっかりで終わらせたくなかったので、カリブ海や大西洋の他の島を巡っていたのです。ちょっと足を延ばしてバハマまで行った時に、乗せてもらっていた釣り船が難破して、気が付いたらここにいました。そして、貴方方と同じように、院長先生にお話を伺いました。

旅行に出る前の自分は、地方の体育大学で学びながら、陸上の選手をしていました。オリンピック選手になれるほどのレベルではなく、かといって体育の先生になる決心はつかず、そしてそんなに勉強ができる訳でもなく、恋人も目標もない、そんな宙ぶらりんな自分には、ここに残らない理由がありませんでした。それに、いつでも戻れるからと言う安心感もありましたし、戻ったら外には自分の居場所が確保されているという魅力もありました。でも、決意の一番の理由は、こんな取り柄のない、実の親にも捨てられた自分の事を、神様が選んで下さったという事でした。船が難破した時は死ぬほど怖い思いをしましたが、自分にとっては最悪で最高の出来事でした。今でもふと、本当は自分は死んで、天国に来たんじゃないかと思う時があります。
島に残る決心を院長先生に伝えると、まず外の世界の状況をどうして欲しいか聞かれました。自分の場合、まず祖父母に自分が無事でいることと、何らかの事情で日本に暫く帰らない事になったけど、心配しなくていいと伝えて欲しいと言いました。すると、先生は天使に言いつけて、ボブ・マーリーの像の前で、たまたま出会った富豪に気に入られて、彼の会社でインターンとして働けることになったという設定と、連絡先の私書箱を伝えてくれました。これは、祖母がくれる手紙で知った事なのですが。後で調べてみたら、なかなか立派な実在の会社だという事が、分かりました。これが、自分がここに来た経緯です。」

男性はそこで一息ついてお茶を飲み、続けていいかと目で問いかけてきた。僕らも黙って頷いた。

「それから、細かい手続きは覚えていませんが、天使に連れられて新住民歓迎センターに行きました。そこから島の人達に任され、天使や悪魔に出会う事はこの出前に来るまでありませんでした。
そのセンターで住民登録を済ませ、島のシステムの説明を聞き、斬新な健康診断と適職診断を受け、アドバイスを頂きました。なにもかも、とても親切で分かりやすく、説明や診断をする方も、とても親身でプロフェッショナルでした。そこから、不動産屋さんに案内されて、住居を決めました。こうして、この島での自分の生活が始まったのです。

そこは、海辺の小規模な町ですが、兎に角初めて見た時の衝撃は大きかった。自分は目を疑ったし、ユートピアと言うのは、この町の事を言うのではないかと、思いました。近代的何て言うものでは、ない。そこには、既にSF映画も顔負けの未来の世界が広がっていました。そして、全てが素晴らしかった。新居は勿論、町並みも、海やビーチも、人々も。食べ物も、エンタテイメントも、全て。自分は、着いた日から暫くは、そこでの生活を満喫するのに夢中でした。そして、全てが無料と言う感動を、噛み締めました。でも、毎日毎日、あちこちで好きなだけ遊びほうけている自分を咎める人は、一人もいませんでした。それは、無関心とは違う、自分にとっては新しい何かで、本当の意味でのお互いの尊重であると気付くまでには、数カ月かかりました。

もう一つ気付いたことは、こんな楽園の様な所なのに、自分の様に毎日毎晩遊んでいる人は、あまり見かけないという事でした。自分以外でゲームセンターやバーやビーチにほぼ毎日通っている人はごく少数で、その他の人は気晴らしで来る程度の頻度でしか会いませんでした。自分自身、職業は何かと聞かれたことは一度もありませんでしたが、大体娯楽や寛ぎの場所でそう言った話題を聞いたこともありませんでした。何度か遊び仲間に職業の事を聞いてみましたが、帰ってくる答えはいつも「職場に遊びにおいで」でした。何度かその答えを聞いた結果、自分は本当に何人かの友達や知り合いの職場に遊びに行ってみました。そして、島生活二番目の大きなショックを受けました。それは、誰もが目を輝かせて働いているという事でした。仕事が嫌になる時は無いのかと聞くと、皆口をそろえて、思い通りに行かなくて、いらいらする時もあるけど、そのために気晴らしがあるのだし、その仕事自体は大好きだと言うのです。

正直、その時自分は焦りました。皆、生き甲斐を見つけて輝いているのに、自分だけ取り残されていると思いました。それで、遊び仲間の中でも、いつもいる奴にも話を聞いてみました。いつも一緒に遊んでいる彼らなら、自分みたいに人生の目標や夢なんかを持っていないやつも、一人くらいいるのではないかと思ったのです。でも、自分の期待は外れていました。彼らは、プロサーファーであったり、プロゲーマーであったりと、遊ぶこと自体を生業にしているから、いつも遊んでいたのです。

自分は愕然として、暫くは引きこもりみたいになってしまいました。いくら友達や、役所から派遣されてきたソーシャルワーカーさん達に、君は選ばれたんだからこの島に住んでいるだけで意味があるんだとか、消費者がいてこそ生産者に意義があるんだとか、島に来たばかりなんだから焦るな、皆最初は同じだと慰められても、こんなにパッパラパーな自分が、皆が一生懸命に作り上げている物をダラダラと消費しているだけの人生って何なんだろう、自分には到底皆みたいにはなれそうにもないという気持ちに蝕まれていました。でも、そんな時に、大将に出会ったのです。

極度に落ち込んだ自分は、数日間は殆ど何も食べずに家で寝込んでいました。そして、ようやくショックが治まってくると、今度は放心状態で何もせず、適当に出前を食べて生きていました。何を頼んでも素晴らしく美味しかったのですが、そんな品々も、自分とは違って、天才的な能力を授かったり燃える様な情熱を持った調理師の誰かが、生き甲斐を感じながら嬉々として作ったものだと思うと、あまり食が進みませんでした。そんなある日、たまたまとった出前が大将の鰻だったのです。その鰻を受け取った瞬間から、何かが違いました。そして、あなた達が今さっき食べたのと同じように素晴らしい鰻を一口食べてみて、しみじみとホームシックの様な物を感じたのです。そして、なんだかその鰻を焼いた人に会ってみたいと思いました。それで、器を下げに来たロボットについて行って、大将に会ったのです。

大将は、自分が思っていた様な人ではありませんでした。第一、日本人でもなかったのです。遠い異国で仲間と、懐かしい故郷を語り合えると思っていた自分は、明らかに欧米人の彼を見て、期待が外れてしまいました。でも、会いに行ってしまったからには、とりあえず、引きこもっていた自分を引き出すほど美味しかったのだという事を伝えました。大将は、とても嬉しそうに礼を言ってくれて、でも引きこもっていた理由を心配してくれました。そこで、自分は自分の情けない心境を打ち明けたのです。神様に選ばれて、こんなに素晴らしい島に来て、なんでもできる状況にあるのに、それと言った夢もなく、特技もない自分。何をしたらいいのか分からないで、気持ちばかり焦っている自分。島の住民は皆、皆、自分の情熱を燃やして、素晴らしい仕事をして輝いているのに、自分だけ取り残されて、凄く場違いな存在であるような気がしている自分。そんな内容を、凄く要領悪く話している間、大将はずっと黙って聞いていてくれました。

漸く話終えた自分を、大将は熱いお茶で労ってくれました。そして、島に来た時受けた適職判断の結果はどうだったの、と聞いてくれました。そこで、自分にはクリエイティブな仕事か、体を動かす仕事が向いていると言われたと伝えると、大将はにっこり笑ってこう言ってくれました。それじゃあ、とりあえず私の店で、出前を手伝ってくれないか、と。出前用ロボットがあるじゃないかと怪訝に思っていると、見透かされたように人に持って来てもらいたいという要望もたまにあるんだよ、と教えてくれました。そこで自分は、大将のお店で働くことになったのです。

アルバイトで宅配の仕事などやったことはありましたが、ノルマはきついし、テンポが速くて皆カリカリしているし、楽しいと思った事はありませんでした。でも、大将のお店で働いてみると、条件は全く違いました。第一、大将は優しいし、お客もゆったりしている。勤務時間だって、自由です。店は毎日開けている時もあれば、気まぐれに閉まっている時もあるし、大将が店を開けている時にたまたま自分が他の事をしていても、その時に空いているデリバリー専門家やロボットが沢山いるので、誰も困りません。お店に行ってお客が少ないときなどは、大将が蒲焼を焼いてくれながら色々な話をしてくれたり、相談に乗ってくれたりします。大体、体を動かすことは昔から好きだし、届けるのが早いし対応が丁寧だと評判だよ、と大将が褒めてくれるのも嬉しかった。こんなささやかな事でも、誰かに必要とされて認められているんだと思えることも、嬉しかった。

そして、大将や出前先の人たちの話し相手をしているうちに、この社会には色々な人がいて、バリバリ働く人も、自分みたいに自分探しをしている人もいる。ポンポンとアイデアが出る人もいれば、たまに凄くいいアイデアが出るのを気長に待っている人もいる。そして、皆それぞれの波長に合った仲間を必要としているんだな、という事が分かってきました。特に、学力や経験、常識など、ある程度の基準を満たさないと所謂ちゃんとした仕事に付けない、収入が得られないという型が無いこの島では、多様性や個性や独自の考えこそが求められているんだという事も分かってきました。自分は自分のペースで良い。いきなり素晴らしいものができなくてもいい。結果ではなく、追求する事が大事。その事に気付いた時、自分の心はとても穏やかになりました。

そうしているうちに、段々自分のやりたいことも見えてきました。大体の発端はボブ・マーリー好きから始まったこと。自分の育った環境が、楽器など習い事ができる余裕のある家庭ではなかったし、学生になってから趣味で始めたギターで食べていけるなんて思っていなかったから、思いつかなかった選択肢。ジャマイカで感じた失望感の中に、自分が求めているボブ・マーリーとは何だったのかと言うヒントを垣間見た瞬間。そして、ボブ・マーリーの魂に通じる音楽を、自分が追及してみたいという願望。パズルのピースがだんだん集まって絵が見えてくるように、目標が見えてきました。そして、まだまだ外の世界の感覚から抜け出せていない自分の背中を、大将は優しく見守ってくれました。」

男性はそこでまた一服して、湯呑に目を落とした。愛おしそうに両手で包み込み、ため息交じりに続けた。

「今では自分は、ギターや作曲を学びながら、レゲー愛好会で披露したり、音楽研究会の仲間と話し合ったりしてボブ・マーリーの魂を追及しています。自分らしく、運動と音楽両方で表現できないかなど、色々。そして、大将がお店を開けている日は、なるべく手伝うようにして、日々を送っています。本当に幸せで充実した毎日で、大将にも神様にも、感謝してもしきれません。時々、実は大将が神様なんじゃないかと思ったりしますけれど、それは流石に違うみたいです。祖父母に会ってこの事を伝えたり、ここに呼んで大将の鰻を食べさせてあげられないのは少し辛いけれど、悪魔が毎月、怪しまれない位の金額を仕送りしてくれているみたいで、祖父母もちょっとは生活が楽になったと言ってくれています。それに、この島には特別の写真館があって、外の世界の設定に応じた特殊撮影の写真を作って送ったりもできるので、祖父母を安心させてあげられるのも嬉しいです。」

彼は湯呑から目を上げ、まっすぐに父を見据えた。

「先程、高校生の息子さんを安心して預けられる所かと問われましたね。その答えは間違いなく、はいです。こんなに若いときに、この島に来られるなんて、息子さんは幸せだと思います。」

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