神の社会実験・第28章
果たして、彼女は23歳で、僕よりも年上だった。いくら18歳から飲酒OKなこの島でも、10代でウゾを飲んでいるのはちょっとおかしいなとは思っていたんだけど、まさか年上だったとは。ディルセの忠告は、僕がとっていたのとは逆の意味でも有効だった。バイロンの思った通り彼女はこの島で生まれたネイティブだったけど、彼女が思春期のホルモンバランスの乱れから感傷的になっているという僕の推測は全く外れていた。
彼女はほんの最近まで、それこそ自由気ままに暮らしていた。彼女の蝙蝠の羽も、自分がリードボーカルを務めるバンドに因んで付けたもので、他の過激派ネイティブに影響されたものでは全くなかった。外の世界の状況は小学校の授業で習った事はあったけど全く実感がなく、ある事があるまで考えた事もなかったという。そのある事というのは、丁度半年ほど前、彼女の実家に帰った時の事だった。
プルーの父親は中東出身で、戦争で死にかけていた所を神に助けられた。彼女の母親はキプロス出身で、やはり紛争の結果救われた。二人はトラウマ治療のために通っていた施設で出会い、やがて二人は完治して結ばれ、それぞれ天職につきプルーという愛娘を儲けた。順風満帆、人生の絶頂と言える程の幸せを掴んだ二人は、暗黙の了解でプルーにはなるべく自分たちの生い立ちや辛い過去について話さなかった。
半年ほど前の昼下がり、プルーはたまたま実家に置いてあった私物を取りに連絡なしで両親の家を訪れた。両親は丁度留守だったので、プルーは茶目っ気を出してかわいい置手紙を残していこうと思い、作家で詩人でもある父親の書き物机に紙とペンを取りに行った。彼女が自立したいと言い出し、自分のアパートを借りて住みだすようになってから大分経っていたために油断したのだろう。父親の机には、一通の手紙が出しっぱなしになっていた。島ではあり得ないほど質の悪い紙に興味を惹かれてプルーは手紙を手に取った。
彼女の父親がいつも書き物に使っている言語で書かれたそれには、一枚の写真が添えられていた。その写真を一目見て、プルーは気絶しそうになった。画質も色も粗悪なその写真には、彼女そっくりの老婆が映っていた。自分そっくりの知らない人というだけでも衝撃的なのに、その写真の人物は右頬から手首にかけて見る目も無残な火傷の跡に覆われていた上に、両足首から下が無かった。組織修復技術やロボティクスが進み、そんな傷を負って生きている人など皆無な島で育ったプルーは勿論火傷の跡がどんなものか知らなかったし、なぜ写真の人物には足がないのかもわからず、化け物を見ているように恐ろしかった。
帰ってきた父親に写真を突きつけ、プルーは怒涛の剣幕で写真の意味を問い詰めた。父親は大変狼狽し、自分の不用心を嘆き、娘を必死に宥めようとしたが、彼女がどうしても引き下がらないとわかると、母親が帰宅したら話すと折れた。間もなく帰宅した母親は、状況を悟ると青くなって娘を抱きしめ、そのままプルーを引きずる様にソファ座り込むと、さめざめと泣きだした。プルーは母親を慰めつつも、父親に詰問した。ぽつりぽつりと父親が話したことによると、写真の人物は彼の姉で、プルーの伯母に当たる人物だった。プルーの父親とその人は戦争で生き別れたが、彼が島に来て数か月後に生きている事が判明した。そして天涯孤独ではないと分かった故、この島に残るか帰るか今一度悪魔に問われた。死にかけている所を救われた彼は、姉のところに駆けつけたい衝動と、救われた恩として残らねばならないという使命感に裂かれ苦悶した。しかし、島に残る代償として、外の世界で貧しく暮らしていた頃からは考えられないほどの金額を仕送りでき、その金で姉を立派な施設で治療できることを約束されると、決断は早かった。美しい容姿に恵まれていた姉は、それが仇となって紛争で捕らわれの身となり、酷い虐待を受けてた。運よく助け出された彼女は精神的にも肉体的にもプロフェッショナルなケアを必要としていて、それはもし彼が飛んで帰ったとしても、とても賄えるものではなかったからだ。
プルーの父は島に残り、姉の世話を悪魔に託した。ほどなく悪魔は彼女の身柄を保護し、あるフェミニストの富豪を通して世界最高峰の医療施設に入院させた。プルーの父は頻繁に手紙を出し、返事を渇望した。しばらくは姉の事が心配で自分の精神治療もはかばかしくなく、居ても立っても居られなかったが、悪魔は約束をたがえなかった。一年経つと施設の看護師からの手紙はやがて本人からの手紙になり、二年後には写真まで付いてくるようになった。写真の姿は変り果て、数年違いのはずの姉はまるで老婆の様になっていた。それでも彼女の美しい瞳はしっかりとレンズを見据え、その眼差しは穏やかだった。プルーの父は泣いて喜んだ。勿論島の医療水準の高さを思うと、それを姉に施せない事や自分だけ助かってその高い医療水準にあやかっている事がたまらなくなる時もあった。しかし、外の技術でも、ここまで姉が回復した事や、自分が島に来た当初姉の消息が分からなかったこと、さらに姉が手紙に綴る感謝の言葉を思うと、やはりこれでよかったと納得できるのだった。
月日がたち、プルーの父は回復し妻子を儲け、彼の姉も病院を出てスイスの田舎でボランティア活動をしながら養生できる福祉施設で徐々に人間らしい生活を取り戻していた。彼女はプルーの誕生をとても喜んでくれていたようだったが、自分そっくりにすくすくと美しく育っていく姪に会いたいとは一度も書かなかった。そして、彼女がたまに送ってくる写真の姿はいつ見ても火傷の跡が健在で、義足もはめていなかった。プルーの父はその事を、姉の怪我の治りがはかばかしくないために、幼い娘を驚かせたくないためか、或いはプルーを見ると健康で村一番美しかった頃の自分を思い出して悲しくなるからだと思っていたが、それは違っていた。それは、ほんの最近、自分の村を吹き飛ばした戦争についてのドキュメンタリーを、本当にたまたまインターネットで見つけた時だった。驚いたことに、彼の姉が生存者としてインタビューされていたのであった。そのインタビューで彼女は、過激派宗教とは何の関係もない自分たちの素朴だが幸せな生活が、いかにあっけなく消し飛び忘れ去られたか、そして自分の様に容姿に恵まれていたために捕らわれ売り飛ばされ、酷い目にあった女性が何人もいて、奇跡的に助かったのは自分だけだったことなど、痛ましい過去を語っていた。そして、他の犠牲者がぼかしや目隠しなどを要求している中、自分はしっかりと世界にこの姿を見てもらいたい。取り繕うための皮膚移植や義足はいらない。自分がこの姿で堂々と生きている事で人権や女性の権利を踏みにじる者に屈しない意思と、どんな姿でも社会の一部である事を訴えることができる、と語っていた。
そこまで話を聞いたプルーは、伯母に会いたいとせがんだ。普段はどんな頼み事も聞いてくれる優しい両親も、その時だけは頷かなかった。役所に相談しても断られ、ついには過激派ネイティブグループに接触して、脱走の相談もした。結果として過激派ネイティブは陰謀論を信じる宗教団体の様なもので何の役にも立たないという事を理解しただけだったが、その時天使が現れ、プルーは悪魔の所に連れていかれた。外の世界に会いたい肉親がいるのなら他の島民の様に外用の生活を用意できると聞かされ、飛び上がって喜んだ。しかし、この島には二度と帰ることができないし、この島の記憶も無くなってしまうと聞くと、にわかに怖気づき、考える時間が欲しいと頼んだ。その時悪魔は、他の島民同様、条件を飲むのならいつでも島を出られるといって、プルーを実家に戻してくれた。
「ちょっと待って、それじゃあプルーは悪魔や天使に会った事があるんだ?」
「そうだけど、それがどうかしたの?」
「だって、神様がいるかどうかも分からないって言ったよね。」
「そうよ。」
「…。」
このロジック、いつかどこかで聞いたような。そうだ、僕の母が同じような事を言っていた。女性って言うのは、皆こうも疑り深いものなのか。でもプルーの場合、宇宙人が普通に街に店を構えている様な状況で育ったのだから、天使や悪魔にそれほど驚かず、それらの存在イコール神の証明にならなくても、それほど不思議ではないのかも。そんなことを考えながらビールジョッキに口をつけると、早く話を続けていいかとせっつかれた。慌てて頷いて傾けたジョッキには、残念ながら泡が少し残っているだけだった。ここでお代わりを注文したらプルーに怒られそうなので、しばし我慢した。
パパとママに会えなくなることが嫌で島を出ることを断念したプルーだったが、伯母に会ってみたい気持ちはいつまでも消えなかった。両親の反対を押し切って伯母のインタビューを見た。何度も繰り返し見た。そして見るたびに、会いたい気持ちが募っていった。くすぶっていると、「お前が期待している様な返事は来ないと思うけど」と前置きをして、伯母に手紙を書くよう父親に勧められた。藁にも縋る思いで一生懸命手紙を書いた。自分がどんな人生を送ってきて、今何をしているか。伯母の手紙をたまたま見つけた事。彼女の存在を知り、その姿を見て、あまりにも自分そっくりで驚いた事。パパに話を聞き、ドキュメンタリーをみて、伯母の壮絶で力強い生き様を学び、とても強く惹かれて会いたいと思った事。
そして返事を待った。待って、待って、待ちわびて、諦めかけた頃に、返事はきた。そして、父親の忠告通り、それはプルーの求めていたようなものではなかった。その短い返事には、手紙をどうもありがとう、プルーが歌手になって幸せに生きているのが何よりもの救いだ、この家系は代々アーティストだから、お前もきっと素晴らしい歌手なのだろう、会いたいと言ってくれるのは嬉しいけど、お前が私の強さに惹かれるのはちょっと違う、私はお前の様な若い女性が安心して輝ける世界のために戦っているのだから、お前の世界は私の世界と接触してはいけないし、寧ろなるべく離れていて欲しい、私の存在を隠していたお前の両親は賢明だ、私はもう老い先短いのだから、きっともうすぐお前の声を聞きに行けるだろう、私らの様な者の分まで笑って生きておくれ、という内容が書かれていた。
つまりプルーは振られたのだが、そんな経験は生まれてこの方皆無だった彼女は、その受け取り方が分からなかった。その結果、振られべたな人特有の、ああすれば、こうすれば振り向いてくれるんじゃないかというループに嵌り、彼女なりの考察の上、世界の隔たりがなくなれば会ってくれるという、壮大な方法を思いついたらしい。そして、彼女が次に行き着いたのは、一番手っ取り早く世界を救う方法はこの島同様お金のない世界にすることだ、という所だった。そのためには島の記憶を失ってはいけないし、一人ではできない。ああどうしよう、誰か助けてくれないかナ、と行き詰まって気落ちしていた時に、丁度僕に出会ったという訳だ。自分のいいアイディアと冒険のロマンスに酔って、このままなら死んだほうがまし!と自棄になりかけていたのだろう。