神の社会実験・第21章
次にディルセに案内されたのは、淡いベージュで統一されたホームシアターの様な部屋だった。ふかふかのカーペットが敷かれた床には、前方のスクリーンに向かって、違ったデザインの肘掛椅子やクッションが幾つか置いてあり、お洒落なコーヒーテーブルにはSF映画に出てくるようなかっこいいワイヤレスヘッドホンと一緒に、飲み物やスナックが用意されていた。何も言われなかったので、取り敢えずヘッドホンを装着し、スクリーンの丁度真ん前の、皮張りの安楽椅子に掛けて待っていると、照明が落されて映画が始まった。それはマルチジャンルの、強いて言えば笑いあり、涙ありのアクション・SF・コメディー・ミステリー・サスペンス・ホラー・カルチャー・ヒューマンドラマと言った、滅茶苦茶面白い映画だった。映画が終わると、その余韻に浸る間もなくディルセが迎えに来てくれた。
「お疲れ様。これでお仕舞よ。さ、島民登録をしましょうね。」
そうして、面食らっている僕の腕を取り、事務所の様な所に案内してくれた。大きな窓のある、事務所と言うよりは応接間の様な部屋のソファに掛けると、ディルセはタブレットの様な物を持って、僕の隣に座った。
「結果が出たわ。あなたはとても健康。良かったわね!そして、社会や人の考えに興味を持って、行動力があるから、職業はジャーナリストか社会学者が向いているそうよ。この結果に対して、何か質問はあるかしら。」
「ど、どうしてそんな事が分かったの?」
驚いてこう尋ねた僕を見て、ディルセは楽しそうに笑った。
「あなたの泊まった部屋全体が、総合健康診断装置みたいな物なのよ。歯ブラシは口内の検査装置だし、口を漱いだ水や排せつ物などは流された後にサンプルとして健康状態や病原菌の有無などを自動分析されているの。鏡は目や皮膚の異常を探知して、ベッドは身長や体重、寝ている間の動き、骨格や呼吸器の異常、睡眠の深さやリズムなどを測定して、枕やシーツは汗の量と成分なんかを自動分析していたの。床には重量センサーがあって、あなたがどれ程の間どこに立っていたか、寝るまでや支度ができるまでに掛かった時間何かを計測していたの。そして、朝部屋を出た時に、あなたが部屋にいる間に集められたデータで、総合的にあなたの精神状態と健康状態が解析されたのよ。
それから、職業適性分析は、あなたが映画を見ている時に自動で行われていたの。診断は、あなたがどこに座ったか、選ぶときに迷ったか、飲み物や食べ物をとったかなどの行動学的な所から始まって、スクリーンには、目の動きと表情を追いかける装置があって、あなたが何に興味を持ったとか、逆に何から目を逸らしたとか、どういう場面でどういう表情を見せたとか分析していたの。あのヘッドホンは、音を流すだけじゃなくて、あなたの脳波を計測・分析する機械で、椅子や床は掛け方や座っている時の動きなんかを測定する装置でもあったの。何かを見たり聞いたりした時に、脳のどこがどの位反応したとか、あなたの座り方や動く頻度が変わったとかを測っていたの。そして、最終的には総合的に、潜在的にあなたに向いている職業が算出されたのよ。
あなたに仕組みを説明しなかったのは、ストレスや緊張感で診断を乱さないためだったの。サンプルやデータは、結果が出た時点で完全に消去されているから心配はいらないわ。どう?凄いでしょ!」
僕は、感心して頷くしかなかった。
「それじゃあ、島民登録をしましょうね。この機械を持って、顔を映しながらあなたの名前を言って。苗字は要らないから。ご両親にもらった名前じゃなくても、好きな名前でいいのよ。」
そう言ってディルセは、タブレットの様な機械を渡してくれた。その画面は写真の自撮り用の様に、僕の顔を鏡の様に映していたので、僕は幾分緊張しながら親から貰った自分の名前を言った。撮り終えてディルセに機械を返すと、
「はい、これで終わり!」
と言われた。
びっくりしてディルセを見つめていると、彼女は悪戯っぽく笑って説明してくれた。
「早かったでしょ。この機械も、ご想像の通りいろんな機能を持っているの。あなたが手に持って名前を言った時に、声・指紋・虹彩・耳の形とか、色々なデータをいっぺんに取り込んで、データベースにアップロードしたのよ。これであなたのIDができたから、島のどんなサービスも自由に使えるわ。」
そう言って、僕らの前にあるコーヒーテーブルの横を触ると、不透明なガラス張りの天板がシュイーンと開いて、ショーケースが現れた。メガネやネクタイピン、腕時計の様なウェアラブル端末から、僕が見慣れているスマホの様な端末まで様々揃っていた。
「この島の生活で欠かせないのが、通信機。スマートホンと思ってもらえばいいわ。形は違うけど大体機能は同じだから、説明のためにとりあえず一つ選んで。気に入らなくても、街の電気屋さんに行けば替えてもらえるから。」
なんだか英国の某スパイになったような気分で、僕はいそいそとショーケースを覗き込んだ。いろいろあって目移りしたけど、特に気になったのは、1円玉くらいの大きさの、カナブンそっくりの色とりどりな小型ロボの様なモデルだった。
「お気に入りが見つかったみたいね。それを、さっきのタブレットに乗せて頂戴。」
僕が青緑の宝石の様な虫型ロボを用心深く摘み上げてそっとタブレットに置くと、ディルセは笑いながら設定してくれた。ピコン!という音と共に、明らかに設定が終わったカナブンロボは音もなく飛び立ち、僕のポロシャツの襟に止まった。そうして、ディルセはその使用法を教えてくれた。どうやらその通信機はいつでも島のネットワークに繋がっていて、グー〇ルやアッ〇ルの様なサービスとソーシャルメディアのアプリが一つになったようなソフトで使えるようになっているらしかった。
「これで良し、と。カナブン君は、あなたの動きを予測・察知して、一番便利な所にいてくれるわ。あなたの発する磁場を感知して、いつも側にいる。服に止まれる時は、邪魔にならない所に止まっているし、そうでないときは邪魔にならない所に飛んでいるの。踏みつぶされたりぶつかったり何て言うへまはしないから、安心して。電源はあなたの磁場だから、電池切れの心配もなし。水に潜っても大丈夫な優れものよ。」
僕はすっかり感心して、バカみたいに頷くしかなかった。
「この島ではお店で買い物をする時に代金を払う必要はないけど、この通信機で品物を撮影して。在庫の補充なんかに必要な情報がネットワークに送られるから。スーパーなどで商品をいくつも購入する時は、一々言わなくてもショッピングモードで勝手に籠に入れたものを撮影してくれるから、全然面倒じゃないわ。ネットショッピングや出前なんかの時は、どうせ通信機を通して行うから注文するだけでいいの。ただし、大規模な芸術作品を作る時なんかに大量に材料が必要になる場合は、注文する前に役所の許可が必要になるわ。許可をもらうには、バーチャル建設センターでイメージを完成させるの。実際に作らなくてもそれで気が済んでしまう人もいれば、計算間違いを発見する人もいる。建設センターには資源や建設などのエキスパートがいて、より環境に優しい資源や、効率的な作り方のアドバイスをしてくれる。こうして資源の無駄遣いを最小限に留めることができるのよ。こういう細かい事は、それぞれの状況に応じてカナブン君が教えてくれるから大丈夫。
通信機は、ネットワークに送る匿名の情報と、端末に記憶される情報を完全に分けているから、個人情報が漏洩する可能性は、ゼロ。あなたが何をどのくらい買った、どこで何の施設を利用した、ネットで何を検索したなど、プライバシーに関する情報は、完全に保護されているから安心よ。
端末の情報は何故記憶されているかと言うと、前に買った物でまた欲しいなと思った時に、買い物ログから検索して、どこで買ったとか、在庫があるかとか、注文できるかとか教えてくれるのよ。逆に気に入らなかった物も記録出来て、同じ失敗をしないように助けてくれる。これで資源の無駄遣いを抑えられるって事。必要であれば、似たような商品が扱われている場所やサイトも教えてくれるわ。どの機能も、カナブン君に質問するだけでいいのよ。
買い物関係以外の機能も沢山あるわ。例えば、あなたが仕事に就いた場合、或いはボランティアなんかに参加したいな、何ていう場合、この機械の仕事アプリで、どういう仕事がしたいですとか、今働けますよ、とか、何時から何時まではダメですよ、何て言う情報を、他の人に知らせられるの。大まかに言えば、何かが必要になったら、取り敢えずカナブン君の出番。使っていれば自然に分かるようにできているから。」と、ディルセは呑気に宣言した。
「さあ、それじゃあ早速、住居のアプリを起動して。あなたの住む家を探しましょう!」
言われた通りに行動しようとした瞬間、カナブンが貫録のある声で喋った。
「なぬ、家移りとな。屋敷が良いか、座敷が良いか。はたまた仲介業者に任せるか。」
「ね?使ってみればわかるでしょ?」とディルセが言った。
「…この声と喋り方がデフォルトなの?」
僕まだ質問していないし!とか、何で武士言葉?とか、諸々の混乱で目を白黒させながら訊ねるとディルセは大笑いして、設定の変え方を教えてくれた。色々試してみた結果、僕は結局カナブン侍の設定を変えなかった。ディルセの洞察力、恐るべし。
その後も、通信機の操作は文字通り思いのままだった。何かする事に一々たまげている僕を、ディルセは実に楽しそうに見ていた。特に希望が無かったので不動産屋にお任せのオプションを選ぶと、目の前に島の不動産仲介人のリストが浮かび出てきた。ちょっと戸惑っていると、ディルセが僕と波長の合いそうな人を勧めてくれた。
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