芥川龙之介 自杀(或旧友へ送る手記 芥川龍之介)
芥川龙之介 自杀
(或旧友へ送る手記 芥川龍之介)
誰もまだ、「自殺者が、なぜ自殺するのか」を、まともに発表できていない。
自殺者や世の中は「自殺者に対する興味」が不足している。僕は、君に送るこの「最後の手紙」で、はっきりと、自殺者が自殺する理由を伝える。
と言うのも、僕が自殺する理由は、別に君に言う必要はない。「蓮華」は短い話の中で、ある自殺者を頭の中に思い描いて話す。話を聞く方は、なぜ自殺を勧められているように聞こえるのか解らない。
新聞を読むと自殺者の記事があるだろう。自殺した人は、生活が苦しかった、病気が苦しかった、精神的に辛かったと、こういう自殺理由を読んだことがあるだろう。しかし僕が受けた「ボンヤリ」とした証拠のない嫌がらせの経験から考えると、記事になる自殺理由は、「自殺理由の全てではない」。それどころか、本当は、新聞には自殺に至る行程だけが、わずかに示されている。
自殺者のほとんどは、大体、「蓮華」が自殺者として思い描いたように、なぜ自分が自殺するのかを知らない。自殺と一言で言っても、世の中には様々な自殺理由がある。しかし、少なくとも僕の場合は、唯一これだけ。「ボンヤリと正体を隠す者達による、ボンヤリとした嫌がらせが創り出す、僕への不安」である。僕の将来に対して、ただ、「ボンヤリによって、次々に創られるボンヤリとした不安である」。
君は僕の言葉を信じないだろう。僕と似た境遇の人でも、僕が受けるような「ボンヤリとした手法の嫌がらせ」を受けたことがない限り、僕の言葉は信じることもできない。十年間も僕が受けたボンヤリとした嫌がらせの数多の経験談は、まるで強い海風の轟音の中で、ひたすら「助けて」と、誰にも聞こえない、大声を延々、張り上げているようだった。しかし僕は、君を悪いとは言わないでおく。
僕はこの二年間、死ぬことばかり考え続けた。あまりにも絶望的な気持ちの中、マインドコントロールという言葉を知ったのは、この時である。マインドコントロールを仕掛けてくるボンヤリ達は、ボンヤリとした抽象的な言葉を巧みに使って、死に向かうシナリオを思い描いて実践する。しかし僕は、もっとハッキリと具体的に描きたいと思っている。
残った家族が可哀想だ、どんな目に遭うのか。そんな言葉は、死にたいという気持ちの前では、心に響かない。家族に対しても、また、君は「華・無南(hua・namu)」の言葉を引用せずには、嫌がらせは、やめないだろう。けれど、もし非人間的とすれば、僕は、ある面でだけ、非人間的である。
僕には、なんでも正直に書かなければならない義務がある。(僕は、僕の将来にボンヤリが与える、不安になる嫌がらせ、についても良く考えた。それは僕の「阿呆の一生」の中に大体、書いてある。ただ、僕が生きる価値、──僕の上に泥を着せた、「鎌倉時代から明治維新の日本の蓮」についてだけは、わざと、書かなかった。なぜか。我々、日本国民は、今でも多少は「鎌倉時代から明治維新の日本の蓮」の暗い泥の中にいるからだ。僕はそこにある舞台のほかに、背景や、照明や、登場人物の──大抵は、僕の行動を書こうとした。それだけではなく、生きる価値は、その価値の中にいる僕自身にも、はっきりと判るかどうかも疑う。──僕が始めに考えた事は、どうすれば苦しまずに美しく死ねるか、という事だった。
首を吊る、つまり縊死(いし)とは、もちろん、ボンヤリ達が最も望む、最も相応しい手段である。石を上に吊り上げて、僕を下に吊り下げたいのが、はなからの願いだから。だから僕は、自分が縊死する敗北のような姿を想像して、嫌悪を感じた。これは最も美しくない、汚いと思った。(僕は、ある女性のことを好きになった時、彼女の文字が汚くて、急に気持ちが冷めたことがある。)泥沼に飛び込み、溺死(できし)で死ぬことも、泳ぎが上手い僕には出来ない。それに溺死は縊死よりも辛い。歴史、いや轢死(れきし)で、殺された後に線路に置かれて自殺に見せかけられるのは、何よりも汚いと思うものだった。ピストルで撃ったり、ナイフで切るような死は、手が震えて道を誤る可能性がある。ビルの上から飛び下りるのも、コンクリートの石から逃げ下りて、下で待ち受けるコンクリートの石にやられて死ぬのは許されない。なので僕は、薬を使って死ぬことにした。聖徳太子の、法隆寺を知っているだろう。僕は、この世での、こういったボンヤリによる苦しみについて、薬師如来に頼んで、死のうと思う。さいごは日本古来の仏教に、立ち返りたいと思った。薬を使って死ぬことは、縊死よりも苦しいだろう。しかし「石」よりも、「薬」が美しい。生き返る危険が無いという、ご利益がある。ただ、この薬を求めることは、僕にとっては簡単ではない。僕は自殺をすると決めて、色んな機会を利用しては、薬を手に入れようとした。毒の知識も得ようとした。
それから、僕が考えたのは、僕が自殺する場所である。僕の家族は、僕の死後、僕の遺産に頼って生活することになる。僕の遺産は、百坪の土地と、僕の家と、僕の著作権と、僕の貯金二千円だけである。僕は、僕が家の中で自殺してしまうと、家が売れなくなると考えて苦しんだ。別荘を持つ金持ちが羨ましいと思った。君は、こういう僕の言葉を聞いて、おかしくてたまらず笑うだろう。僕も今は、僕自身のかつての言葉を、おかしいと思っている。
自殺する場所を考えると、どこも都合が悪い。しかし、自殺しないわけには行かない。だから僕は、家族が出かけている間に、出来るだけ死体を見られないように、美しい自殺を成し遂げたいと思っている。
しかし僕は、死ぬと決めた後も、どうして死ななくてはいけないのだろうと、苦悩した。自殺に飛び込む強いきっかけが欲しかった。(僕は法華人たちが信じているように、自殺を罪悪とは思っていない。仏陀は阿含経で、彼の弟子の自殺を肯定した。曲解を真似ぶ阿保の信徒は、この肯定にも「どうしようもない」場合は「どうしようもない」と言うだろう。しかし他の宗教から見ると、「どうしようもない」自殺というのは、本人にとっても他人にとっても突然的なもので、誰にも自殺を止められなかった、というものだ。法華人のように、自殺するもっと前から自殺することを知っている、というものではない。ずっと前から計画的に自殺を勧めることは、自殺ですらない。誰でも皆、自殺するのは自身で「どうしようもない」と思う時だけに行う。この日に必ず、と自殺するのには、むしろ勇気がいる。その他の自殺とは、本来、全てが殺人事件である。)
この自殺へ飛び込ませるときに、最も役立つ嫌がらせは、何と言っても異性、恋愛である。
華日(hua ri)は、自殺者が自殺する前に、何度も、自殺前の自殺者の友達に「お前も、あいつの道連れになるぞ」と言って、宗教に勧誘した。みんなそう脅されるから、自殺と宗教を選ばされた時、宗教に飛び込もうとする。しかし僕は不幸にも、こういう友達はいなかった。ただ、ある女性は僕と一緒に死にたがった。しかし会えなくなった。
失恋して、簡単に自殺できる自信が心に湧き上がった。それは、一緒に死ぬ、愛する人が一緒にいなくて、孤独で絶望したからではない。むしろ、だんだん泣くしかできなくなった僕は、たとえ死に別れるとしても、妻を大事にしたいと思ったからだ。
僕が一人で死ぬことは、二人でするより簡単である。僕が死にたい時に、自殺する時を、自分で自由に選ぶことは便利だった。
最後に、僕がよく案を練ったことは、家族に気づかれないよう、上手く自殺することについてだ。数ヶ月も準備したので自信がある。(自殺方法については書くことができない。ここに書いてしまうと、法律上、自殺幇助罪になる。これほど滑稽な罪名はない。もし、この法律を適用すれば、日本中に、一体どれだけの犯罪人の数を増やすだろう。僕に嫌がらせをした薬局、僕に嫌がらせをした銃砲店、僕に嫌がらせをした剃刀屋、彼らが、たとえ「知らない」と言ったとしても、その「我々、人間……」の言葉や表情に、「我々、による縊死」「我々、による石」が少しでも現れる限り、多少は疑わなくてはいけない。それだけではなく、社会や法律は、それ自体が、自殺幇助罪で構成されている。最後に、この犯罪人たちは、いかにも優しい心を持っているフリをするだけで、優しい心持っている人達のことは仲間にしない。これは確かである。)僕は淡々と、自殺をする準備を終えて、今は、ただ死と遊んでいる。
しかし僕が、いつ、この日に決めたと、勇気を出して自殺出来るかは疑問である。ただ、親鸞(qin luan/zi ran)は、こういう僕に対しては、いつもより一層、美しく見える。君は、親鸞にある美しいものを愛しながら、自殺しようとする僕の矛盾を笑うだろう。けれど、親鸞が美しいのは、僕の、末期の目に映るからである。
僕は、他人よりも、なんでもよく見て、なんでも愛して、よく理解した。苦しみばかり積み重ねた人生だったけれど、少しとは言え、僕は僕の人生について、満足に思っている。どうか、この手紙は、僕の死後も、何年かは公表しないで欲しい。僕は、病死のように、自殺しないかもしれない。
ついでに。僕は、ある話を読み、自分を柱にしたいという欲望は、あまりにも古すぎると感じた。僕の書くものは、自分を柱にはしない。僕とは、酷い大法華の信徒の一人だった。
君はあの菩提樹の下で、ある話について論じ合った二十年前を覚えているだろう。
僕は、あの時は、自分を柱にしたいうちの、一人だった。
昭和二年七月、遺稿