長期出張に行った赤ちゃんと白目がちの兄①
昨日の夜ご飯どころか、今日の朝ごはんさえ思い出すのも危うくなってきたので、今までのこと、これからのこと、そして今のことをタラタラ綴ってみることにした。
中国で5年生活したのち台湾に来た私は、日本へ帰ると色々気を遣って疲れる、もはや半分中華人。だから中国と日本を足して2で割ったような台湾での生活がとても合っている。
台湾に嫁いできたのは2016年の春。
それからすぐに第一子、カイカイを授かり、2歳の彼は絶賛自我爆裂期中。いつになったら落ち着くの、これ。かく言う私も未だ自我爆裂し続けてるaroundフォーティー。恐るべしDNA。
そんな私のところへ第二子が来たのは少し前のこと。私から女の子が生まれるなんて想像不可のため弟弟( ディーディー、中国語で弟のこと)と名付け、この世に生を受けるのを心待ちにしていた。
のも束の間、弟弟はあっさり私のお腹から旅立ってしまった。3回目の検診で心拍が確認できず、初めての流産を経験した。
先生はこの週数での流産は、ほぼ染色体異常が原因と言っていたけど、理由が何であれただただ悲しかった。
私たち夫婦にこういう経験をさせた神様の意図とか、いろんなこと考えたけどこの世の中には沒辦法(中国語で、仕方ない、成す術ないの意味 )なことが本当にあるのかもしれない。
数日後に受ける手術は吸引法で、麻酔で眠っている間に5〜10分で終わる、麻酔も30分ぐらいで切れるのでその日のうちに帰れるという説明を受けた。とても安全な手術だから安心してとも言われた。けど、麻酔も初めてだったし何てったってここは台湾。日本じゃない。急に不安が込み上げてきてその日から検索魔になった。
その時に同じ辛い体験をしたある方のブログにたどり着いた。そこに書いてあったある言葉が私を救った。
『赤ちゃんは自分に異常があるとわかって、お母さんお父さんをこの先困らせないように自ら神様のもとへ行ったのよ。だから赤ちゃんにはごめんね、じゃなくてありがとうでいいの。』
ボロッボロ泣いた。それが本当でもそうでなくてもやっぱり悲しいけど、ごめんね、じゃなくありがとう、でお別れをしようと思えた。
手術当日は看護師さんのお陰でリラックスしていた。分娩台の上に上がり、今から麻酔薬入れるから頭ふわふわーっとするよ〜と言われ、えー全然しない〜あー、ちょっと来たかも、なんて言ってたら、もう手術は終わっていた。
意識はあるものの、頭はぼぉーっとしていてさすがに直後は歩けないので、部屋まで運んでもらい、しばらく休むように言われた。
そこで待っていた夫の顔を見たらもうワンワン泣けた。もう私のお腹に弟弟はいない。あまりにもあっけなかった。最後の最後にちゃんとありがとうさえ言えなかった。そしてやっぱりごめんね。